Image

WELCOME TO OUR HOMEPAGE

チッソ水俣病関西訴訟原告団
「関西水俣友の会」ホームページ

Image


 関西の水俣病患者の問題に関心を寄せていただいている方々へ。

私たちは、チッソ水俣病関西訴訟の原告でつくっている「関西水俣友の会」です。

最高裁判決後、200561日から、医療費の自己負担分を国が払ってくれることになりました。
(通院費と介添人の費用は、補助が出ます。ただし、補助額<実費)

最初は、「生存原告」全員が対象でしたが、結局、「敗訴原告」は外されました。
勝訴原告でも亡くなっている人も、なにもなし。
また、大阪地裁判決では患者と認められているのに、大阪高裁判決で「二点識別覚の検査が異常なしだから、
水俣病ではありません」と全額返還と言われてしまった2人も、なにもなし。

私達は水俣病患者としての「認定」を諦めたわけでは、ありません…(涙)。今後ともを応援を宜しくお願いします。


⇒ 
認定申請をお考えの方は、阪南中央病院にご相談を!



追記:2009年10月に坂本美代子は認定されました。が、原因企業であるチッソに、裁判で決着済として補償協定の締結を拒否されました。
関西訴訟の患者たちは、坂本の他にも5人くらい認定されましたが、誰も補償協定を締結できないままです。(2023年5月末時点)



2007年の活動記録

1月21日(日)、一年の始まりで新年会。
4月8日(日)、移動が大変なので、お花見は各自で済ませてカラオケ大会
5月10日(木)、熊本県の水俣病審査課長(新任)さんら来訪。小笹家の仏壇に、お焼香。
6月11日(月)、夜行列車で熊本へ。朝9時過ぎから熊本県知事と面会(約15分)。その後、県庁前で座り込み開始。
6月12日(火)、午後から熊本県副知事らと激論。翌日の夜行列車で帰阪、寝込む。





2006の活動記録 

12
3日(日)、一年の締めくくりで忘年会。
11
29日(水)、一年ぶりに環境省へ
8
8日(火)~12日(土)、検診を受けに水俣へ
5
21日(日)、日本テレビ系で「ミナマタに生きて~水俣病公式確認50年」放映。坂本出演
5
2日(火)、水俣病50年追悼カラオケ大会
4
1日(土)、大泉緑地でお花見
2
27日(月)、岩本章さん逝去
2
23日(木)~24日(金)、熊本県庁と熊本地方裁判所へ行く

★☆熊本県知事の記者会見が見れます→ 
熊日動画ニュース水俣病の話もあります。



2005
の活動記録

6月20日(月)、熊本へ(美代子さんは勝訴者向け手帳を返却に! 恵さんは認定申請をしに!)
9月2日(金)、熊本へ(亡くなった原告の認定申請は、失効している?)
10月21日(金)、甲南女子高校で語り部活動♪(バーベキューの串で、感覚体験!)
11月11日(金)、いよいよ環境省へ(失効の取り消しを求めて!)
11月12日(土)、11日の環境省交渉が新聞に載りました♪




2004年の活動記録

7月5日(月) 最高裁判所で意見陳述!
10月15日(金) 最高裁判所の判決 悔し泣きをしています!!
12月12日(月)、環境省が岩本家の仏壇にやって来た♪




2003年の活動記録

1月28日 新生・関西水俣友の会 挨拶
      2月7日(金) 「関西水俣友の会」として初めての語り部活動@甲南女子高校
      2月26日(水) 関西訴訟の弁護士と話をしてきました!
2月26日(水) 同日付の熊本日日新聞の記事の紹介と私たちのコメント
3月4日(火) 同日付の熊本日日新聞の記事の紹介と私たちのコメント
会員の荒木多賀雄さんのメモ
3月14日(金) 熊本県による「保留処分」への抗議文
3月20日(木) 荒木多賀雄さん、熊本県庁へ
3月21日(金) 「水俣病一次訴訟判決30周年記念集会」へのメッセージ!
4月6日(日) 大泉緑地で、お花見会







↓↓↓【最高裁判決(2004.10.15)後、2005531日までの記事】↓↓↓

裁判は勝訴とはいえ、体が治るわけでもなく、
勝ち取った賠償金も弁護士費用や訴訟費用を差し引かれ、手許に残るのはウン百万円…。

私達は病気で思うように働けませんでしたから、貯金があまりありません。
チッソから賠償金を受け取ったのも約10年前のこと。病院代どころか日々の生活費にも困っています。

環境大臣と熊本県知事さんにお願いです。
「私たちを水俣病と認定してください。そうすれば、医療費と生活費に目途が立ちます」
「不知火海沿岸から関西・名古屋・福岡など日本中に引っ越して、私達と同じように体調不良と生活苦に悩んでいる人々にも、
救済の手を差し伸べてください」
「賠償金から差し引かれている訴訟費用と弁護士費用を払ってください」
「亡くなった原告に、線香の一本でも供えに来てください」

→ 線香については、1124日(水)の交渉の末、環境省の官僚さんが2004年内に、亡くなった原告21人のところに来ることになりました。思い切って主張した甲斐がありました!




【関西水俣友の会のオススメ文献:できたら読んでくださいね~】

『新・水俣まんだら~水俣病関西訴訟の患者たち』(私たちがなぜ大阪で裁判を始めたか??の聞き書きです♪ この本の書評とかを集めたHPもあります)

『新版 環境と人間~公害に学ぶ』(第一章を読めば水俣病の現状が分かってもらえるのではないかなぁ♪)

『医学者は公害事件で何をしてきたか』 (原告が水俣病に罹っている理由、最高裁判決が食品衛生法を免罪したことの異様さ、学者の役割…)






↓↓↓【最高裁判決が出る前までの記事】↓↓↓

 関西訴訟は大阪高裁で行政責任を認める判決が出ましたが、私たちの再三にわたる要請にも
かかわらず、国・熊本県が上告したため、最高裁でまだ裁判が続いています。

→ 200475月(月)午後1時半、最高裁で弁論が開かれることになりました。
→ 20041015月(金)午後3時、最高裁で判決が言い渡されることになりました。
 排水規制を怠ったことについての行政責任が確定した代償に、坂本美代子会長ら8人が棄却されました。
 水俣病のせいで苦しくなった家計を支えるべく、水俣を離れて働きに出たのですが、
その時期が早すぎるそうです。国と熊本県の責任は無く、チッソだけが原因の水俣病…
 賠償金の額に変更はないのだからと、弁護士や支援に慰められましたが、
それこそ「銭カネの問題ではない!」ですから、怒ったり泣いたりしています。
 また、毎日新聞は、坂本会長が泣いている写真に「勝訴にうれし涙を」というコメントをつけてました。
後日、訂正をいれてました(小さい記事ですが、全国紙が非を認めるのは珍しい…)。



 一方、高裁判決はあろうことか、全額返還の2名を含む総額6000万円にも上る損害賠償の減額分と
その利子をチッソへ返還するよう命じたため、とてもこれには従えないと私たちの方からも上告しています。

→ 20043月末に、却下されてしまいました。

 私たちは関西訴訟に心を寄せて下さる人たちに、関西訴訟はもともと患者が泣き寝入りしない
ために裁判を始めたことを忘れないでほしいと願っています。

 私たちは患者同士が寄り合い、話し合い、助け合うために作った関西患者の会の初心に立ち返り、
2002
年春に「関西水俣友の会」を作りました。その後、これまでのいきさつもあり、表立った活動は
控えてきましたが、患者の声がいつまでも皆様に伝わっていないことに気がつき、今年からは私たちも
患者としての声をあげていこうと決心し、役員も新たに選び直しました。新しい役員は、以下の通りです。

 会長:坂本美代子 副会長:川元文子 会計:小笹 恵





【私たち「関西水俣友の会」の言いたいこと】

その1. 私たちはイジメられています、懐かしい ふるさとの熊本県に!

 熊本県は、私たちを「検診拒否者」と決め付けてきました。

 私たちは、職を求めて関西に引っ越してきました。
 水俣病の認定申請をしてから10年たっても認定されないので、提訴しました。
裁判を始めて20年になりますが、いきなり「検診拒否者」と言われました。
 私たちは、「主治医の診断書を尊重する」とした国会の付帯決議に基づいて、
詳細な診断書を県に提出しています。その資料を使ってください。

 県の検診は痛覚の検査で血が出るまで手を針で刺すのです。会長の坂本美代子の母親(認定患者)は、
両手の指10本の、指と爪の間に針を刺されて青黒く腫れあがりました。検診は公開でやってください。
 主治医と弁護士にも立ち会って欲しいのです。


その2. 私たちはイジメられています、加害企業のチッソに!

 チッソは、私たちの仲間に賠償金の返還を求めています。

 大阪地裁の判決では損害賠償を認められたのに、高裁の判決で減額された仲間がいるのです。
 14人に対して、約6000万円の負担。さらに、年5分の利子がつきます。
 チッソは、私たちに6000万円を振り込め!と、口座番号を知らせてきました。
 私たちは、納得できません。これでは敗訴したも同然です。


その3. 私たちは最高裁判所に求めています。

「チッソへの返還命令を取り消してください」

「国と熊本県に水俣病事件の責任がある」と認めた大阪高裁の判決は、当たり前ですから、
国と県の上告は棄却してください!」


その4. 私たちは熊本県と鹿児島県に求めています。

「私たち全員を、水俣病患者として認定してください」

水俣病の認定審査は、熊本県と鹿児島県の両方で行われています。
私たちは、水俣市周辺と、水俣の沖合の獅子島(鹿児島県東町)の出身です。
水俣病の公式発見は昭和311956)年ですが、私たちは昭和30年代に発病した
患者の家族であり、患者家族とご近所付き合いしてきた者ばかりです。

冷蔵庫もなく、集落が皆、同じものを食べていた時代です。
私たちだけが水俣病にかからない特別な理由はありません。
症状がないのなら、水俣病の認定など求めません。裁判もしません。

安心して療養ができるように、早く認定してください。

Icon

団体名

「関西水俣友の会」(愛称・ともウェーブ)

Icon

私たちは

チッソ水俣病関西訴訟の原告です。

Icon

結成年

2002年結成

Icon

出身地/出身校

水俣や獅子島(鹿児島県東町。水俣の沖合いにある島)、不知火海沿岸/水俣市立袋中学校や獅子島小学校

Icon

住まい

関西一円。「老後はふるさとで!」と熊本に帰った仲間もいます。

Icon

趣味

季節折々のお花見、パチンコ、カラオケ、散歩、おしゃべり 

Icon

声を掛けて!

私たちの経験を次の世代に伝えていきたいと思います。右でも左でも上でも下でも、都合のつく限り出かけます。ご関心のある方は、とりあえずメールでご相談ください。

Icon

募集中

国や熊本県やチッソとケンカしている私たちへの助太刀(情報提供,カンパ、その他いろいろ)、大歓迎!

 

ゲストブックを読む

ゲストブックに書く

日記帳


Mail
メールお待ちしてま~す