2007年の出来事
山中由紀@ゆきどんです。こんにちは~♪
5月10日(木)の午後1時過ぎ、小笹恵さんの自宅に、熊本県のタナカ課長とフジモトさんがやって来ました。その前に昼食しながらの会話のひとコマ。
みよこ「最初に仏壇を拝みはるやろか」
ゆきどん「前のタニザキ課長から“最初に拝む”と引き継ぎされてるのでは?」
めぐみ「ウチの仏壇は、引っ込んでいて、ちょっと見にくいから」
みよこ「私、言うもん」
「タニザキは保健課長になりまして、私は審査課長のタナカです。ぜひ、お話をお伺いしたいと思いまして、このたびは…」
みよこ「まずは、こちらで拝んでいただけますか。一番大事な人ですから…」
最初に拝まないと怒られるという注意は、特に引き継がれなかったようです(残念)。肝心の知事との面会については、
タナカ「同様のご希望も他の皆様からもありますし、処分者と被処分者という関係ですし…」
めぐみ「(強い声で)処分って、なによ。私らが何か悪いことをしてるみたい」
タナカ「あ、申し訳ありません、行政用語でして、そういう意味では~」
みよこ「これは棄却処分やと思った」
フジモト「でも、認定も認定処分と言うのですよ」
みよこ・めぐみ「処分てね、あのね~(怒)」
タナカ・フジモト「すいません、不注意で(オロオロ)」
ゆきどん「ま、業界用語ですから、まーまー」
めぐみ「期待してたのに~」
知事の面会を求めて2年くらいになりますが、今までは「知事の都合が付かない」ということでした。が、今回はあっさり「NO回答」。なんででしょ?
ということで、予定通り、熊本県庁の門前で「認定して」と座り込みをしに行くことになりました。さー、どうなることやら(汗)。
なお、5月10日と言えば、坂本美代子さんの誕生日。
ゆきどん「おめでとうございます~。お祝いしなきゃ」
みよこ「(淡々と)72にもなったら、別になにもしないの」
ゆきどん「そんなことないですよ。恵さんとこなんか72歳になってないし」
めぐみ「お母さんは69歳やったし、お父さんはも…」
ゆきどん「寝たきりでもなく72歳を迎えたなんて、とってもメデタイ♪」
めぐみ「私らのお祝いって言っても、カラオケに行くくらいやけどね」
みよこ「(ちょっと赤くなってる)…」
夕方5時~8時まで、いつものU坊でカラオケ大会。その後、お好み焼き屋さんに行ったのでした。カラオケは3時間しかなかったので、最後の20分は間奏を早送りするという荒技! 数えてみたら39曲も歌っていて、最多得点は93点「星屑のステージ」でした。
山中由紀@ゆきどんです。こんにちは~♪
先週は、関西訴訟の原告さんが相次いで認定を求めて提訴され、新聞に載りました。16日の裁判は、大阪版の全国紙では一面トップで、びっくり。
私が記者だと、こんな感じでしょうか…。
***
5月16日(水)と18日(金)、チッソ水俣病関西訴訟の勝訴原告が相次いで、水俣病としての認定を求める訴訟を、大阪地裁と熊本地裁に起こした。原告は2組計3人で、82歳男性、81歳女性、80歳女性である。
関西訴訟とは、熊本・鹿児島県で魚中心の食生活を送った後、仕事を求めて関西に移住した人々が起こした裁判。1982年から88年にかけて59人が大阪地裁に提訴し、2004年10月の最高裁判決で勝訴している。
しかし、誰も水俣病患者と認定されていない。認定は、熊本県や鹿児島県が国の委任事務として行うのだが、国が「司法と行政の判断は別」と主張し、最高裁の判決を無視しているからである。なお、認定されれば、加害企業から補償金や生活費、医療費などが支払われる。
関西訴訟では、ほかに2名の勝訴原告が、認定を求めて環境省や熊本県庁に通い、自主交渉を続けている。72歳と52歳の女性であるが、来月6月にも熊本県庁を訪れる予定で、今、準備を進めている。
国と熊本県の行政責任を認めた最高裁判決を受け、新たに約6千人が水俣病患者としての認定を求めており、その数は今も増え続けている。約1千人は裁判を起こしているが、加害企業のチッソは「時効」を主張するなど、とても強硬な態度を取っている。
国と県は認定申請をされるのが嫌ならしく、「水俣病に見られるような症状はあるが、認定申請はしないと約束した人」に対しては、医療費の自己負担分を一生免除する「新保健手帳」を交付している。この医療費免除コースを約6000人が選択しており、国民の税金が投入されている。
認定申請者と医療費免除者を合計すると、1万人を軽く越える人々が、国と熊本県の責任を認めた最高裁判決を受けて、動いたことになる。
法治国家であるならば、司法の判断に行政は従うべきである。また、妙な医療費免除制度を作るべきでもない。我が国が本当に法治国家であるのかどうか、最高裁判所の権威が、今、問われている。
***
やまなかゆきです。
いよいよ6月! 坂本美代子さんと小笹恵さん用の横幕を作りました。一枚モノで、「坂本美代子 水俣病と認定して」「小笹恵 両親の失効取消を」などと書いてみました。
油性ペンで描いたのですが、臭いがすごく、化学物質過敏症の危険を感じました。なお、今回使った油性ペンは、木野先生の退職記念の「送る会」で、看板・貼り紙担当の学生たちが残して行ってくれた由緒ある品なのです。こんな臭いの中でやってくれていたとは…(涙)。
N原さんから、お便りを頂きました~(深謝)。
***
いつもいろいろな情報をありがとうございます。
坂本美代子さんを水俣病と認定と小笹恵さんの両親の失効取消を願っております。
憲法改悪反対の横幕は一字ずつプリンタで印刷したものを貼りました。大きくするには字を4分割し印刷するとよいそうです。
久しぶりにイタイイタイ病の番組をみまして、農家の方と若い弁護士さんの熱い思いに感動しました。あふれる情報に振り回させられる現在、一番大切なものは何なのかを教えていただきました。
***
→ ご声援とアドバイス、ありがとうございます。
イタイイタイ病の番組は、NHKの「その時、歴史が動いた!」だと思いますが、妙に再放送されています。視聴率が高いのかも? 元気になれる番組に出会えたようで、ご同慶の至りです。
なお、坂本&小笹を応援していただける方であれば、主義主張や思想信条を気にするつもりはありません。大同団結!!! 憲法改悪に反対の皆様はもちろん、憲法改正に賛成の皆様も、坂本&小笹への応援を宜しくお願いいたしま~す♪
こんな見出しの記事が熊本日日新聞に載りました~。
熊本日日新聞2007年6月5日朝刊
「熊本、大阪の水俣病認定訴訟 異なる手法 基準見直し迫る」
2004(平成16)年の水俣病関西訴訟最高裁判決でメチル水銀中毒症と認められた原告が5月、大阪地裁と熊本地裁で新たな訴訟を起こした。2つの訴訟は、行政に水俣病と認定するよう義務付けを求めている点は共通。しかし、国を被告に含めているかどうかや、認定基準の見直しを迫る根拠が微妙に異なっている。今後、2つのアプローチで同じゴールを目指す闘いが司法の場で繰り広げられることになりそうだ。
5月18日、熊本地裁に提訴したのは、関西訴訟原告団長の川上敏行さん(82)と妻カズエさん(80)。夫妻は1973(昭和48)年、熊本県に認定申請したが、34年間も保留状態が続いている。熊本県を相手に、長期間処分しないことの不作為違法確認に加え、熊本県が水俣病と認定するよう求めている。
これに先立つ5月16日、大阪地裁に提訴した原告は、81歳の女性。1980年に認定申請を熊本県から棄却された後、国に行政不服審査を請求したが、2007年3月に棄却された。このため、熊本県だけでなく、国も被告にした。国には行政不服審査請求の棄却取り消し、熊本県には認定申請の棄却処分取り消しと認定を求めている。
水俣病の認定基準について、熊本の訴訟は現行基準が感覚障害の主な原因を末しょう神経の損傷によるものとしている点を問題視。最高裁判決は大脳皮質の損傷による感覚障害があれば被害者と認めたことから、これらの医学的知見を踏まえた新しい認定基準と検診方法確立の必要性を強調。原告夫妻は全身で感覚が鈍るなどの症状があり、大脳皮質の損傷が裏付けられるとして、水俣病と認めるよう求めている。
一方、大阪の訴訟は、複数症状の組み合わせを必要とする現行基準の以前に「有機水銀の影響を否定し得ない場合は認定」としていた71年次官通知によって適正な救済がなされるべきだと主張。71年次官通知に照らして、「原告は水俣病だ」としている。
ただ、両訴訟とも
(1)現行基準が医学的に誤り
(2)原告の行政認定を勝ち取ることで、基準の見直しを迫る
という点は共通する。関西訴訟弁護団の事務局長で、大阪訴訟の代理人を務める田中泰雄弁護士は「手段は違うが、目標は同じ」。
これに対し、潮谷義子知事は「それぞれ主張の中身が異なっており、論点を整理している段階」とした上で、「行政と司法の基準は別」との考えをあらためて強調している。(久間孝志)
→ 訴訟派の2組3人に対して、坂本・小笹は自主交渉派!!?
「最高裁判所が認めたのだから、もう十分でしょ? 認定してよ!」
「初代原告団長夫妻の認定申請を失効させるとは、これ如何に!」と、自力で、愚直に、問うていきます。
とりあえず、記念の資料として保存♪
熊本日日新聞2007年6月11日夕刊
関西訴訟原告が県庁前で座り込み 認定回答得られず
写真:潮谷義子知事(右)に水俣病認定を迫る関西訴訟原告の坂本美代子さん(右から2番目)と小笹恵さん=県庁
水俣病関西訴訟最高裁判決で勝訴した原告の坂本美代子さん(72)=大阪市=と、遺族原告の小笹恵さん(53)=大阪府松原市=が11日午前、県庁を訪れて、公害健康被害補償法に基づき行政が水俣病と認めることなどを求めた。知事と面会したが前向きな回答が得られなかったため、県庁前で座り込みを始めた。
午前9時前、県庁を訪れた坂本さんらは「最高裁判決から3年近くたち、これまで2度県庁を訪れて担当課と交渉したが進展がない。直接知事と会いたい」と要求。潮谷知事は急きょ、約15分の面会に応じた。
1978(昭和53)年に熊本県に認定申請したが、結論が出ず保留中の坂本さんは「申請から30年近くほったらかし。命をもてあそんでいるとしか思えない。知事に行政認定してほしい」と求めた。これに対し潮谷知事は、現在実施中の坂本さんの検診が終わり次第、「早期に認定審査会に諮り、その結論を待ちたい」との意向を示した。
小笹さんの父は関西訴訟の初代原告団長で、母親とともに未処分のまま死亡。死後半年以内に遺族が手続きをしなかったため、公健法の規定で認定申請が失効しているが、小笹さんは失効を取り消すよう求めた。潮谷知事は「お気持ちはよく分かる」としたものの、「行政は法律の枠内で動かなければならない」と述べるにとどまった。
交渉終了後、坂本さんらは「時間も短く、返答にも失望した」として、再度知事との面会を要求。実現するまで県庁前で座り込むとしている。(久間孝志)
「四国新聞」(2007.6.11 18:19)
熊本県庁で座り込み/認定求め水俣病訴訟の原告
写真キャプション:熊本県庁で座り込み/座り込む2女性
水俣病の患者認定などを求め、座り込みを始めた坂本美代子さん(左)と小笹恵さん=11日午後、熊本県庁前
国と熊本県の行政責任を認めた関西水俣病訴訟で勝訴した原告の坂本美代子さん(72)=大阪市=と、両親が原告だった小笹恵さん(53)=大阪府松原市=の2人が11日、公害健康被害補償法に基づく患者認定などを求め熊本県庁で潮谷義子知事と面会。その後、前向きな回答がなかったとして県庁前で座り込みを始めた。
小笹さんの父は同訴訟の初代原告団長で、母とともに勝訴が確定したが、死後半年以内に遺族が手続きをしなかったため認定申請が失効している。
2人によると、約2年前から潮谷知事に面会を求め続けたが、先月になって拒否の返事が来たためこの日直接、県庁を訪問。知事との面会は急きょ実現した。
面会は約15分間。知事は「手順を踏まないと認定はできない。法律の壁もある」などと話し、2人の要求をただちに実現するのは難しいとの説明だったという。
「西日本新聞」夕刊2007.06.11付 11日17時7分配信
関西訴訟原告ら県庁で座り込み 熊本、水俣病認定訴え
水俣病関西訴訟の原告を熊本県は水俣病患者として認定すべきだと訴え、原告の坂本美代子さん(72)=大阪市=ら2人が11日、同県庁で座り込みを始めた。
座り込みを始めたのは坂本さんと、両親が原告として同訴訟に参加し、自身も熊本県に認定を申請している小笹恵さん(53)=大阪府松原市。
2人は午前9時すぎから「関西訴訟原告より潮谷知事へ」などと書いた横断幕を掲げ、座り込みを開始。
2人の行動に気付いた職員の案内で潮谷義子知事に面会し「なぜ原告を認定できないのか」などと訴えた。潮谷知事は「気持ちは分かります」と応じたが、2人は納得せず、再び同じ場所に戻り、横断幕を掲げた。
坂本さんは10歳のときに父親の出身地、熊本県水俣市に移住。姉が水俣病を発症した後、差別を恐れて大阪に移り、1982年に関西訴訟の第一陣原告として参加した。坂本さんは「行政認定を勝ち取るまでここにいる」と話している。
6月11日20時8分配信 毎日新聞
<水俣病>行政認定求め、勝訴の元原告ら座り込み 熊本県庁
水俣病関西訴訟の最高裁判決(04年10月)で勝訴した大阪府在住の元原告ら2人が11日、行政上の認定などを求めて、熊本市の県庁前で座り込みを始めた。2人の座り込みを知った潮谷義子知事は急きょ約10分間面会したが、「気持ちは分かりますが、県は国のシステムの中でやるしかない」と繰り返すにとどまった。
6月12日10時12分配信 毎日新聞
水俣病 行政認定求め、勝訴の元原告ら座り込み 熊本県庁
写真:熊本県庁前のベンチで座り込みを始めた坂本美代子さん(奥の左)、小笹恵さん(奥の右)と説得する県職員ら=11日午前9時53分、笠井光俊撮影
水俣病関西訴訟の最高裁判決(04年10月)で勝訴した大阪府在住の元原告らが11日、行政上の認定などを求めて、熊本市の県庁前で座り込みを始めた。関西訴訟終結後も勝訴した原告らへの認定はなされず、原告団長らが放置の違法確認や認定を求める行政訴訟を起こす事態になっている。
座り込みを始めたのは、訴訟で勝訴しながら約30年前に認定申請したままの状態が続いている坂本美代子さん(72)と、父が初代原告団長だった小笹恵さん(53)。小笹さんは05年、自身の認定申請をした際、93~94年に死去した両親の認定申請が「死後半年以内に更新手続きをしなかった」として失効扱いされていることを知り、両親分の失効取り消しも求めている。
2人の座り込みを知った潮谷義子知事は急きょ約10分間面会したが、「気持ちは分かりますが、県は国のシステムの中でやるしかない」と繰り返すにとどまった。坂本さんは「失望した。被害者のことを理解しているのか」と厳しい表情を見せ、小笹さんは「最高裁で勝って2年以上たつのに何も前進しない。国のシステムなんて、加害者側が勝手に作っただけで、私たちには関係ない」と怒りを隠せない様子だった。
熊本日日新聞2007年6月12日朝刊
県が交渉約束、座り込み解く 関西訴訟勝訴原告ら2人
水俣病の認定を求めて県庁前で座り込みを続けていた関西訴訟勝訴原告の坂本美代子さん(72)=大阪市=らは11日午後、県が十二日に副知事と交渉する機会を設けることを約束したため、座り込みを解いた。
座り込みを実施していたのは、坂本さんと遺族原告の小笹恵さん(53)=大阪府松原市。午後4時半過ぎ、村田真一・環境生活部長が、金澤和夫副知事との交渉を提案。坂本さんらが受け入れた。
坂本さんらは、公害健康被害補償法に基づき行政が水俣病と認めることなどを求めて11日午前、県庁を訪問。潮谷義子知事が急きょ面会に応じたが、前向きな回答がなかったとして約7時間座り込んだ。(久間孝志)
6月13日18時0分配信 毎日新聞(13日朝刊)
水俣病:関西訴訟勝訴の原告2人、国や県の姿勢を批判--副知事と面会 /熊本
◇「患者の痛み分からない」
水俣病関西訴訟の勝訴原告で、行政認定を求めて県庁前で座り込みをしている大阪府在住の坂本美代子さん(72)と遺族原告の小笹恵さん(53)が12日、金澤和夫副知事と3時間半近く面会した。金澤副知事は「座り込みまでさせていることの責任は感じている」と述べたうえで「ただ我々は公害健康被害補償法(公健法)の枠内で動くしかない」と繰り返した。
2人は11日早朝から日中、県庁前のベンチで座り込みを始めた。坂本さんは認定申請から約30年間、放置されてきた。また小笹さんは、母親と初代原告団長だった父親の認定申請が「死後6カ月以内に更新されていなかった」として失効していたことから、失効取り消しも求めている。
金澤副知事との面談で、坂本さんは「死んだ後に認定審査の結果が届いても意味がないし、そもそも認定審査会はこれまで次々と患者を棄却してきた。審査会は信用できない」と詰め寄った。
小笹さんは目頭をハンカチで押さえながら「何十年も苦しんだ末に亡くなった両親のことを思うと、たった6カ月のことで申請が失効していたなんて悔やんでも悔やみきれない。公健法は患者の痛みが分からない法律」と訴えた。
また「『お気持ちは分かります』といった言葉はもう何度も聞いたし、そのたびにむなしい思いになる。国や県は、被害者を救済しようということよりも、自分たちが責められるのを少しでも軽減しようとしているだけ」と述べた。
これに対して金澤副知事は「1人の人間としては気持ちは伝わってくるけれども、法律にがんじがらめで、そういう立場としてなかなか動くことができない」と答えるのが精いっぱいだった。【笠井光俊】
熊本日日新聞2007年6月13日朝刊
関西訴訟勝訴の原告 認定求め副知事と交渉
写真:金澤和夫副知事(手前)に認定を求める坂本美代子さん(左)ら=県庁
水俣病の認定などを求めて県庁前で座り込みをしている関西訴訟勝訴原告の坂本美代子さん(72)=大阪市=と、遺族原告の小笹恵さん(53)=大阪府松原市=が12日、金澤和夫副知事と約3時間交渉した。
1978(昭和53)年、熊本県に認定申請したが保留のままの坂本さんは「最高裁から患者と認められた。どうして行政は認定しないのか」と訴えたが、金澤副知事は「司法認定と行政認定は一体ではない」と、あらためて説明。坂本さんは「以前と同じメンバーの審査会は信用できない」と述べた。
一方、死亡した両親の認定申請の失効取り消しを求めた小笹さんに対し、金澤副知事は「私たちは法律の中で仕事をしている」として、法律上不可能との見解を示した。自身も認定申請中の小笹さんは、審査会への立ち会いや両親の審査会資料の開示などを求めた。 坂本さんらは11日に県庁を訪れ、潮谷義子知事と面会した後、県庁前で約7時間座り込みをした。12日も、交渉に先立って座り込んだほか、出勤途中の県職員らにビラを配って理解を求めた。(久間孝志)