2006年の出来事
2月23日(木)~24日(金) 熊本県庁と熊本地方裁判所へ
2月27日(月) 訃報です。小笹の叔父が亡くなりました!
4月25日(火) 県から小笹家に、、、
5月2日 水俣病50年の追悼カラオケ大会
5月5日 『神戸新聞』メールマガジンから、水俣病の記事を発見!
5月16日 【坂本美代子さんと小笹恵さんの近況】
5月29日 今週、イタイイタイ病の番組が
2006年2月27日(月)夜10時過ぎ、小笹恵の叔父・岩本章が薬効甲斐なく亡くなりました。ガンです。直腸がんに始まって、胆のう、すい臓と転移しました。「あと2、3日かなぁ」と思いながら、病室で叔母(章の妻)と歓談していたところ、肩で息をしていた叔父が、フと見ると静かに逝きました。家族を集める間もありませんでした。
章は、小笹の父・岩本夏義のたった1人の弟で、末っ子の甘えん坊。でも、チッソ水俣病関西訴訟原告団の団長だった兄・夏義の死後は、原告団の副団長(団長は川上敏行さん。高裁から最高裁まで)を務めました。
叔父とはよく喧嘩をしましたが、亡くなってみると寂しいものですね(合掌)。
仮通夜:2月28日(火)夜7:00~8:00
本通夜:3月1日(水)夜7:00~8:00
葬儀:3月2日(木)朝11:00~12:00
場所:堺大阪祭典(参照↓)
弔電などは、式場へお願いいたします。
大阪府堺市深井清水町3776 堺大阪祭典
0722-70-4242
喪主:岩本洋 氏(故人の長男)
イオルメールニュース ―エコ・セルフヘルプ・マガジン―
■No.787
■2006-03-06
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● 生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web
● イオルニュースウォッチ
(1)水俣病関西訴訟の副原告団長、未認定のまま逝去(75歳)
(2)日本各地で使用禁止農薬を検出
(3)過去3年余で東京ドーム約40万個分の南極の氷が消失
(4)二酸化炭素を関知する植物の遺伝子を解明、温暖化影響を探るヒントに
(5)破壊が続くパプアニューギニアの熱帯雨林
● フィリピン地滑り災害【募金情報サイト】のお知らせ
● インフォメーション
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水俣病関西訴訟の副原告団長、未認定のまま逝去(75歳)
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世界的に有名な水俣病事件。これは加害企業だけの責任か。国と熊本県は「その時々において最大限のことはしてきた」と主張してきたが、2004年10月、日本の最高裁判所は、「工場排水の規制を怠った」と判断し、国と熊本県の監督責任を認めた。この裁判の原告は、水俣病による漁業不振のため、熊本・鹿児島の両県から関西に移住し、水俣病の症状に苦しむ58人の男女。最高裁は、58人のうち53人の症状を水俣病と判断したが、国と熊本県は「行政と司法は違う」として水俣病患者と認定しようとしない。
原告の坂本美代子さん(70歳)と遺族原告の小笹恵さん(52歳)は最高裁判決後、「生きている内に」と患者としての認定を求めて熊本県庁と環境省に通っているが、2006年2月 28日(月)夜10時15分、副原告団長の 岩本章さん(75歳)が亡くなった。
章さんは、原告団長だった兄・岩本夏義さんの跡を継ぎ、1994年から副原告団長を務めていた。水俣では家具職人として木工所を開いていたが、水俣病のせいで指が曲がり、閉鎖した。当時の住み込みの弟子は水俣病患者として認定されている。
小笹恵さんの叔父にあたり、よきケンカ友達であった。3月2日(木)に行われた告別式には身内だけで60人以上の参列があり、新天地・関西での一族の絆の強さが伺われた。
取材:エコロジーオンライン/山中由紀
http://www.eco-online.org/
水俣病の認定申請の手続きの一つである疫学調査を見物する機会に恵まれましたので、ご報告いたします。
小笹恵さんが水俣病の認定申請を出したのは、去年の6月のことですが、ようやく次の段階「疫学調査」なるものの順番がきたらしく、「来週あたり、いかがでしょう?」という電話があり、ホンマに一週間後、熊本県から役人さんが小笹家に来られました。
「疫学調査なんて、見たことないと思うけど、来る?」との電話に、私も空いている日でラッキー。坂本美代子さんも、ちょうど阪南中央病院の通院日で、県の人が来るのは3時なのに、12時半から集まって昼食をよばれながら、三人してワイワイと待っていました。
そして、2:55にピンポーン。時間に正確ですな。要注意患者と思われているだろうから、余計かな~。見ると、ロバ顔さんと食パンマンさんの二人連れ。三人もいるので、ギョッとした様子に、恵さん「よく来るんですよ、今日もたまたま~」。
ロバ顔さん「藤本です」
恵さん「藤本さんて、どこかで会ったことあるような」
ロバ顔さん「県庁に来られた時、課長の横にいてますので、応対は課長がもっぱらしていますが。皆さんのお顔は分かります」
私の心の声(げ、私の顔も割れてるの…)
美代子さん「藤本さんて、荒木さんの家にも行きはりました?」
私の心の声(藤本さんが勝手に家の敷地内に入ってきたとか言って、なにやら激怒してたよ~。その多賀雄さんも亡くなって1年過ぎました)
ロバ顔さん「いえ、それは前の藤本です」
恵&美代子「あ~、2人おられるのですか、藤本さんて~」
私の心の声(別の藤本さんで助かりましたね~、藤本さん!)
疫学調査というのは、まず両親や兄弟姉妹の生年月日と現住所と健康状態の聞き取りに始まって、本人のその時々の体の具合と通った病院の名前、さらに症状ごとにわけて「いつから始まったか」「今はどうでしょうか」と続きました。所要時間、3時間。あー、疲れた。「いつもこんなにかかるのですか」と尋ねてみると、ロバ顔さんは「普通は1時間くらいです」とニッコリ。
メモと質問は食パンマン(若者)の役で、補充をロバ顔さんが担当してました。食パンマンの斜め横には、美代子さんが座っていて、私はその横。美代子さんと私の前にロバ顔さんがいて、恵さんは食パンマンの正面にいて、それぞれコタツを囲んでいました。
美代子さんは、恵さんに「あんた、○○も痛いと言っていたやろ~」と口を挟み、恵さんは「あ、そうそう、あのね…」と話を続けたから、時間がかかったのかもしれません。後で聞くと、食パンマンのメモで「-(マイナス)」と書かれていたから、「これは大変!」と思ったからとのこと。
恵さん「マイナスって、なに~?」
わたし「症状がないっていう意味」
恵さん「へ~。私、そんなこと全然、知らなかった~」
美代子さん「あの若いのがマイナスって付けて行くから、これは違うやろって思ってん」
わたし「よく見えましたね~。私の角度からは、何を書いているかは分からなかったですよ」
恵さん「全然、知らなかった~」
わたし「美代子さん、大活躍♪」
私がくちをはさんだのは、一箇所だけ。「母親の流産の件で何か聞いておられますか」との質問に、恵さんが「一番下の弟の次に、一度あったと聞いてます」とのことで…。
わたし「あれ、恵さんの上にもあったのとちがうんですか?」
恵さん「あったかもしれんけど、私は聞いてないもん」
わたし「でも、夏義さんは、たしか『まんだら』の時に…」
恵さん「私の娘の歩くのが遅かったから、遅いわ~と言ったら、父がお前はもっと遅かった!と言われたから、未熟児やったみたいやけど」
ロバ顔さん「未熟児と言われているわけですね」
恵さん「はい」
ロバ顔さん「検診の件ですが」
恵さん「水俣で受けます、大阪より専門やと思うし。どのくらいの日数がかかるのですか?」
ロバ顔さん「水俣ですね。2、3回に分けて来ていただくことになるかも」
恵さん「え、いっぺんにはすまないのですか。ついでに美代子さんのもやれません? 一緒に行けるし」
美代子さん「私は眼科の検診の時に、予約やのに何時間も待たされて疲れ果てて、やっと順番になったら、二重に見えると言っているのに、そんな筈はないと信じてもらえなくて。名前を訊いても答えないし…。だから、立会い人が欲しいんです」
恵さん「そうえいば、関西では保健手帳とその説明書を持っていっても、病院の人が、こんなんは扱っていないし、あんたは水俣病と違うから大丈夫って言われた人がいるんです。なんとかしてください」
ロバ顔さん「あ、それはいけませんね。分かりました。持ち帰って対処します」
ロバ顔さんと食パンマンは、最初と最後に仏壇にお参りしていかれ、県知事との面会の日程調整を引き受けて引き上げられました。
恵さん「仏壇に100円玉が3つあんねんけど、どうしたんやろ」
わたし「美代子さんじゃないんですか?」
恵さん「3枚も置かんやろ」
美代子さん「県の人が1枚ずつ置いて行きはったよ。財布から捜してたもん」
わたし「一万円札、いや千円札を置いとけば…」
恵さん「そういうもんやと思って、合わせて置いてってくれたかも」
三人「儲かったのにな~(爆笑)」
とりあえず、無事に終了してなによりでした。
2006年5月2日(火)、ゴールデンウィーク中の平日ですが、正午から近鉄の河内天美駅前のマンション1階にあるカラオケ屋さんで、追悼カラオケ大会がありました。
美代子さんと恵さんがカラオケするのを私が知ったのは、開会の12時間半前のこと。「何かあったら、教えてね」と普段から言ってくれている人などに、「急な話ですが、追悼カラオケ大会です」とメールで急ぎご連絡。
美代子さんは男の演歌が得意。私は有名な歌しか知らない人、恵さんはいろいろ多彩。あと、唄わない女性が一人の計4人で、スタート。
「宇宙戦艦ヤマト」:美代子さんと私で熱唱する歌の一つ。ただ、今回はテンポが速いのと、画面に出てくるアニメがかわゆい「ルパン三世」でヤマトのイメージに合わず、乗れず…。79点。ありゃりゃ~。
「白い海峡」:恵さん「私が骨折して二ヶ月ほど入院してた時の2時ドラマの主題歌やねん。よう見たわ~」 84点。
「忘れな草をあなたに」:恵さんが90点を目指して熱唱したが、歌詞はあまりにも恵さんの普段の言動とかけ離れている。耐え切れなくなった美代子さんが最後に「プッ」と吹き出し、みなで爆笑。恵さん「なんで笑うのよ~。最高潮やのに~」。残念ながら90点には達せず、88点。
「さよならをするために」:恵さん「名古屋から大阪に来て、化粧品会社に通っていた頃の歌やねん」 84点。
「防波堤の上」:恵さん「男の歌の中で唯一、私が歌えるの」 88点。二度目は84点。
「想い出のセレナーデ」:恵さん「20歳の頃。家ではなく、両親が入院している阪和記念病院から通勤していた頃の歌。みんな遊んでいるのに、どうして私だけと思ったもんよ」 84点。
途中で2人が参加して、結局6人で5980円という、ヘトヘトだけど安上がりで心のこもった追悼会になりました。最高点は96点。授業の後、自転車で駆けつけてくれた市大法学部4回生のM口さん。彼女は、友の会のカラオケ部員です♪
なお、曲目リストは下記の通りです。誰がどれを歌っているかは、ご想像くださいませ~。
<12:32~>
桃色吐息、貴方に尽くします、夕焼け雲、季節の中で、望郷酒場(ここから採点ゲーム開始。85点)、宇宙戦艦ヤマト(79)、歩(80)、夏の夜の夢(88)、ロンド(79)、風雪流れ旅(86)、別れ歌(82)、酒よ(86)、みちのく一人旅(84)、雪椿(87)、明日があるさ(85)、昔の名前で出ています(86)、珍島物語(88)、津軽海峡冬景色(88)、親父の海(81)、親父の海(86)、地上の星(88)、白い海峡(84)、兄弟船(83)、踊るポンポコリン(87)。
<14:39~>
おかあさん(87)、下町の太陽(83)、白雲の城(87)、北酒場(93)、天城越え(85)、男船(85)、前略、道の上から(84)、恋人(86)、小指の想い出(84)、忘れな草をあなたに(88)、達者でナ(81)、北国の春(79)、再会(87)、神田川(79)、さよならをするために(84)、古城(87)、防波堤の上(88)、タッチ(88)、雪国(82)、夏の夜の夢(80)、おてもやん(76)、川(86)、雲に乗りたい(83)、星影のワルツ(88)、前略、道の上から(84)、だんな様(88)。
<16:45~。ここから2人増える>
無法松の一生(84)、花の竜(84)、もう一度逢いたい(80)、アゲハ蝶(86)、骨まで愛して(80)、中の島ブルース(86)、無錫旅情(87)、月虹(79)、津軽平野(85)、防波堤の上(84)、安奈(82)、道頓堀人情(79)、月光花(86)、想い出のセレナーデ(84)、兄弟仁義(83)、ロード(86)、岸壁の母(87)、与作(89)、Run A Way(87)、22歳の別れ(84)、バンザイ(84)、風雪流れ旅(89)、Other Side(88)、旅人(80)、longing 途切れたメロディ(96)、二代目無法松(89)。
『神戸新聞』メールマガジンから、水俣病の記事を発見!
■<あ・ん> 公式確認から半世紀
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50年前の5月1日、熊本県水俣市の病院長から地元保健所に1つの報告が入った。「脳症状を主訴とする原因不明の患者発生」。これが水俣病の「公式確認」とされる。このとき最初に入院した5歳の少女は全身がけいれんし、失明。泣いて苦しむ状態が3年近く続いた後、息を引き取った。
水俣病関西訴訟の原告団長、川上敏行さん(81)が激しい頭痛などに襲われたのは、1968年に大阪に移り住んだ後のこと。元は漁師で、患者が出始めたころは水俣の運輸会社で働いていた。しかし、今回の節目に特別の思いはないと話す。
「公式確認と言いますが、それ以前から患者はおりました。私にとっては、50年よりも『33年』なんです。73年5月に水俣病の認定申請をしましたから」
川上さんは一昨年の最高裁判決で、チッソ工場の排水によるメチル水銀中毒、つまり水俣病と認められた。ところが、行政からは33年たった今も「保留」とされ、未認定患者のままだ。医療費だけは勝訴後の昨年、やっと無料になった。
「司法と行政は違うんですか。それはおかしいでしょう。患者を認定しない国の判断条件を、何としても崩したい」
申請者は最高裁判決後に急増し、約3800人になった。半世紀、と区切りをつけられる問題ではないと、川上さんは言いたいのだろう。その思いは受け止めつつも、やはり「50年」は、私たちにとって考えるべき意味があると思う。この悲劇を社会的に確認しておきながら、解決できずにきた重い月日として。
(編集委員・松岡 健、5月1日)
→ 最初に発病した姉妹のうち、お一人は現在も長姉夫婦の介護を受けられています。姉妹の入院で両親はかかりきり、家に残されたのは中学生の長男以下4人。奇病と差別され、子供ばかりなのに大変な村八分生活だったそうです。
関西訴訟の原告の中で「保留」のままなのは、川上さん夫妻の他に、友の会の3人。坂本美代子さんと川元フミ子さんと荒木多賀雄さんですが、多賀雄さんは「保留」のまま亡くなりました。フミ子さんは裁判で逆転敗訴して、地裁で認容された金額のチッソへの全額返済を求められている「借金大王」! 美代子さんは、演歌の帝王♪
認定基準を変えずとも、原告の皆さんは皆、認定基準を満たしているのではないでしょうか? 「感じない」「見えない」「聞こえない」という患者の訴えを、国と県が「ウソをついている」として受け付けないから、問題が長引いているのです。。。
やまなかゆきです。
2005年は、認定申請した人に届けられる受理通知に、「亡くなった場合は半年以内に手続きしてください」という決まりを、目立つように一枚の紙に独立させて、太字で枠囲みするという成果がありました。
実物を見た恵さんは、「これで気が付けへんのやったら、それは仕方ない。文句を言いに行った甲斐があった」とご満悦。「でも、ウチの両親が失効したのは諦めへんねん。絶対に審査会に掛けてもらう」「今年は知事に会う!!!」とのこと。
美代子さんは、追い回されていたテレビ取材が一段落して、やれやれ。あとは、週末深夜の放映を待つばかり~(孫がイジメに遭いませんように…)。
4月1日(土)
:大阪府堺市の大泉緑地で、お花見。
みんなの都合の合う日はここしかなかったが、一分咲きで寒かった~。
4月25日(火)
:小笹恵さんの自宅に熊本県から2人来はって、疫学調査。
15時から3時間がかりで、みんなグッタリ(普通は1時間で済むらしい)。
美代子さんと私は、12時半~18時半まで同席してお茶してました。
5月2日(火)
:水俣病50年追悼カラオケ大会。正午から19時まで。
延長して19時までいたのではなく最初から予約されてました(笑)。
平日昼間のせいか、1人1000円。最高得点は市大法学部4回生♪
写真をいただきましたので、参加者の皆様にはぼちぼちお届けを!
<テレビ>
5月21日(日)深夜0:25~0:55(22日午前,30分)日本テレビ系
NNNドキュメント06「終わらないミナマタ 公害の原点の半世紀」
→ 最高裁で勝訴した水俣病関西訴訟の原告・坂本美代子さん登場。姉は劇症患者で、両親きょうだいも認定患者。家計を支えるために大阪に出た美代子さんだけ「認定保留」のまま24年経過。感覚障害を伝えるために、腕をバーベキューの串で突っついてみせるシーンは、悲痛。制作:熊本県民テレビ
先般、お知らせを差し上げた水俣病の番組
NNNドキュメント06「終わらないミナマタ 公害の原点の半世紀」(06.5.21)
を、ご覧いただけましたでしょうか?私の元にも「感動した~」という声が届いています。ご覧いただき、ありがとうございます♪
放映直後から、電話が鳴り、とにかくこの一週間、坂本・小笹・私はこの話題で持ちきりでした。この一年は、患者としての行政認定を求めての必死の行動(夜行バスや新幹線に自費で乗って、熊本県庁や環境省を自力で訪ねた)を中心に回っていましたから、そのことが欠落しているなんて…、ずっこけました(笑)。
編集権はテレビ局にあるとはいえ、欠落させると知っていたら、どういう展開になっていたか(坂本&小笹が了承するとは思えない…)と思いました。
現地で申請している人や提訴した人たちが番組を見て、関西の患者のことをどう思ったかも気になります(誰も認定されず、医療費の自己負担分と月1万円の介添費が出る手帳が、生存している勝訴原告に渡されているだけ。しかも、坂本さんは「私はごまかされない。認定して欲しい」と、この手帳の受け取りを拒否しています)。
県民テレビさんは、県庁や環境省に行った際には必ず、夕方のニュースとして丁寧に報道してくださいましたから、感謝しています。その気持ちは変わっていません。マスコミさんにも事情はあるでしょうし(こちらにも事情はありますから、ぶつかり合いですけど)、これからも宜しくお願いいたします。
ところで今週、イタイイタイ病の番組が放映されますので、ご案内いたします。
<イタイイタイ病>
5月31日(水)昼1:20~1:50(30分)NHK教育【2642431】
福祉ネットワーク「イタイイタイ病を生きた35年~患者たちの証言」(06.5.24)
→ 畑明郎さん(大阪市大)のインタビューがあると聞いています♪
参考:『イタイイタイ病の記憶~カドミウム中毒の過去・現在・未来』(桂書房、06年)。
著者の松波淳一氏は、三井金属の科学論争に完勝した弁護士です(尊敬♪)。
最近、取り寄せたのですが、値段の割に大部で立派、イタイイタイ病の集大成の本と思います。オススメ♪