2006年の出来事

2月23日(木)~24日(金) 熊本県庁と熊本地方裁判所へ
2月27日(月) 訃報です。小笹の叔父が亡くなりました!
4月25日(火) 県から小笹家に、、、
5月2日 水俣病50年の追悼カラオケ大会
5月5日 『神戸新聞』メールマガジンから、水俣病の記事を発見!
5月16日 【坂本美代子さんと小笹恵さんの近況
5月29日 今週、イタイイタイ病の番組



2006年2月23日~24日、熊本県庁と熊本地方裁判所へ

2006年の初仕事! 2月23日(木)午後、熊本県庁に行ってきました。記事になったので、記念にご紹介します。

その1【毎日新聞 2006年2月24日】
水俣病:関西訴訟原告、制度見直し切々と訴え--県に認定求める /熊本
本文:国、県の行政責任が確定した水俣病関西訴訟の原告たちが23日、県水俣病対策課を訪れ水俣病認定するよう求めた。現在の認定基準を事実上否定した最高裁判決が出ても、認定制度を見直そうとしない行政に怒りをぶつけた。
 県庁を訪問したのは勝訴原告の坂本美代子さん(70)と遺族原告の小笹恵さん(52)=いずれも大阪在住。坂本さんは28年前に認定申請したが今も保留状態。小笹さんは初代原告団長の父親と母親がいずれも未処分のまま亡くなった。自身も昨年6月に認定申請したが、その際、両親の申請が死後半年内の更新手続きがなかったとして失効していることを知った。
 坂本さんはあくまで水俣病認定を得たいと、勝訴原告に支給された医療費全額助成の手帳を県に返還している。「裁判所は水俣病と認容している。すぐ認定してほしい。高齢で自分には時間がない、死ぬのを待っているのか」と切々と訴えた。交渉中はめまいや頭痛で目元を押さえ、終了後すぐに薬を飲むなど痛々しい姿。
 小笹さんも両親の認定申請の失効を取り消すよう要求。「勝手に半年と期限をつけるのはおかしい。制度を見直すべき。認定されなければ泣きながら死んでいった両親の人生は何だったのかと思う」と不満をぶつけた。応対した県水俣病対策課の谷崎淳一課長は「(委員任期切れのまま休止している)認定審査会が早期再開できるよう努力する」と答えるにとどまった。【山田宏太郎】


その2【熊本日日新聞2006年2月24日朝刊】

見出し:関西訴訟原告2人 県に認定求める
写真説明:「水俣病と認定して」と訴える関西訴訟原告の坂本美代子さん(中)と小笹恵さん(右)=県庁
本文:水俣病関西訴訟最高裁判決で勝訴した原告の坂本美代子さん(70)=大阪市=と、遺族原告の小笹恵さん(52)=大阪府松原市=が23日、県庁を訪れ、公害健康被害補償法に基づき行政が水俣病と認定することなどを求めた。
 1978(昭和53)年に認定申請したが、処分保留が続いている坂本さんは「裁判所が水俣病と認めている。県もすぐに認定すべきだ」と強調。県水俣病対策課の谷崎淳一課長は、委員の任期切れで機能停止が続く認定審査会について「前委員への就任要請に努めている」としながらも、再開のめどが依然立っていないと説明した。
 小笹さんの両親は未処分のまま死亡したが、死後半年以内に遺族が手続きをしなかったため、公健法の規定で認定申請は失効した。小笹さんは「県からの通知がないまま失効したのは納得できない。効力を復活させてほしい」と訴えた。
 二人は潮谷義子知事との面会や、小笹さんの両親の認定審査会資料開示なども求めた。(久間孝志)

→ その1は水俣病50周年の関係で最近取材を始めた記者さん、その2は前からの記者さん。同じ光景の取材記事でも、ずいぶんと違うものです。両親の認定申請が知らない間に失効した悔しさ、最高裁で患者と認められたのに行政からは認められない悔しさ(勝訴しかつ生存している原告には医療費の全額助成と月1万円の介添費が支給される手帳が配布されている。坂本美代子はその手帳を県に返却した)など、少しでも伝わればと思います。
 なお、翌日は、熊本地裁に行ってきました。傍聴券の抽選に3人とも当たったので、3人とも傍聴することが出来ました。裁判のことはもちろん記事になっています。

【熊本日日新聞2006年2月25日朝刊】
見出し:国賠訴訟 「共通診断書」審理に反映 熊本地裁
写真:水俣病国賠訴訟の口頭弁論を前に、集会を開く原告ら=熊本地裁
本文:水俣病不知火患者会(大石利生会長、約千六百人)の患者認定申請者が国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が24日、熊本地裁であり、横山秀憲裁判長は原告らの病状立証に関し、水俣病にかかわる医師らが作成中の「共通診断書」を審理に反映させる考えを示した。
 「共通診断書」は、患者の救済範囲を広げた関西訴訟などの確定判決の病像をベースに検診方法や項目を統一し、大量の新規認定申請者を早期に救済するのが狙い。熊本学園大の原田正純教授が提唱し、今年1月から医師や弁護士らが作業に着手している。
 弁論で横山裁判長は、あらためて「ポイントは原告の症状と、メチル水銀の暴露状況だ」と言及。病状立証について原告側に「共通診断書」のひな型の提出を求めた。また、汚染された魚介類の摂食状況に関しては、認定審査会などで使用している調査項目の提出を双方に求め、「それらをもとに無駄のない審理をしたい」と述べた。
 同日は第2陣504人の初弁論もあり、原告団副団長の山口広則さん(52)=天草郡御所浦町=が「政府解決策の時、周囲の目を気にして名乗り出られなかった患者は多い。一刻も早い司法救済を」と意見陳述。関西訴訟の原告坂本美代子さん(70)=大阪市=と、遺族原告の小笹恵さん(52)=大阪府松原市=が傍聴に訪れた。
 次回は4月28日。弁論後に初めて審理の方向性を詰める進行協議(非公開)を行う。

→ 山口さんと小笹は同年齢で、ビックリ! それにしても裁判の記事に私たちのことまでなんで載っているのかしら。特ダネ? 私たちは弁論をされた原告さん2人に「関西から来ました。頑張ってくださいね」と挨拶して、JRで大阪に戻ったのでした。

なお、速報がメールニュースに載りました♪

イオルメールニュース―エコ・セルフヘルプ・マガジン―

■No.785
                     ■2006-02-27
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  ● 生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web
  ● イオルニュースウォッチ
  (1)水俣病関西訴訟の勝訴原告、認定を求めて熊本県庁へ
  (2)麻薬組織がアマゾン川に有害物質投棄、汚染深刻
  (3)野菜や花を食い荒らす巻き貝、生息域を拡大
  (4)食害防止で、シカやイノシシの狩猟、部分的解禁へ
  (5)今年の夏は暑くなりそう、気象庁が予報発表
  ● フィリピン地滑り災害【募金情報サイト】のお知らせ
  ● インフォメーション
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<先進国&熱帯林の保護官vs伐採で生計を立てる人々>
3月2日(木)夜9:10~10:00(50分)NHK衛星第一【7092869】
BS世界のドキュメンタリー「アマゾン・熱帯雨林パトロール」
 ブラジル政府環境省の違法伐採取り締まりチームに1年間密着。取締vs伐採で生計を立てる地元住民、その実態は? 2005年、イギリスの制作。
→ 地球温暖化防止のためには熱帯雨林の保護が大切。とはいえ、エネルギー消費大国が、消費小国の伐採を評論するのは、何か違うような気が…

空いた時間をどう過ごす?
http://ecotv.o.oo7.jp/

「生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web」
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           ■ イオルニュースウォッチ ■

■ 1 ■
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水俣病関西訴訟の勝訴原告、認定を求めて熊本県庁へ
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 水俣病の患者救済は、熊本県(ほかに鹿児島県、新潟県)が認めた人に対して加害企業のチッソや昭和電工が補償金と年金と医療費を支払うことで実行される。認定を求めて裁判を起こし、最高裁で2004年秋に勝訴確定した坂本美代子さん(70歳)と遺族原告の小笹恵さん(52歳)が、2月23日、熊本県水俣病対策課を訪ね、水俣病患者としての救済を求め、これにエコロジーオンラインのスタッフも同行した。

小笹さんは「私も認定申請をして9カ月になるが、検診の順番はまだですか」と尋ねると共に、「両親のカルテが県に残っているのなら、返してほしい。手許に置きたい」「申請中に亡くなったら遺族が手続きをしないと失効するなんて、そんな大事なことを加害者が勝手に決めるのはおかしい。私は諦めない。ちゃんと審査会にかけてほしい」「水俣病対策課なのだから、ちゃんと踏み込んで、対策をしてほしい」「患者と認定してください」「知事に会わせてほしい」と訴えた。

坂本さんは「認定申請をして26年になるが、私は保留のまま」「いつも頭痛と耳鳴りがしていて、セデスが手放せない」「薬の研究を進めて欲しい。私の体を実験に使っても構わない」「ボケてから認定されても遅い。早く患者と認定して、助けてほしい」「遺族が出す手続き書類を持って帰りたい。息子や娘に渡しておきたいから」と訴えた。

約2時間にわたって応対した水俣病対策課長ら3人は、「知事は上京しています」「お気持ちはよく分かりますが、法律的にはどうしようもないのです」「知事や環境省には伝えています」「亡くなった後の手続き書類ですか…、そんなことは考えたくないです」と答えた。 課長の白髪は、昨年と比べて明らかに増しており、心労の様子がうかがえた。

翌24日は、水俣病患者としての救済を求めて昨年に始まった「ノーモア・ミナマタ訴訟」(原告約800人)を約2倍の抽選に当選して傍聴。意見陳述に立った原告2人を熊本地裁の門前で見つけ、「関西から来ました。頑張ってくださいね」とエールをおくった。

取材:エコロジーオンライン/山中由紀
http://www.eco-online.org/






2006年2月27日(月) 訃報です。小笹の叔父が亡くなりました。

2006年2月27日(月)夜10時過ぎ、小笹恵の叔父・岩本章が薬効甲斐なく亡くなりました。ガンです。直腸がんに始まって、胆のう、すい臓と転移しました。「あと2、3日かなぁ」と思いながら、病室で叔母(章の妻)と歓談していたところ、肩で息をしていた叔父が、フと見ると静かに逝きました。家族を集める間もありませんでした。

 章は、小笹の父・岩本夏義のたった1人の弟で、末っ子の甘えん坊。でも、チッソ水俣病関西訴訟原告団の団長だった兄・夏義の死後は、原告団の副団長(団長は川上敏行さん。高裁から最高裁まで)を務めました。
 叔父とはよく喧嘩をしましたが、亡くなってみると寂しいものですね(合掌)。

仮通夜:2月28日(火)夜7:00~8:00
本通夜:3月1日(水)夜7:00~8:00
葬儀:3月2日(木)朝11:00~12:00

場所:堺大阪祭典(参照↓)
弔電などは、式場へお願いいたします。
 大阪府堺市深井清水町3776 堺大阪祭典
 0722-70-4242
 喪主:岩本洋 氏(故人の長男)


イオルメールニュース ―エコ・セルフヘルプ・マガジン―
■No.787
            ■2006-03-06
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  ● 生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web
  ● イオルニュースウォッチ
  (1)水俣病関西訴訟の副原告団長、未認定のまま逝去(75歳)
  (2)日本各地で使用禁止農薬を検出
  (3)過去3年余で東京ドーム約40万個分の南極の氷が消失
  (4)二酸化炭素を関知する植物の遺伝子を解明、温暖化影響を探るヒントに
  (5)破壊が続くパプアニューギニアの熱帯雨林
  ● フィリピン地滑り災害【募金情報サイト】のお知らせ
  ● インフォメーション

■ 1 ■
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水俣病関西訴訟の副原告団長、未認定のまま逝去(75歳)
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 世界的に有名な水俣病事件。これは加害企業だけの責任か。国と熊本県は「その時々において最大限のことはしてきた」と主張してきたが、2004年10月、日本の最高裁判所は、「工場排水の規制を怠った」と判断し、国と熊本県の監督責任を認めた。この裁判の原告は、水俣病による漁業不振のため、熊本・鹿児島の両県から関西に移住し、水俣病の症状に苦しむ58人の男女。最高裁は、58人のうち53人の症状を水俣病と判断したが、国と熊本県は「行政と司法は違う」として水俣病患者と認定しようとしない。
 原告の坂本美代子さん(70歳)と遺族原告の小笹恵さん(52歳)は最高裁判決後、「生きている内に」と患者としての認定を求めて熊本県庁と環境省に通っているが、2006年2月 28日(月)夜10時15分、副原告団長の 岩本章さん(75歳)が亡くなった。
 章さんは、原告団長だった兄・岩本夏義さんの跡を継ぎ、1994年から副原告団長を務めていた。水俣では家具職人として木工所を開いていたが、水俣病のせいで指が曲がり、閉鎖した。当時の住み込みの弟子は水俣病患者として認定されている。
 小笹恵さんの叔父にあたり、よきケンカ友達であった。3月2日(木)に行われた告別式には身内だけで60人以上の参列があり、新天地・関西での一族の絆の強さが伺われた。
取材:エコロジーオンライン/山中由紀
http://www.eco-online.org/






2006年4月25日(火) 県から小笹家に、、、

水俣病の認定申請の手続きの一つである疫学調査を見物する機会に恵まれましたので、ご報告いたします。

 小笹恵さんが水俣病の認定申請を出したのは、去年の6月のことですが、ようやく次の段階「疫学調査」なるものの順番がきたらしく、「来週あたり、いかがでしょう?」という電話があり、ホンマに一週間後、熊本県から役人さんが小笹家に来られました。

 「疫学調査なんて、見たことないと思うけど、来る?」との電話に、私も空いている日でラッキー。坂本美代子さんも、ちょうど阪南中央病院の通院日で、県の人が来るのは3時なのに、12時半から集まって昼食をよばれながら、三人してワイワイと待っていました。
 そして、2:55にピンポーン。時間に正確ですな。要注意患者と思われているだろうから、余計かな~。見ると、ロバ顔さんと食パンマンさんの二人連れ。三人もいるので、ギョッとした様子に、恵さん「よく来るんですよ、今日もたまたま~」。

ロバ顔さん「藤本です」
恵さん「藤本さんて、どこかで会ったことあるような」
ロバ顔さん「県庁に来られた時、課長の横にいてますので、応対は課長がもっぱらしていますが。皆さんのお顔は分かります」
私の心の声(げ、私の顔も割れてるの…)

美代子さん「藤本さんて、荒木さんの家にも行きはりました?」
私の心の声(藤本さんが勝手に家の敷地内に入ってきたとか言って、なにやら激怒してたよ~。その多賀雄さんも亡くなって1年過ぎました)
ロバ顔さん「いえ、それは前の藤本です」
恵&美代子「あ~、2人おられるのですか、藤本さんて~」
私の心の声(別の藤本さんで助かりましたね~、藤本さん!)

 疫学調査というのは、まず両親や兄弟姉妹の生年月日と現住所と健康状態の聞き取りに始まって、本人のその時々の体の具合と通った病院の名前、さらに症状ごとにわけて「いつから始まったか」「今はどうでしょうか」と続きました。所要時間、3時間。あー、疲れた。「いつもこんなにかかるのですか」と尋ねてみると、ロバ顔さんは「普通は1時間くらいです」とニッコリ。

 メモと質問は食パンマン(若者)の役で、補充をロバ顔さんが担当してました。食パンマンの斜め横には、美代子さんが座っていて、私はその横。美代子さんと私の前にロバ顔さんがいて、恵さんは食パンマンの正面にいて、それぞれコタツを囲んでいました。
 美代子さんは、恵さんに「あんた、○○も痛いと言っていたやろ~」と口を挟み、恵さんは「あ、そうそう、あのね…」と話を続けたから、時間がかかったのかもしれません。後で聞くと、食パンマンのメモで「-(マイナス)」と書かれていたから、「これは大変!」と思ったからとのこと。

恵さん「マイナスって、なに~?」
わたし「症状がないっていう意味」
恵さん「へ~。私、そんなこと全然、知らなかった~」
美代子さん「あの若いのがマイナスって付けて行くから、これは違うやろって思ってん」
わたし「よく見えましたね~。私の角度からは、何を書いているかは分からなかったですよ」
恵さん「全然、知らなかった~」
わたし「美代子さん、大活躍♪」

 私がくちをはさんだのは、一箇所だけ。「母親の流産の件で何か聞いておられますか」との質問に、恵さんが「一番下の弟の次に、一度あったと聞いてます」とのことで…。
わたし「あれ、恵さんの上にもあったのとちがうんですか?」
恵さん「あったかもしれんけど、私は聞いてないもん」
わたし「でも、夏義さんは、たしか『まんだら』の時に…」
恵さん「私の娘の歩くのが遅かったから、遅いわ~と言ったら、父がお前はもっと遅かった!と言われたから、未熟児やったみたいやけど」
ロバ顔さん「未熟児と言われているわけですね」
恵さん「はい」

ロバ顔さん「検診の件ですが」
恵さん「水俣で受けます、大阪より専門やと思うし。どのくらいの日数がかかるのですか?」
ロバ顔さん「水俣ですね。2、3回に分けて来ていただくことになるかも」
恵さん「え、いっぺんにはすまないのですか。ついでに美代子さんのもやれません? 一緒に行けるし」
美代子さん「私は眼科の検診の時に、予約やのに何時間も待たされて疲れ果てて、やっと順番になったら、二重に見えると言っているのに、そんな筈はないと信じてもらえなくて。名前を訊いても答えないし…。だから、立会い人が欲しいんです」
恵さん「そうえいば、関西では保健手帳とその説明書を持っていっても、病院の人が、こんなんは扱っていないし、あんたは水俣病と違うから大丈夫って言われた人がいるんです。なんとかしてください」
ロバ顔さん「あ、それはいけませんね。分かりました。持ち帰って対処します」

 ロバ顔さんと食パンマンは、最初と最後に仏壇にお参りしていかれ、県知事との面会の日程調整を引き受けて引き上げられました。
恵さん「仏壇に100円玉が3つあんねんけど、どうしたんやろ」
わたし「美代子さんじゃないんですか?」
恵さん「3枚も置かんやろ」
美代子さん「県の人が1枚ずつ置いて行きはったよ。財布から捜してたもん」
わたし「一万円札、いや千円札を置いとけば…」
恵さん「そういうもんやと思って、合わせて置いてってくれたかも」
三人「儲かったのにな~(爆笑)」

 とりあえず、無事に終了してなによりでした。





2006年5月2日 水俣病50年の追悼カラオケ大会

2006年5月2日(火)、ゴールデンウィーク中の平日ですが、正午から近鉄の河内天美駅前のマンション1階にあるカラオケ屋さんで、追悼カラオケ大会がありました。
 美代子さんと恵さんがカラオケするのを私が知ったのは、開会の12時間半前のこと。「何かあったら、教えてね」と普段から言ってくれている人などに、「急な話ですが、追悼カラオケ大会です」とメールで急ぎご連絡。

 美代子さんは男の演歌が得意。私は有名な歌しか知らない人、恵さんはいろいろ多彩。あと、唄わない女性が一人の計4人で、スタート。

「宇宙戦艦ヤマト」:美代子さんと私で熱唱する歌の一つ。ただ、今回はテンポが速いのと、画面に出てくるアニメがかわゆい「ルパン三世」でヤマトのイメージに合わず、乗れず…。79点。ありゃりゃ~。

「白い海峡」:恵さん「私が骨折して二ヶ月ほど入院してた時の2時ドラマの主題歌やねん。よう見たわ~」 84点。

「忘れな草をあなたに」:恵さんが90点を目指して熱唱したが、歌詞はあまりにも恵さんの普段の言動とかけ離れている。耐え切れなくなった美代子さんが最後に「プッ」と吹き出し、みなで爆笑。恵さん「なんで笑うのよ~。最高潮やのに~」。残念ながら90点には達せず、88点。

「さよならをするために」:恵さん「名古屋から大阪に来て、化粧品会社に通っていた頃の歌やねん」 84点。

「防波堤の上」:恵さん「男の歌の中で唯一、私が歌えるの」 88点。二度目は84点。

「想い出のセレナーデ」:恵さん「20歳の頃。家ではなく、両親が入院している阪和記念病院から通勤していた頃の歌。みんな遊んでいるのに、どうして私だけと思ったもんよ」 84点。

 途中で2人が参加して、結局6人で5980円という、ヘトヘトだけど安上がりで心のこもった追悼会になりました。最高点は96点。授業の後、自転車で駆けつけてくれた市大法学部4回生のM口さん。彼女は、友の会のカラオケ部員です♪

 なお、曲目リストは下記の通りです。誰がどれを歌っているかは、ご想像くださいませ~。

<12:32~>
桃色吐息、貴方に尽くします、夕焼け雲、季節の中で、望郷酒場(ここから採点ゲーム開始。85点)、宇宙戦艦ヤマト(79)、歩(80)、夏の夜の夢(88)、ロンド(79)、風雪流れ旅(86)、別れ歌(82)、酒よ(86)、みちのく一人旅(84)、雪椿(87)、明日があるさ(85)、昔の名前で出ています(86)、珍島物語(88)、津軽海峡冬景色(88)、親父の海(81)、親父の海(86)、地上の星(88)、白い海峡(84)、兄弟船(83)、踊るポンポコリン(87)。

<14:39~>
おかあさん(87)、下町の太陽(83)、白雲の城(87)、北酒場(93)、天城越え(85)、男船(85)、前略、道の上から(84)、恋人(86)、小指の想い出(84)、忘れな草をあなたに(88)、達者でナ(81)、北国の春(79)、再会(87)、神田川(79)、さよならをするために(84)、古城(87)、防波堤の上(88)、タッチ(88)、雪国(82)、夏の夜の夢(80)、おてもやん(76)、川(86)、雲に乗りたい(83)、星影のワルツ(88)、前略、道の上から(84)、だんな様(88)。

<16:45~。ここから2人増える>
無法松の一生(84)、花の竜(84)、もう一度逢いたい(80)、アゲハ蝶(86)、骨まで愛して(80)、中の島ブルース(86)、無錫旅情(87)、月虹(79)、津軽平野(85)、防波堤の上(84)、安奈(82)、道頓堀人情(79)、月光花(86)、想い出のセレナーデ(84)、兄弟仁義(83)、ロード(86)、岸壁の母(87)、与作(89)、Run A Way(87)、22歳の別れ(84)、バンザイ(84)、風雪流れ旅(89)、Other Side(88)、旅人(80)、longing 途切れたメロディ(96)、二代目無法松(89)。





2006年5月5日 『神戸新聞』メールマガジンから、水俣病の記事を発見!

『神戸新聞』メールマガジンから、水俣病の記事を発見! 

■<あ・ん> 公式確認から半世紀
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 50年前の5月1日、熊本県水俣市の病院長から地元保健所に1つの報告が入った。「脳症状を主訴とする原因不明の患者発生」。これが水俣病の「公式確認」とされる。このとき最初に入院した5歳の少女は全身がけいれんし、失明。泣いて苦しむ状態が3年近く続いた後、息を引き取った。
 
 水俣病関西訴訟の原告団長、川上敏行さん(81)が激しい頭痛などに襲われたのは、1968年に大阪に移り住んだ後のこと。元は漁師で、患者が出始めたころは水俣の運輸会社で働いていた。しかし、今回の節目に特別の思いはないと話す。
 
 「公式確認と言いますが、それ以前から患者はおりました。私にとっては、50年よりも『33年』なんです。73年5月に水俣病の認定申請をしましたから」
 
 川上さんは一昨年の最高裁判決で、チッソ工場の排水によるメチル水銀中毒、つまり水俣病と認められた。ところが、行政からは33年たった今も「保留」とされ、未認定患者のままだ。医療費だけは勝訴後の昨年、やっと無料になった。
 
 「司法と行政は違うんですか。それはおかしいでしょう。患者を認定しない国の判断条件を、何としても崩したい」
 
 申請者は最高裁判決後に急増し、約3800人になった。半世紀、と区切りをつけられる問題ではないと、川上さんは言いたいのだろう。その思いは受け止めつつも、やはり「50年」は、私たちにとって考えるべき意味があると思う。この悲劇を社会的に確認しておきながら、解決できずにきた重い月日として。
(編集委員・松岡 健、5月1日)

→ 最初に発病した姉妹のうち、お一人は現在も長姉夫婦の介護を受けられています。姉妹の入院で両親はかかりきり、家に残されたのは中学生の長男以下4人。奇病と差別され、子供ばかりなのに大変な村八分生活だったそうです。

 関西訴訟の原告の中で「保留」のままなのは、川上さん夫妻の他に、友の会の3人。坂本美代子さんと川元フミ子さんと荒木多賀雄さんですが、多賀雄さんは「保留」のまま亡くなりました。フミ子さんは裁判で逆転敗訴して、地裁で認容された金額のチッソへの全額返済を求められている「借金大王」! 美代子さんは、演歌の帝王♪

 認定基準を変えずとも、原告の皆さんは皆、認定基準を満たしているのではないでしょうか? 「感じない」「見えない」「聞こえない」という患者の訴えを、国と県が「ウソをついている」として受け付けないから、問題が長引いているのです。。。





5月16日 【坂本美代子さんと小笹恵さんの近況】

やまなかゆきです。

 2005年は、認定申請した人に届けられる受理通知に、「亡くなった場合は半年以内に手続きしてください」という決まりを、目立つように一枚の紙に独立させて、太字で枠囲みするという成果がありました。

 実物を見た恵さんは、「これで気が付けへんのやったら、それは仕方ない。文句を言いに行った甲斐があった」とご満悦。「でも、ウチの両親が失効したのは諦めへんねん。絶対に審査会に掛けてもらう」「今年は知事に会う!!!」とのこと。

 美代子さんは、追い回されていたテレビ取材が一段落して、やれやれ。あとは、週末深夜の放映を待つばかり~(孫がイジメに遭いませんように…)。

4月1日(土)
:大阪府堺市の大泉緑地で、お花見。
 みんなの都合の合う日はここしかなかったが、一分咲きで寒かった~。

4月25日(火)
:小笹恵さんの自宅に熊本県から2人来はって、疫学調査。
 15時から3時間がかりで、みんなグッタリ(普通は1時間で済むらしい)。
 美代子さんと私は、12時半~18時半まで同席してお茶してました。

5月2日(火)
:水俣病50年追悼カラオケ大会。正午から19時まで。
 延長して19時までいたのではなく最初から予約されてました(笑)。
 平日昼間のせいか、1人1000円。最高得点は市大法学部4回生♪
 写真をいただきましたので、参加者の皆様にはぼちぼちお届けを!

<テレビ>
5月21日(日)深夜0:25~0:55(22日午前,30分)日本テレビ系
NNNドキュメント06「終わらないミナマタ 公害の原点の半世紀」
→ 最高裁で勝訴した水俣病関西訴訟の原告・坂本美代子さん登場。姉は劇症患者で、両親きょうだいも認定患者。家計を支えるために大阪に出た美代子さんだけ「認定保留」のまま24年経過。感覚障害を伝えるために、腕をバーベキューの串で突っついてみせるシーンは、悲痛。制作:熊本県民テレビ





5月29日 今週、イタイイタイ病の番組

先般、お知らせを差し上げた水俣病の番組

NNNドキュメント06「終わらないミナマタ 公害の原点の半世紀」(06.5.21)

を、ご覧いただけましたでしょうか?私の元にも「感動した~」という声が届いています。ご覧いただき、ありがとうございます♪
 放映直後から、電話が鳴り、とにかくこの一週間、坂本・小笹・私はこの話題で持ちきりでした。この一年は、患者としての行政認定を求めての必死の行動(夜行バスや新幹線に自費で乗って、熊本県庁や環境省を自力で訪ねた)を中心に回っていましたから、そのことが欠落しているなんて…、ずっこけました(笑)。

 編集権はテレビ局にあるとはいえ、欠落させると知っていたら、どういう展開になっていたか(坂本&小笹が了承するとは思えない…)と思いました。
現地で申請している人や提訴した人たちが番組を見て、関西の患者のことをどう思ったかも気になります(誰も認定されず、医療費の自己負担分と月1万円の介添費が出る手帳が、生存している勝訴原告に渡されているだけ。しかも、坂本さんは「私はごまかされない。認定して欲しい」と、この手帳の受け取りを拒否しています)。

 県民テレビさんは、県庁や環境省に行った際には必ず、夕方のニュースとして丁寧に報道してくださいましたから、感謝しています。その気持ちは変わっていません。マスコミさんにも事情はあるでしょうし(こちらにも事情はありますから、ぶつかり合いですけど)、これからも宜しくお願いいたします。

 ところで今週、イタイイタイ病の番組が放映されますので、ご案内いたします。

<イタイイタイ病>
5月31日(水)昼1:20~1:50(30分)NHK教育【2642431】
福祉ネットワーク「イタイイタイ病を生きた35年~患者たちの証言」(06.5.24)
→ 畑明郎さん(大阪市大)のインタビューがあると聞いています♪
参考:『イタイイタイ病の記憶~カドミウム中毒の過去・現在・未来』(桂書房、06年)。
 著者の松波淳一氏は、三井金属の科学論争に完勝した弁護士です(尊敬♪)。
 最近、取り寄せたのですが、値段の割に大部で立派、イタイイタイ病の集大成の本と思います。オススメ♪