2003年の出来事
1月28日 新生・関西水俣友の会 挨拶
資料1)「検診拒否者」扱いに抗議 水俣病関西訴訟原告(熊本日日新聞2003.1.28朝刊)
資料2)「熊本県知事への再抗議文」2003.1.28付
資料3)「熊本県知事に出した最初の抗議文」2003.1.24付
2月7日(金) 「関西水俣友の会」として初めての語り部活動@甲南女子高校
資料「日能研関西Web情報通信」2003.2.21号
2月26日(水) 関西訴訟の弁護士と話をしてきました!
2月26日(水) 同日付の熊本日日新聞の記事の紹介と私たちのコメント
3月4日(火) 同日付の熊本日日新聞の記事の紹介と私たちのコメント
3月12日(水) 熊本県による検診のススメについて、会員の荒木多賀雄さんのメモ
3月14日(金) 3月3日付の熊本県による「保留処分」への抗議文
3月20日(木) 荒木多賀雄さん、熊本県庁へ
3月21日(金) 「水俣病一次訴訟判決30周年記念集会」へのメッセージ!
4月6日(日) 大泉緑地で、お花見会
関西の水俣病患者の問題に関心を寄せていただいている方々へ |
2003年1月28日の熊本日日新聞に別紙の記事が出ましたが、「関西水俣友の会」というのをよくご存知ない方も多いかと思いますので、この機会にご挨拶方々、報告をさせていただきます。 私たちは記事にありますように水俣病関西訴訟の原告です。関西訴訟は大阪高裁で行政責任を認める判決が出ましたが、私たちの再三にわたる要請にもかかわらず、国・熊本県が上告したため、最高裁でまだ裁判が続いています。 一方、高裁判決はあろうことか、全額返還の2名を含む総額6000万円にも上る損害賠償の減額分とその利子をチッソへ返還するよう命じたため、とてもこれには従えないと私たちの方からも上告しています。 私たちは関西訴訟に心を寄せて下さる人たちに、関西訴訟はもともと患者が泣き寝入りしないために裁判を始めたことを忘れないでほしいと願っています。 私たちは患者同士が寄り合い、話し合い、助け合うために作った関西患者の会の初心に立ち返り、1年前に「関西水俣友の会」を作りました。その後、これまでのいきさつもあり、表立った活動は控えてきましたが、患者の声がいつまでも皆様に伝わっていないことに気がつき、今年からは私たちも患者としての声をあげていこうと決心し、役員も新たに選び直しました。 その直後に起こった今回の「検診拒否者」問題は、会員の3名に関わることですので、熊本日日新聞の記事をもとに急遽、熊本県知事へ抗議文を送ったしだいです。抗議文の段階では坂本美代子と荒木多賀雄と書きましたが、その後、「検診拒否者」とされたのは坂本美代子と川元文子であることが判明しました。しかし、川元文子は昨秋から手術で病院を転々としており、県職員が訪ねてきたようですが実際に面談したこともなく、説得をしたとはどんな口でも言えるはずがありません。 今日の熊本日日新聞の記事では「訴訟で争っている相手であり、現時点では(主治医の)立ち会いは認められない」と言ってるそうですが、それなら訴訟中の原告全員について認定審査自体を一旦停止すべきで、「検診拒否者」と確定した上で審査対象にするなどもってのほかではないでしょうか。 この件では、再度、知事に抗議文を送りましたので、ご参照下さい。 私たちは今後も患者としての声をあげるとともに、私たちの経験をできるだけ多くの人たちに伝えたいと思っています。患者の話を聞きたいというお申し出にはできる限り協力したいと思っておりますので、その節は遠慮なくご相談下さい。 2003年1月28日 関西水俣友の会 会長:坂本美代子 副会長:川元文子・芝シズエ 会計:小笹 恵 |
(資料1)2003年1月28日「熊本日日新聞」朝刊 |
(資料1)2003年1月28日「熊本日日新聞」朝刊 「検診拒否者」扱いに抗議 水俣病関西訴訟原告 ← 見出し 本文↓ 最高裁で係争中の水俣病関西訴訟の原告でつくる「関西水俣友の会」は二十七日までに、水俣病の認定申請で、県が原告四人を「検診拒否者」としたことに対して、撤回を求める抗議文書を潮谷義子知事に送った。 文書は「主治医の診断を尊重するとした国会の付帯決議に基づき、詳細な診断書を提出して水俣病かどうかの判断を求めてきた。単純に検診を拒否しているわけではない」として、あらためて主治医の診断書を認定審査の資料にするよう要求。その上で、検診を受ける場合、「主治医と弁護士の立ち会いを認めること」を求めている。 会長の坂本美代子さん(67)=大阪市=は「検診拒否者と決め付けた県の対応は一方的。受診しないとは言っていない。県の検診医が水俣病を分かっているのか疑問で、主治医の立ち会いを求めたい」と話している。 これに対して、県水俣病対策課は「訴訟で争っている相手であり、現時点では立ち会いは認められない」としている。 |
(資料2)熊本県知事への再抗議文 |
(資料2)熊本県知事への再抗議文 熊本県知事 潮谷義子殿 私たちは先日(2003.1.24)、熊本県が私たちの会の会員2名を含む水俣病関西訴訟原告4名を水俣病認定審査にかかわる「検診拒否者」とされたことに対し抗議文を送りましたが、2003年1月28日の『熊本日日新聞』朝刊を拝見して、さらに驚きました。 記事によれば、県水俣病対策課は「訴訟で争っている相手であり、現時点では(主治医の)立ち会いは認められない」とあります。 百歩譲って、もしそうなら、訴訟原告の全員について認定審査自体を一旦停止するのが筋ではありませんか。一方では訴訟を理由に「主治医の立ち会いを認めず」、その一方では訴訟中でも「検診拒否者」として審査会にかけるなど、矛盾しているとは思われませんか。 先日の抗議文の段階では私たちの会からは坂本美代子と荒木多賀雄が対象者と思われると書きましたが、その後、坂本美代子と川元文子と判明しました。しかし、川元文子は昨秋来、手術で病院を転々としていましたので、貴県の職員が訪ねてきた形跡はありましたが実際に面談したこともなく、それこそ説得など受けた覚えはございません。いずれにしろ、前回の抗議文の趣旨は変わりませんので、再度、考え直していただきたくお願いするしだいです。 2003年1月28日 関西水俣友の会 会長:坂本美代子 副会長:川元文子・芝シズエ 会計:小笹 恵 |
(資料3)熊本県知事に出した最初の抗議文 |
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(資料3)熊本県知事に出した最初の抗議文 熊本県知事 潮谷義子殿 私たちは、関西在住の水俣病未認定患者で作っている集まりです。最高裁で係争中のチッソ水俣病関西訴訟の原告でもあります。 さて、平成15年1月22日付け『熊本日日新聞』を拝見して、私たちは驚きました。 http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20030122.1.html
まだ正式に通知は来ておりませんが、「検診拒否者」とされた4人のうち、2人は、私たちの会の会長の坂本美代子と会員の荒木多賀雄と思われます。 この2人は、ご承知のように、大阪地方裁判所と大阪高等裁判所の両方の判決で損害賠償を認容されています。 私たちは、昭和55年9月以来、阪南中央病院の主治医による詳細な診断書を提出し、これをもって水俣病かどうかを判断するように求め続けてきた経緯があります。これは、公害健康被害補償法制定の際の「認定審査についての意見を決めるにあたっては、特に健康被害者の治療を担当している主治医の診断が尊重されるよう配慮すること」との国会の委員会付帯決議にもとづいています。 したがって、私たちは単純に検診を拒否しているわけではありません。 しかし、認定申請しても県からはいつまでも認定されないため、私たちはやむなく司法に認定を求めて昭和57年10月に大阪地方裁判所へ提訴しました。その結果、先ほど申しましたように、一審でも二審でも水俣病に罹患しているとして認容されたわけですが、私たちの再三にわたる要請にもかかわらず、国と熊本県が非情にも上告されたため、現在に至っているわけです。 それなのに、平成14年11月になって、急に「県の検診を受けていない」と論難され、その2ヶ月後には「県の検診を拒否している」と決め付けられるとは、どういうことでしょうか。 新聞によれば、県は訪問や電話で説得をしたとありますが、坂本美代子はその電話に対し、「これまで27年間もほったらかしといて、何で今さら検診を強制されないかんのか。私はもう7回も検診を受けてるんだから、そのカルテを使って下さい。それに阪南中央病院の診断書もあるんだから、それを使って下さい」と申しました。また荒木多賀雄の家には、県職員が勝手に裏口から入り込んだそうですが、その職員に対し荒木は「どうしてもというのなら、代理人と主治医の立会いを認めてほしい。どうか?」と問い質しましたが、確答をしなかったそうです。これで「説得したにもかかわらず」と表現するのは、あまりにひどいというべきではありませんか。 私たちは、4人を「検診拒否者」とされることに厳重に抗議し、これを撤回することと、主治医の診断書を認定審査の資料とすること、もし県の検診をどうしても受けろというのなら、代理人と主治医の立会いを認めることを要求します。 2003年1月24日 関西水俣友の会 会長 坂本美代子 |
2003年2月7日(金)「関西水俣友の会」として初めての語り部活動をしました! |
語り部をしに出かけたところ、毎日新聞神戸支局や神戸新聞、熊本日日新聞、日能研(塾)から取材陣が来ておられ、地元紙では翌朝の記事になりました。 語り部の記事その1:毎日新聞(2003年2月8日神戸版) 見出し:「水俣病患者ら高校生に講演 東灘・甲南女子高で」 チッソ水俣病関西訴訟の原告団の坂本美代子さん(67)と、元原告団団長の岩本夏義さんの娘、小笹恵さん(49)が7日、神戸市東灘区の甲南女子高校で生徒ら30人を前に講演した。
(こちらは、写真付きでした! はずかし~) 見出し:水俣病訴訟原告招き授業 同世代に伝えたい 甲南女子高1年生 20日から研修旅行で現地取材 水俣病関西訴訟の原告を招いた授業が7日、甲南女子高校(神戸市東灘区)で開かれた。同校1年生は昨年秋から水俣病の学習に取り組んでおり、20日からは二泊三日の研修旅行で水俣を訪れる。学習の成果は生徒らがビデオにまとめ、春の文化祭で発表する。 (平井麻衣子) 同校では毎週金曜日の5、6時間目、1年生に「探求」の授業がある。本年度は環境がテーマで、約160人が「人間環境と福祉」「地域環境と神戸」など5講座に分かれ学習。昨年11月以降、各講座で水俣病を取り上げている。
見出し:「水俣の今」を体験 神戸・甲南女子高生が20日から現地訪問 写真のキャプション:講師として招かれた坂本さん(右)ら関西訴訟原告の話に聞き入る甲南女子高の生徒たち=神戸市 神戸市の甲南女子高(采女節子校長)の一年生が、環境の授業で水俣病と取り組んでいる。関連する本を読み、患者の話を聞き、遠い存在だった水俣病に少しでも近づこうと学習を重ねてきた。二十日から、水俣市を訪れ「水俣の今」を体験、あらためて環境について考える。 「姉の発病で無視された生活が始まった。昨日まで仲のよかった同級生でさえ、口をきいてくれない。家族の会話もなく、毎日が通夜のよう。看病を続けながら、姉を殺して自分も死のうと何度思ったことか。子や孫に、あんな思いは決してさせたくない」 今月七日、関西訴訟原告の坂本美代子さん(67)=大阪市=が、生徒ら約四十人を前に語り始めた。周囲からの差別、襲いかかる病の苦しみ、国・県相手の裁判闘争…。重い現実を突き付けられた生徒たちは、一様に沈痛な面持ちで聞き入っていた。 同校は昨年度から、文部科学省の環境教育指定校となった。一年生約百六十人は本年度、「自然環境と生命」「地域環境と神戸」など五講座に分かれて、さまざまな角度から「環境」にアプローチしている。坂本さんはこの日、遺族原告の小笹恵さん(49)=大阪府松原市=とともに講座「人間環境と福祉」の講師として招かれた。 同講座が水俣病を教材に取り入れたのは十一月から。石牟礼道子さんの「苦海浄土」など関連書籍を読む一方、関西訴訟や水俣の現在について、外部から講師を招いて知識を蓄えてきた。担当の三宅広明教諭(51)は「環境を考える上で水俣病は原点であるとともに、今の社会でも同じようなことが起こりかねないという意味からも普遍的で最前線のテーマ」と取り上げた理由を説明する。 同校は環境学習の総まとめとして、一年生の研修旅行を企画。二十日から二泊三日の予定で水俣、島原を回る。水俣では、患者や支援者をはじめ地元に生きる人たちの話を聞くほか、水俣の自然や特産品づくりを体験する予定だ。 「人間環境と福祉」の生徒にとって今回の旅行は、取材も目的の一つ。水俣病を通して学んだことを、同世代に向かって発信しようとビデオ番組をつくり、文化祭などで発表するという。和田濱裕子さん(16)は「ふだん私たちが食べている魚にも水銀が含まれていることを知った。果たしてそれが安全なのか、考えてみたい」と話している。
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日能研関西Web情報通信(2003.2.21号)より |
関西水俣友の会が、2003年2月に語り部をした時、新聞社だけではなく、塾からも取材がありました。せっかくですので、御紹介しま~す。 甲南女子の探究講座 「水俣を学ぶ」 日能研関西Web情報通信(2003.2.21号)より http://www.edu-net.jp/nnk/wir/kansai/(リンク切れ) 甲南女子中・高では2001年度から高1に「探究」という科目をおき、5つの講座に分かれて総合学習に取り組んでいます。今回取り上げるのは、そのうち「人間環境と福祉」という講座です。 これまで介護実習や高齢者疑似体験など、福祉に焦点をあてて学習してきた生徒たちですが、今度は「水俣」をテーマにビデオ番組を作ることになりました。「普通の高校生は水俣をあまり知らない。でも理解するきっかけを作り、メッセージを発信することが福祉社会に繋がっていく」と考えたからだそうです。また、先生は「日本の公害の原点であり、地域再生の問題をはらんでいる水俣の事件は、生徒に問題意識を持ってもらうためのすべてのテーマを網羅しているのです」とも話されます。 この日は水俣病関西訴訟の原告である2人の女性が講師として訪れ、実際に体験した差別についての話をしてくれました。劇症の水俣病にかかった姉をかかえ、家族全員が薬を撒かれたこと。学校でも石を投げられ、門から先に入れてもらえなかったこと。自身も慢性の水俣病にかかり、美容師の道をあきらめざるをえなくなったこと……。症状がひどい姉を殺して自分も死のうと、姉の首に手をかけたときの温もりが今でも忘れられないと声をしぼりだすように話されたときは、教室いっぱいに生徒たちの息をのむ音が聞こえました。 実は、講師のお2人は「こんなに幸せそうに青春をおうか謳歌しているお嬢さんたちに聞かせるにはしのびなくて、あまりひどい話はできなかった」といいます。しかし、取材メモをとる手も止まりがちで、真剣に話に聞き入る生徒の様子からは、かなりのショックの大きさがうかがえました。「公害をなくすことは難しい。でも困っている時『がんばってね』という言葉があればその一言が力になる。もし身近にそういう人がいたら声をかけてあげてください」。水俣病患者として、差別を受けてきた者としての重い言葉を生徒たちはしっかり受けとめていたようです。 この後、生徒たちは「探究」講座の総まとめとして水俣へ研修旅行に出かけます。これまでの学習と、研修旅行での実地体験をもとに作られるビデオ番組。きっと強いメッセージを投げかけるものになるに違いありません。(政) ⇒ 坂本と小笹が参加しました。新聞記者とはまた一味違った記事を書いていただき、ありがたく思います。大手有名塾の方に接するのは初めてで、これをきっかけにまた新たなつながりが出来れば良いな~と思います。 なお、関西水俣友の会恒例のバーベキュー大会(お花見を兼ねて)ですが、当初3月30日(日)でしたが、会員4人の都合が合わなくなったので、1週間延期。4月6日(日)となりました。 |
2003年2月26日(水)弁護士と話をしてきました。 |
昼の11時半に待ち合わせをして、お昼ご飯を食べて、いざチッソ水俣病関西訴訟弁護団事務局のある弁護士事務所へ。 私達は会長の坂本美代子を先頭に、女ばかり計4人。向こうは3人、男2人に女1人。2時間くらいの話し合い。お忙しいだろうに、私達のためにお時間とってくださって、ありがとうございました。 |
2003年2月26日(水)の熊本日日新聞の記事<紹介と私たちのコメント> |
【縦書きの見出し(大きい順)】 「反発強める原告ら」 「主治医立ち会い認めず“検診拒否”扱い」 「“再三説得してきた”県」 【横書きの見出し】 「県あまりに身勝手」 「水俣病認定審査」 「関西訴訟」 【掲載写真のキャプション】 【リード文】 【記事本文】 通知には、こうある。「受診命令等に応じなかったため、1月末をもって(県が医療費の一部を助成する)治療研究事業の対象から除外する」。通知の発送とともに県は、坂本さんを「検診拒否者」と判断。1月24日の認定審査会で、審査対象とすることを決めた。 78年4月に認定申請して以来、坂本さんは受診のため、県が指定する国立大阪病院に何度か足を運んだ。しかし、「あれで本当に水俣病の診断ができるのか」と不信感は募るばかり。感覚障害の検診では、目を閉じたままの状態でティッシュで体をなぞられた後に、分かるかどうか聞かれただけだった、という。 受診命令は昨年11月上旬に届いた。坂本さんは「受診する」と回答した上で、主治医らの立ち会いを条件とした。「認定審査の資料には、主治医の診断書を使ってもらいたい。だめなら、せめて主治医に検診の場に居てほしい」と坂本さん。しかし、県は「立ち会いは前例がなく、認めると公平・公正さを損なう恐れがある」などとして認めなかった。 坂本さんは「棄却されても再申請する。今後、申請する人のためにも、立ち会いの実現を求めていく」と言う。受診命令や勧告を受けた原告の中で唯一、今回審査対象とならなかった荒木多賀雄さん(82)=大阪市=も坂本さんと同様、主治医と弁護士の立ち会いを求めている。 受診勧告を受けた川上敏行さん(78)=東大阪市=は、「県は一時も早く、われわれを棄却処分にしたいのだろう。そうじゃないと言うなら、大阪高裁判決に従うべきだ」と訴える。大阪高裁は一昨年4月、原告らが主張する病像論を採用、原告58人中、51人に賠償を認める判決を下した。命令や勧告を受けた中の4人も含まれている。 「二十数年もほったらかしとって、今さら何事か。棄却になったら、処分取り消し訴訟を起こすことも考えている」と川上さんは明かした。 受診命令などを出されたり、検診拒否者と扱われたことに対して、原告たちは県に抗議文を送った。一方、県は「一人ひとりの事情や意向を聞き、再三にわたって訪問や電話などで説得してきた」との立場。水俣病対策課は「県としては検診を受けてもらうことが目的。今後も話し合いを続けていきたい」としている。<終>
【記事へのコメント その1】 【記事へのコメント その2】
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2003年3月4日(火)の熊本日日新聞の記事<紹介と私たちのコメント> |
【見出し】:司法認定6人を含む19人を棄却、8人保留 県の水俣病処分 【記事本文】 今回の棄却者には、いずれも民事裁判で水俣病とされた関西訴訟の原告4人と、1985年に判決が確定した二次訴訟の原告2人が含まれている。保留とされた8人のうち、関西原告は4人、二次訴訟原告は1人。 保留となった関西訴訟の4人は、県から指定医療機関で受診するよう命令や勧告を受けたが、県に対する不信感で受診を拒否してきた経緯があったため、命令・勧告に反発。検診未了のまま、審査対象となっていた。 今回の処分対象者は、訴訟で水俣病とされた事情などから、処分が「困難」とされてきた人たち。県は長期間、判断を先送りしてきたが、昨年から処分を前提とした対策に乗り出していた。なかでも、保留とされた二次訴訟の原告(水俣市)は1977年の申請だった。 これで県の未処分者は、今回の保留者を含め21人。棄却者は11406人となった。県関係の水俣病は国の処分も含め、申請者13202人のうち1775人が認定されている。
【私たちのコメント】 このたび、私たち「関西水俣友の会」のメンバーのうち、坂本美代子と川元文子は「保留」になりました。棄却されたら再申請するつもりですが、書面の作成など手続きがとにかく“煩雑お役所仕事”“病人にそんな複雑なことさせないでよ~”なので、「保留」でヤレヤレ。 何度も繰り返しますが、私たちは、検診を拒絶してません。「受ける」と書面で熊本県に回答しています。ただ、検診の際には、坂本美代子の母親の経験がありますので、主治医の先生と弁護士の立ち会いを条件に付けているのです。 |
2003年3月12日付 熊本県による検診のススメについて、会員の荒木多賀雄さんのメモ |
関西水俣友の会のメンバーの荒木多賀雄さんは、熊本県から「検診を受けろ」と言われている一人です。また、大阪高裁判決では500万円ほどの返還を命じられ、「息子に迷惑を掛けられない」「夜も眠れない」と悩んでおられます。荒木さんは82歳。とても、かわいらしいお爺さん。 「検診を受けろ」と言う県の役人さんとのやりとりを、メモにまとめておられますので、御紹介します。主治医である阪南中央病院の医師と弁護士の立ち会いを、検診の時に県が認めるかどうかが、焦点です。 関西水俣友の会のメンバーは、皆、検診に対して嫌~な思い出を持っています。私たちが検診で感じたような「屈辱」を、「誤解」だと県が主張するのなら、立ち会いを認めてほしいです。隠すことはないはずです。
荒木メモです。高齢(なにせ82歳)の割に、しっかりした作文です。
<2002年7月7日13時30分> 何回受けても一緒だ 今の状況では無理だし(体調も悪いし) 突然連絡もなく 来たので ムカッときたが 明日大野先生に一応連絡しておくからと思った
<7月22日16時20分> 何人か検診を受けと言ふ人が居る様ですが 貴殿はどうされますか との事でしたので どうせ受けても一緒でしよう 受ける気持ちは有ませんから 弁護士さんと打合わせて頂きませんか
<11月5日> 犬猫でも有るまいしテープで引張って 痛いし 人はじろ じろ 見るし 待ち時間は長いし
<11月18日> 犬猫じゃあるまいし テープを貼付けて痛いのをがまんしていました。待ち時間は永いのでいやがらせをしてるのではと思ったが何も言わなかった
<11月26日16時40分頃> 受診はする、と大野先生が代理人で回答書も出してあるのに何回も同じ事を言ふから どうせ打切る気持ちだからと言ったが 其れには何も言はなかった
<11月29日16時20分頃> 期間は12月の2日迄との事でした。
<12月2日> 藤本です 小川さんは今日は風邪で休んでいますので私で宜しいですか 何か聞きとれなかった様で 再度 検診は受けさしてもらいますので と言ったら
<12月3日> 私は 其の場で下手な字だけど忘れない様に二回も三回も聞いて書いて居ると言って読んだら はい そうですと言って田中弁護士さん阪南の先生にも連絡して下さいと言ったが
12月6日 1600頃 外出して居ましたので又后でと言て切り 待機してたら 弁護士さんにも阪南病院の先生も立合は認めない。検診は国立の先生でなくて認定審査会の先生が検診すると田中弁護士にも報告しました、との事でしたので じや 田中先生に聞いた方が認実だと思って切った
連休でしたので 9日13時前に 田中先生に聞く |
2003年3月3日付の熊本県による「保留処分」への抗議文 |
熊本県知事 潮谷義子殿 私たち「関西水俣友の会」の会員である坂本美代子と川元文子は、検診拒否者だと決めつけられたばかりか、2003年3月3日付で保留となりました。とても残念です。 私たちは、水俣病患者として認定されることを求めています。 私たちは、水俣とその周辺で生活していた時、魚や貝が水俣病の原因とは知らなかったので、毎日三食、主食として魚や貝を食べてきました。同居家族だけではなく、近くの親戚や隣近所の人も同じように食べていました。 坂本美代子の場合、両親は水俣病の認定患者です。検診の際、母は両手の指10本と爪の間に針を刺されたため、青黒く腫れあがったままお米を洗っておりました。帰省して、母の指を見た時の衝撃はいまも忘れることが出来ません。 姉の清子は死後解剖で認定された第1号患者で、両親は清子の遺影を掲げて第一次訴訟の原告となりました。妹と弟も認定されています。弟は、ニセ患者発言を行った県会議員に乱暴を働いたとして緒方正人氏らと共に逮捕され、最高裁で有罪確定となった「謀圧裁判」の被告です。 川元文子は、早くに父親を亡くしたため、父の兄が世話を焼いてくれたのですが、父の兄の一家が認定されています。また、網子としてお世話になった網元(茂道の杉本さん)も皆、認定患者です。 関西に移住した私たちが食べた魚だけ、水俣病とは関係なかったのでしょうか? 私たちは、水銀に強い体なのでしょうか? そんなことはないでしょう。一日も早く水俣病として認定して、私たちを「医療費の不安」「棄却される不安」から解放してください。 私たちには、昭和55年9月以来、阪南中央病院の主治医による詳細な診断書を提出し、これをもって水俣病かどうかを判断するように求め続けてきた経緯があります。これは、公害健康被害補償法制定の際の「認定審査についての意見を決めるにあたっては、特に健康被害者の治療を担当している主治医の診断が尊重されるよう配慮すること」との国会の委員会付帯決議にもとづいています。 したがって、私たちは単純に検診を拒否しているわけではありません。どうしても検診を受けなくてはならないのなら、主治医と弁護士の立ち会いを求めます。 また、県の役人は「(検診を受けるように)説得した」そうですが、川元文子は「昨年秋から心臓と肺の手術で入院していて、それどころではなかった」ですし、坂本美代子は「主治医と弁護士の立会いを条件にして書面で返事したけど、その後、反応がない」と話しています。 今回は審査対象になってはいないものの、検診拒否者扱い寸前の荒木多賀雄は「2002年11月29日に電話で、弁護士と主治医の立ち会いを認めると確認したが、その後、県に否定された。まるでワシがうそつきみたいに言われた」と怒っています。今月20日には、県庁に話をしに行くそうですので、よく説明してあげて下さい。82歳で、目や足も老人力がついていますので、御配慮のほど宜しくお願いします。 2003年3月14日 関西水俣友の会 |
2003年3月20日(木) 会員の荒木多賀雄さん、熊本県庁へ |
まずは、3月21日(金)付の『熊本日日新聞』より 【見出し】 水俣病検診、主治医立ち会いを 関西訴訟原告ら県に要請 【記事本文】 水俣病関西訴訟の原告と支援者らが二十日、県の水俣病認定審査で検診を受けるにあたって、主治医と弁護士の立ち会いを認めるよう県に申し入れた。 これに対し、応対した高宗秀暁・環境生活部次長らは「立ち会いを認めると、検診医が心理的な圧迫を受ける」と発言。原告側は「患者は圧迫を受けてもいいのか」とただしたが、県側は「知事には報告する」と答えるにとどめた。
<私たちのコメント> その後、荒木は故郷の妹を訪ねるなどして旧交を温め、3月28日(金)の朝に帰阪いたしました。検診の際の立ち会いを認めたかどうかは押し問答でラチがあかなかったけれど、県の役人が荒木の自宅玄関からではなく裏口から入ってきたことに関しては、役人が謝ってくれたと喜んでいました。高齢のこともあり、いろいろ心配しておりましたが、上機嫌で戻ってまいりました。関係各位の御配慮の賜物と思います。本当にありがとうございました。 主治医と弁護士の立会いですが、ぜひ実現させて下さい。坂本美代子の母のように指と爪の間に針を刺されるなんてことは、現在ではあり得ないとは思います。でも、県の検診が「乱暴ではない」「丁寧だった」「ちゃんと診てくれた」という話は、今まで聞いたことがありません。 |
2003年3月21日(木)開催「水俣病一次訴訟判決30周年記念集会」へのメッセージ |
水俣病の発生についてチッソの責任を認め、損害賠償を命じた水俣病第一次訴訟の熊本地裁判決(1973年3月20日)から30周年ということで、水俣市内のあらせ会館というところで、記念集会がありました。訴訟派患者でつくる水俣病互助会(上村好男会長)の主催。上村さんは、ユージン&アイリーン・スミスの『写真集・水俣』の中で、お風呂に入ってる胎児性患者の父上です。 私たち「関西水俣友の会」としても、会長の坂本美代子の両親や姉が原告でしたし、互助会にはお世話になっていますので、下記のようなメッセージを送りました。
第1次訴訟の判決30年の日にお集まりの皆様 今日は、どうもおめでとうございます。私は坂本嘉吉・トキノの娘(坂本美代子)です。 皆様のおかげで、父、母もチッソに勝つことが出来ました。又、私の姉、妹、弟も認定されました。 大阪に出て来た私も、阪南中央病院から水俣病と診断されましたが、私だけは今だに認定されず、つい最近は県から、検診拒否者扱いまで、されています。 私と同じように関西に来てから水俣病の病状が出た人たちは、ご存知のように、1982年に関西訴訟を起しました。 1994年の地裁判決では、安い賠償金ながらも、42人を水俣病と認めました。所が、国と県の行政責任を認め 年5分の利子を合わせると実に総額6000万円を超える額に達します。 私たちは、患者だけが泣き寝入りをさせられるのを、とうてい認めることが出来ません。 本来ならば、そちらにお伺いしてご挨拶するべきではございますが、事情がありまして伺うことが出来ませんが、水俣病が終わっていないことは私たちが一番よく知っています。 これからも私たちにできる限り、水俣病のことを伝え続けていくつもりですので、どうかご支援をお願いします。 つたない文ではありますが、益々の皆様の御活躍と御健康を、お祈り致します。
2003年3月21日 関西水俣友の会 会長 坂本美代子・ 22名の会員一同より
追伸 友の会の荒木が、つまらないものでは ありますが、お酒などもっておじゃまします。お口よごしにどうぞ、お召し上がり下さい。 |
2003年4月6日(日) 大泉緑地でお花見会 |
去年は3月31日(日)に大阪城公園で花見弁当を食べましたが、今年は阪南中央病院から徒歩20分のところにある府営の大泉緑地にて、バーベキュー大会をやりました。最高齢はたぶん82歳の荒木さん、70歳台の美人が主力。会長の坂本は、孫連れ。新潟と高知からは銘酒が到着。 食べ物は、肉・野菜、持ち寄りのお握りとお漬物(みんなが少しずつ多めに持って来たから、大量に集積)、さらに魚貝類は欠かせないということでサザエ! 焼き立てのサザエを2袋ほど平らげました。 3人くらいが体調不良で欠席でしたが、十数人が参加。あの広~い緑地の中での待ち合わせ場所を決めていなかった割に、なんとか洩れなく集合できたのは、たいしたものです。当日は、前日までの雨がウソのように快晴で、同好の人も同伴の犬も多く、お花見の場所は平地ではなく小高い丘の上になりました。トイレも行列でした。
二次会は、最寄の駅に行く途中にある小笹家(初代団長・岩本夏義の家)でお茶をいただき、仏壇にお参りし、お花見で撮ったデジタルカメラの写真をプリントして、帰途に着きました。帰宅後は、足が2倍サイズに腫れ、痛かったことと思います。 来年も元気で、また行きましょう! 今度は前の日から、良い場所を確保しておきますから!!
そうそう、甲南女子高校の1年生が作ったビデオの上映会は、今月20日(日)だそうです。上映会の前に試写会があるようなら、そっちも行きましょう。 → 招待券、届きました! |
2003年6月27日の熊本日日新聞の記事<紹介と私たちのコメント> |
こんな記事を発見!
【見出し】 水俣病認定求め知事に要請書送る 関西訴訟団長ら 【記事本文】 水俣病関西訴訟の川上敏行原告団長(78)と妻(76)は26日までに、潮谷義子知事あてに水俣病と認定するよう求める要請書を送った。7月18日までの回答を求めている。2人は1973年に認定申請。その後、主治医の阪南中央病院(大阪府)での検診資料を県に提出、それらのデータを基に県の審査会で判断するよう求めている。要請書では国の通達や関西訴訟大阪高裁判決の結果などを挙げ、同病院の「検診は公正で通達を満たす」としている。 これについて県は、国立大阪病院など公的機関の検診結果しか認めない立場をとっている。このため、川上団長らを長年審査しないままにしていたが、昨年になって「検診拒否者」とみなし、主治医のデータを採用しないまま審査会にかける手続きを進めている。 (熊本日日新聞2003年6月27日朝刊)
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