「ドキュメンタリー・環境と生命」2005年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第9回から第13回までを掲載しています(2006年1月20日)
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9(12/ 8) 「アイデアから“奇跡の街”が生まれた」(NHK・BS2,04.9.25,60分)

【要約ベスト】
 国連環境計画賞を受賞するなど、環境都市計画の最先端をいく都市、ブラジル・クリチバ市。日本ではあまり知られていないこの都市で、ある日本人が活躍している。
 中村ひとし氏は大学卒業後すべてを捨ててブラジルへ移住する。農業への夢が敗れるが、その後、市の公務員として就職。当時クリチバ市では自動車による過剰な渋滞などが問題であったり、また一方ではスラムが形成されたりと、環境問題が山積みであった。そこで中村氏は当時の市長に「公園」の重要性をレポートで訴え、そこから、花壇を作り車を排除したり、いくつもの公園をつくったり、スペシャリストとしての才能と実力を発揮する。
 中村氏の都市計画の特徴は、自然のものをなるべくそのまま生かすような都市づくりである。今までに中村氏が発案した公園などはすべてそこの自然の地形や環境を生かしたものばかりである。そのほか中村氏は、市民の環境に対する意識を高めるため自由大学をつくったり、「緑の交換」と呼ばれる運動を実施し、市民一人ひとりの環境への関心は世界的にも最高水準である。そのような都市計画の進め方が世界的にも認められており、注目を集めている。
(文学部1回生 中川翔子)

【投票ベスト】 [kino-doc:0326]  法学部1回生 奥村 温
 ドキュメンタリーの率直な感想としてまず浮んだのは「うらやましいな」というものでした。中村ひとしさんが都市計画にたずさわったクリチバの様子を見て、こんな風な町に住んでみたいと思ったのです。環境の一部を取り入れた公園整備、花と緑を取り入れた道路、環境のためだけでなく貧困対策にも力を発揮するゴミ収集方法など、どれもそこに住んでいる人たちの目線に立ったアイディアばかりで、人々をより幸福にするものでした。
 なぜ、日本人にはこのようなアイディアを出す人たちがいるのに、どうして日本ではこんな風な街作りができないのだろう。まず、あまりにも経済発展を中心にした都市のありかたに問題があるのではないでしょうか? 効率性を重視し、それに不都合なものを排除し、そこから生じる問題を後回しにする。そうした都市計画に対する態度がクリチバのような町を生み出しにくくしているように思います。また、住民の意向が意思決定をおこなう行政の上層部に伝わりにくいのも原因ではないでしょうか。中村さんは州の要職に就きながら現場で先頭に立って働いていました。日本ではそうした現場の声が伝わりにくい構造になっているように思えてなりません。それは以前からのドキュメンタリーからも感じていたことでした。
 中村さんのように行動することは無理かもしれませんが、現場主義、アイディア主義、人間第一主義といったような心持ちはもてるように思います。諸問題を解決していく上でこれらの心構えはこれから必要になってくるのではないでしょうか?


【投票次点】 [kino-doc:0316]  生活科学部1回生 森田実紀
 環境問題。都市計画。今住んでいるところをより住みやすくするために、会議でうーんと考えても出てこないアイデアを中村さんはどんどん形にしてきた。中村さんのアイデアがうまく行くのは、人のために貢献しようという気持ちもあるだろうが、逆に、「人に助けてもらう」ことも忘れなかったからなのではないか、と思う。
 スラム街のゴミも、収集車によって役所が回収すれば手っ取り早いだろう。すべて自分の管理下におけばシステムはうまく機能するかもしれない。しかしそこに携わる人は、幸せだろうか。人が幸せと感じるのは楽しているときではない。しんどいことでも自分の役に立つと自覚してやるときだ。「緑の交換」として市民にゴミを集めさせることは、そんなねらいもあると思う。また、環境学校に食材を寄付した市場には強盗が入らないのだという。強盗もその市場が自分の役に立っていると感じるからなのだろう。
 誰しも、外でポイ捨てしても自分の部屋ではゴミ箱に入れるものだ。自分と環境問題が繋がったとき、人はポイ捨てしなくなる。
 中村さんは人にしてもらった恩を忘れない人だと思う。自分ひとりではできないとわかっているから人に頼んで大きなこともやり遂げられるのだし、心から社会に貢献することもできる。本当に見習いたい。せめて、アイデアはわかずとも、住みやすい社会を作る縁の下になりたいと思った。



【先生による選抜】
[kino-doc:0305]  法学部1回生 楠原愛理
 今日のドキュメンタリーで印象に残ったのは、「都市に人間性を取り戻す」という中村さんの言葉です。たった二日で道路に花を植え、商店街通りの渋滞を解消、おまけに店も大繁盛し、人々に笑顔を与えたアイデアはまさに一石二鳥と言える素晴らしいものでした。何よりすごいのは「自然を利用して生活を快適にする」という思考です。
 これを聞いて私は前回の回転ドア事故のことを思い出しました。あれは、高層ビルの冷暖房コストを下げるために「人工の」回転ドアを取り入れ、それによって事故が起きたという皮肉なものでした。一つも公園のなかったクリチバにたくさん自然を取り入れるというのは日本の形式だとありましたが、逆に日本は生活をより良くするために、自然を破壊し、ビルを建て、様々なものを新たに開発していて、どんどん都市化しています。クリチバと日本は全く正反対なんだなぁと思いました。
 「効率より人間中心」という中村さんの思考は、今の日本が忘れてしまったものではないでしょうか。もし回転ドア事故が起こる前に、そんな考えがあったのなら、あの幼い命は助かっていたのかもしれないと思うと、胸が痛みました。同じ日本人の中村さんに大切なことを教えられたような気がします。

[kino-doc:0310]  
法学部1回生 竹垣正博
 このドキュメンタリーを見るまでは、こんなに頑張って、外国の街をきれいにして、世界から高い評価を受けている日本人がいるなんて、全く知りませんでしたし、日本人のわたしたちが誇りに思える日本人だと思います。
 全体のディスカッションでも意見がでましたが、あの地域には広大な土地があり、使われなくなった石切場という景色を造るにはもってこいの場所、さらには作られすぎた余剰の作物がありました。そのようなものは日本にはないし、あっても使うための制度がないので、あのような改革は日本では不可能に思われます。僕もそう思いながら見ていました。しかし、あとから考えるとそれらのものは中村さんが使う前は誰も使わなかったし、「緑の交換」も考えつきそうでもなかなか考えつかない制度だと思いました。だから、クリチバのやったことをそのまま真似するのではなく、クリチバのようにアイデアでいらないものを使い、それぞれの土地にあわせた改革をやるべきだと思います。
 また、大阪は何もやっていないという意見も出ていましたが、クリチバも今のような環境になるまで相当な時間がかかったと思います。だから、大阪もちょうどその過程なのではないか、と思います。今、大阪市職員が批難を浴びていますが、その改革もいいものにするには時間がかかります。わたしたち市民からも意見を出し、『良い』改革をゆっくりでもいいから進めていくべきだと感じました。

[kino-doc:0314]  
法学部1回生 木本有美子
 今回は今までのドキュメンタリーとは違うな、ということが第一印象でした。
 その理由としては、まずは責任問題などの争いごとのない話題だったことですが、それよりも感じたのは、一石二鳥どころか三、四鳥なことでした。つまり、話が全然違うので比較するのはおかしいかもしれないけど、今までのドキュメンタリーは何かにプラスにしようとすると、ほかの面がマイナスになることが多かったのに対し、今回の例えば「緑の交換」では農家、スラム対策、リサイクルゴミの収集すべてにプラスになっていました。どれも難問に思えるのにそれらを一気に解決できるなんて本当に驚きでした。
 現代は特に環境面などでたくさんの難問があり、もうどうしようもないのでは、と感じたりもするけど、やれることはあるんだと実感できました。クリチバ市の方々も中村さんの政策をみてそう感じ、みんなが団結したことで今のクリチバ市があるのではと思いました。何か目に見える成果があれば、リサイクルなどを促進することができるんだと感じました。

[kino-doc:0318]  
文学部4回生 松重ひとみ
 授業中に先生が「日本の役所が何もしていないわけではない」「実際に頑張っている人たちもいる」と仰っていましたがそれは確かにそうなんだろうなとは思います。ただ実際に自分の町を振り返って考えたとき、たとえば私の住む京都市では環境のため、地域住民のために何が行われているのか全く自分が知らないということに思い当たります。
 それで次に京都市のHPに行ってみました。すると
・「平成18年度京都市政策重点化方針」を策定
・「基本計画第2次推進プラン」の実施状況を更新
・家庭ごみ収集における「有料指定袋制」に向けた基本方針について 
   『意見交換会』の日程について
・石綿(アスベスト)に係る情報について(健康相談・すまい)
 などなど、市民のための政治が行われており、それがきちんと広報されていました。
 こうした努力にもかかわらず、市民から市政が縁遠いものという感覚になっているのも事実です。それは日本の自治システムがクリチバに比べて規模が大きいこと、そして日本がよいことよりも悪いことを積極的に宣伝する気質であること、などに原因があるのではないでしょうか。
 テレビのニュースでは日々、役所の不祥事を大きく取り上げられていますが、役所がこれこれこうした政策を行い、実際にどれだけの成果を上げたのかは放送されません。自分がそれに興味を持ち、HPや何かで積極的に知ろうとしない限り市民は役所の実績については知りえないのです。
 褒めるよりも、非難するほうが簡単だし、目につきやすい。授業でも日本の欠点を扱ったドキュメンタリーの方が、発言する声が出やすいような気がします。





10(12/15)「あなたはいま幸せですか 地球家族2001」(NHK総合,01.8.21,60分)

【要約ベスト】
 写真家ピーター・メンツェルは世界中の平均的な家族に「あなたはいま幸せですか?」といった問いを投げかけ、そしてその家族と、その周りのものを写真集『地球家族 世界30か国のふつうの暮らし』(1994年出版)に収めている。今回はそれらの家族を8年後に再び訪問し同じ問いをぶつけ、当時から増えた家財道具と家族に再びカメラをむける。
 電気の導入によって生活の節々に変化が現れ、『子供のため財産を残したい』と成功を望むようになったブータンの家族。大切なものは今も変わらず、物ではなく家族と答えるキューバの家族。当時一番ほしかった平和を得たのにも関わらず、豊かな暮らしを送れず、戦争中の方が、悲しみが少なかったと悲しげに答えるボスニアの家族。1000点を超えるものに囲まれて、それを当たり前として生きる日本の家族。一番大切なものを売ってまで、今を生きることに必死で、昔も今も生活に満足できず、さらに裕福な生活を望むモンゴル家族。特にこれらの5つの異なる状況下で生きる家族に焦点をあて、様々な幸せの形や、幸せって何なのだろうという答えのない問いに迫る。
(法学部1回生 佐々木久実)

【投票ベスト】 [kino-doc:0355] 生活科学部1回生 佐々木幸作
 ボスニアの家族や日本の家族を見て、高校の倫理で習った欲求ピラミッドの話が思いだされた。生理的欲求→安全の欲求→親和の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求という流れは本当にあてはまるものだなぁと素直に感心してしまった。しかし「幸せ」というものはとても難しい。客観的に見れば、一番ほしいものが「平和」であると言っていたボスニアの家族は不幸せだろうが、平和を手に入れたその後のほうが悲しみは多いと言っていた。幸せかどうかはやはり本人の主観でしか計れないものである。他人にお前は幸せだな〜と言われても、不幸せなものは不幸せだ。しかし、その一言で自分を見直し、「あ、自分は幸せなんだ」と思えることができたら、その人はきっと幸せである、と思う。考え方次第で簡単に変わってしまう幸せだからこそ、世界各地の家族に、そして前回の取材から何年も時間が経った家族に取材する意味があると思う。
 ディスカッションの時に幸せかどうかと聞かれ、私はどちらでもないに手を上げた。客観的に考えれば私は幸せだが、主観で考えれば幸せなものかチクショウと思う。しかし私も考え方次第では幸せになれるはずである。かといって、考え方によっては向上心を失うことにもなる。正直、今回の授業は「幸せ」について考えることで、自分を考えるきっかけにできたことが嬉しかった。


【投票次点】 [kino-doc:0337] 理学部1 回生 西村貴一
 大学に入ってから新たに購入し、現在もあるモノを考えて見た、新規に買った携帯電話、WEBカメラ、タブレット、教科書類、CD1枚、ゲーム2本、コミック3冊、同人誌1冊、ベスト1着、白衣1着…思ったよりも少なかった。服などに無頓着なせいだろうか。思い出せる範囲だけだが、ほぼ間違いない。
 一番、私の大事なものは、主観。世界は悲しいことに満ちている、喜ばしいことに満ちている、運動方程式に満ちている、世界が何らかの形で存在していようが全ては私の考え方自体に因るとの思いからだ。だらか、私の思ったこと、味わったこと、見たこと、聞いたこと、全ての私の感覚を大事にしたいと思っている。
 私は、いま幸せだろうか。私は今幸せである。朝、学校の食堂でご飯を食べる、食堂のおばちゃんにも顔を覚えてもらった。線形代数の問題の解き方を友と共に話し合えた。踏みつける落ち葉の心地よい音。通学電車で読む本の面白さ、夕食の後に母が職場での笑い話を話してくれる。今日、一日だけでもこんなに幸せに満ちている。私は今、非常に幸せである。
 今回のドキュメントを見て考えてみた結果である。まず、自分を考えて見た。それから、モザイク模様の世界に思いを巡らす。



【先生による選抜】
[kino-doc:0330] 商学部3回生 藤田孔平
 今回のドキュメンタリーでは、主にモノに焦点をあてて様々な地域の幸せさを見つめていたけれども、おのずとモノだけではない幸せの全体像が浮かび上がってきたのかなと感じた。幸せの要素として主に3つ上げられると思う。それは、モノをはじめとする経済的要因と、家族を中心とする人間同士のつながりの部分と、安心して暮らせる平和の必要性であろうかなと思われる。どれか1つ欠けてしまっても幸せは遠のいてしまう。
 しかし今回私がドキュメンタリーを見ていて特に気になった問題というのは、経済的要因に関してである。なぜかというと、私は元来、グローバル化の市場経済をアメリカはじめ先進国が押しつけることによって、途上国がより困窮する事態を非常に憂慮しているからである。また私の個人的な思想として、開かれてない地域の人々が、昔ながらの生活に意味を見出すことは、尊重されるべきことだと考えてきたからである。しかしブータンにしてもモンゴルにしても、彼ら自身が豊かさの為の変化を望んでいることに気付かされた。私見としては、その結果が昔よりもっと苦しい生活になる恐れは高いと思うが、グローバル化を推進するのも、否定するのも、結局は上から見たものの見方だと気付かされた事が、今回のドキュメンタリーを見た最も大きな意味だったと感じた。

[kino-doc:0343] 
工学部3回生 中尾祐大
 「幸せ」ということについて、11/18の産経新聞の一面に面白い調査結果が載っていたことを思い出した。全国6千人を対象にしたアンケート形式で「幸せ」を10段階評価するとどの辺をかというものだ。今日本でもっとも幸せを感じている人は30代の主婦という結果。
 「幸せ」というあいまいな概念を数値化するということが最近おこなわれているらしい。ブータンでは国民総幸福(GNH)という概念を提唱して、物質的な豊かさのGNPではなく精神的な幸せを目指そうとしている。
 上記のアンケートの結果で気になったのは年収1500万円ぐらいまでは年収の増加ともに幸福度も増加していたのが、1700万円以上では年収の増加に対して幸福度が減少することだ。金銭的豊かさが「幸せ」につながっていない。「幸せ」を重視するような社会をつくるという動きに希望とともに「幸せ」を感じた。

[kino-doc:0358] 
法学部1回生 山口紗緒里
 「幸せ」というものは、誰もが比較によって感じるものではないかと私は思った。それは他人との比較である場合、また自分の経験・思い出との比較である場合もあるだろう。例えば日本だけで考えると、物質的に豊かで平和であることは当たり前で、そのことにさえ気づかないかもしれない。でも外に目を向けてみれば、電気がなかったり、戦争中であったりと日本とは全く違う現実がある。そして、自分たちは恵まれている、幸せだと感じることができるのではないだろうか。
 しかし、ここで注意しなければならないのは「幸せ」のものさしは一人ひとり違うということだ。つまり、どのようなことで幸せを感じるかは人それぞれだということだ。日本と他国との比較も幸せと感じられる1つの事柄だと思うが、そう感じない人もいるだろう。もっと身近な自分の周囲のことで幸せ・不幸せを感じているかもしれない。先の例では、電気がない、あるいは戦争中であれば不幸なのだとも解釈できるが、決してそうではない。そのような国に住む人々にとっては、また違う「幸せ」のものさしがあるのだ。
 私は今の状態が幸せだ。嫌なことがあっても後々に今幸せだと感じられる大事な比較の要素だと思うから、なんとか乗り越えていこうと思える。

[kino-doc:0360] 
法学部1回生 奥村 温
 あたりまえですが何を幸せと思うかは個人個人で違います。家族と一緒にいることが幸せだと感じる人もあれば、食べ物をお腹いっぱい食べることや友達とメールをすることに幸せを感じる人がいます。事実ドキュメンタリーに登場した各国の人々の幸せはそれぞれ異なるものでした。
 しかし、私は、幸せは細かく見れば人それぞれ異なるもののように感じるけれど、大まかに見ればそれぞれの幸せはある共通したものに根底から支えられていると思いました。その共通したものとは「日常を維持すること」です。人間は常に不安を感じて生きています。しかしその不安を日々受けていては疲れてしまいます。そこで、人は同じ行動を毎日毎日続けることで不安を感じないように努力しているように思います。日常を維持することは不安を埋没させてくれる重要な行為のように感じます。
 ドキュメンタリーでは戦争中であってもたくましく生活を送っている人、大切な家族を失った人、貧しい暮らしを送りながらも笑顔を絶やさない人が登場していましたが、彼らは不安定になりかけた日常をなんとか自力で立て直しながら生活をしていたように感じます。それは、彼らが幸せをつかみ取ろうとする努力のように感じるのです。そんなかれらに非常に感動しましたし、幸福とはなんなのかについてもう一度深く考える機会を彼らからもらえました。







11(12/22) 「カルロ・ウルバニ〜SARSと闘い死んだ医師の全記録」(NHK総合,04.2.15,50分)

【要約ベスト】
 イタリア生まれの医師カルロ・ウルバニ。ベトナム・ハノイのWHO事務所で働く彼は、2003年3月3日、ハノイ・フレンチ病院で原因不明の肺炎患者と出会う。時同じくして、中国広東省でも謎の肺炎が流行していた。中国政府はクラミジアによるものと主張してWHOの視察を拒否したが、ウルバニは症状から見て違うと判断。「ハノイで起きていることが広東省でも起きている・・・」
 男性患者は香港に移動後死亡。その後ハノイ・フレンチ病院で医師・看護師等7人が高熱、頭痛を催す。ウルバニは男性から感染したとみて、いつどこで接触したか聞き取り調査を開始した。「感染をハノイで食い止めねば・・・」
 しかし、ベトナム政府からWHOに要請は無く、保健省も世界に病気を公表することを先延ばしにする意向を示す。そんな中で3月8日、さらに17人の医師、看護師に肺炎の症状があらわれる。感染を恐れ病院を抜け出すスタッフもいる中、ウルバニは患者を励まし、症状を観察し、聞き取りを続け、現場からWHO本部に情報を送り続けた。「ウイルスを抑えられるのは今しかない」
 ウルバニの手配でベトナム保健省とWHO代表との話し合いが行われ、3月9日、遂に保健省は世界に公表することを決意した。3月11日、香港で同様の肺炎が広まっていることがわかる。
 同じ頃、ウルバニ自身に肺炎の症状が。タイの病院に入院するが、3月29日カルロ・ウルバニ死亡。新型肺炎の蔓延と闘った彼の意思は、石碑に「国境なき医師」と刻まれ、また更なる感染病対策に取り組む彼の同僚たちを突き動かしている。
(生活科学部1回生 森田実紀)

【投票ベスト】  [kino-doc:0365]  理学部1回生 西村貴一
 今回のドキュメンタリーをみて専門家という存在を感じた。大学の研究家などを見ていても感じるのだが専門領域は非常に狭く、分野の専門家というのは案外に少ないものである。
 そうして、カルロ・ウルバニ医師は公衆衛生の専門家であるという話も登場していた。彼がその分野に対する自分の判断に大きな自信を持てたということが被害拡大の阻止に大きく関わったのではなかろうか?また、そういった人物がWHOに直接作用できる人物であったという幸福である。
 現在の専門家、研究家達が国際的に連携していける機構、例えば学会・国際機関の誕生の大きな成果であると思う。
 今後は、非専門家である一般人もがそれらの機構・学会の成果や見解に相互アクセスできるような状況に進歩していくことが望まれると思う。そうすれば、どこそこにはこういった症状の人がいてますよ、という情報も手に入りやすかろう。悲しいかな、現在どういった組織があるかや各組織の関係などを我々が知りえているとは思えない。
 最後に、ベトナム政府が公式発表に踏み切れなかった要因に中国の影がちらついていたように思えて仕方がなかった。明らかに中国は新型肺炎の存在を隠しているような状況下で、中国との関係の深いベトナムに果たして中国まで風評被害や経済被害が飛び火をするような発表をできたであろうか?などというようなことを感じました。


【投票次点】  [kino-doc:0381]  法学部1回生 中村早希
 もし彼の働きがなかったら、被害はもっと拡大していたのだろう。しかし、私は彼の家族に思いを馳せずにはいられない。
 彼は感染症の医師ではあるが、あそこまであの病院に深入りしなければならない立場になかった。「わざわざ…」そういう思いが捨てきれない。彼が何百万人の命を救ったのだとしても、彼の家族の下には彼の命ひとつ残らなかった。数え切れぬほどの家族が助けられても、彼の家族はそれを誇りに悲しみを受け止めるしかない。彼の家族は置き去りにされたままだ。
 「英雄」と呼ばれる行いを為す者たちは数多くいる。彼もまた「英雄」の一人だろう。では、彼らの家族はなんと呼ばれるのだろう。「英雄」の家族は「被害者」?それとも「英雄」?残された者たちは彼らがいなくなっても生き続けなければならないのだ。



【先生による選抜】

[kino-doc:0384] 生活科学部1回生 佐々木幸作
 ウルバニさんはいつも患者のそばにいることを大事にし、未知の伝染病でさえもそれは変わらなかった。それがSARSの伝染を抑え、自らの感染の原因ともなった。ウルバニさん自身がSARSに感染したとき、伝染の危険があるにもかかわらずバンコクの病院へ行ったことについて疑問を感じたが、治療するには国外へ行くしかない状況で、ウルバニさんは妻の「あなたは子供たちにとってたった一人の父親なのよ」という言葉を思い出し、また感染初期は伝染の危険性が少ないことを考慮して、悩みぬいた末にバンコクへ行くことを決意したらしい。家族のことを考えた結果の行動であった。ウルバニさんの最後の言葉は「My wife, my children」だったという。ウルバニさんも人間である。家族もいる。守るべき家族がいるにもかかわらず感染の危険を冒して患者に添い、励ます。ウルバニさんの医師としての信念は強い。
 ウルバニさんが守るべきものは患者、そして家族である。片方をとればもう片方がたたない。自分が感染してバンコクへ向かうとき、彼はどれほど悩んだことであろう。ウルバニさんには生きていてほしかった。患者に、そして家族にも力を与え続けてほしかった。

[kino-doc:0386]
文学部1回生 志野奈都子
 この番組を再び授業で見なかったらSARSについて何も考えなかったと思うと、こわい。当時、私はタイのバンコクにいた伯父から「会社の半径1キロ以内でSARSの患者が出た」というメールを受け取ったが、SARSって何?という状態だった。事の重大さがわかってもどうすることも出来ず、歯がゆく思った。その後テレビでこの番組を見て、カルロ医師というヒーローがいたことを知った。しかし、これら全てをすっかり忘れていたのだ。
 カルロ医師の犠牲はSARS撲滅に必要だったように見える。家族にとっては非常につらいことだが。私は命は平等だと信じているが、ならばカルロ医師の命は?SARS拡大を防ぐために命が失われることについて、「英雄」という言葉では説明できない。信念のために死ぬなら尊い犠牲で、本人も満足ならそれでいい・・・のだろうか?この問題は公私の区別として、誰の身にも関係あることだと思う。
 また、最初の患者はビジネスマンで、彼と彼の同僚が世界を飛び回って感染を広げてしまったことは、昔はなかったことだろう。自由な商業活動の暗い面を見た気がした。






12( 1/12) 「長き戦いの地で〜医師・中村哲」(NHK教育,01.11.25,60分)

【要約ベスト】
 全く言語・文化・習慣・思想・宗教のすべてが異なる、しかも内戦が行われているアフガニスタンに彼は18年前に向かった。そしてそこで、国外にも出られない困窮者が難民になって凍死や餓死する前にそれを防ぐために尽力している。
 そこは、銃弾が飛び交う戦場で生命を脅かされる経験もした。しかし彼は、相手を同じ人間として尊重し、信頼し続けた。誰もが良いと思い、誰もが納得できるアクションには宗教や政治といった全ての壁を越えて協力できる。それが彼の信条である。医師という枠を超えて井戸を掘ったり食料を運んだり、そんな彼に現地の人たちも協力を惜しまなかった。
 現代の我々の生活は、メールなどの希薄な関係に支配されがちであるが、人間と人間との本質的な関係とは何であったのか。そんなことを考え直す機会を与えてくれる作品である。
(法学部1回生 田渕大介)


【投票ベスト】 [kino-doc:0410]  文学部4回生 松重ひとみ
 中村さんのことは、以前ある先生からお話を伺ったことがありました。そのときに先生が「現地で一番必要なものは何だと思いますか?水です。だから中村さんは井戸を掘るんです。」と仰いました。私はあまりにシンプルな答えに、ひどくショックを受けたことを覚えています。
 『水がないから井戸を掘る』とても単純で、それだけに余計に重く響きました。
―食料のないところへ、食べ物を運ぶ。
―怪我をしている人を治療する。
 それは目に見える形で分かりやすく、費用の点さえクリアすれば、容易に行動に移せるでしょう。しかし、中村さんの活動は、診療所を建てればそこに働く医師が必要になる。井戸を掘れば、そこが枯れないように気を配る。けれど、それは何年にも何十年にもわたって、アフガニスタンの人々を支え続けます。
 食料援助や、医療支援が無駄な事だとは思いませんが、やはり一時的な性格が否めないと思うのです。そしてあくまで外からの支援でしかないのだと。中村さんの姿は現地の人々の中に溶け込み、一緒に苦しみ、一緒に戦っている―――そんな風に私は受け取りました。


【投票次点】 [kino-doc:0403]  理学部2回生 辻井 一
 連日のメディアにおける中東の方で起きてる内戦やテロの映像やニュースを見ていて、中東の方で銃をぶら下げている人というと気が短くてすぐ人を見かけたら殺すイメージしかなかったので、その殆どが農民で、彼らは目には目をという信条の反面、助けを求める人は命懸けで助け、客人歓待の信条を持っているということには驚きました。
 今回のドキュメンタリーは先生の言われていたように、今までの編集による映像とナレーションの語りのみのものとは異なり、インタビュー形式だった。もし今までのと同じ形式だったら中村さんの活躍と戦争の恐ろしさが伝わるに終始し、アフガン人の性格や信条,考えなどは全く伝わらなかったと思います。
 また、彼らは平和と自分たちの健康な生活を望んでいるだけなのだから武力は必要ないとも思いました。というのは今イラクに自衛隊は必要ないと思うのです。中村さんの話を聞いていると、彼らとうまく打ち解けて信頼を得るのは難しく時間もかかると思うけど、武装して行くのはかえって逆効果だと思いました。



【先生による選抜】
[kino-doc:0392]  理学部1回生 西村貴一
 この作品を見ながら最初に感じたのは「視点が変わらない」ということでした。場面転換がほとんどなく、映像もほとんどない。作品を見ながら考えていたのは「映像が取れるような状況下ではなかった」のではなかろうかということでした。しかし、木野先生のご指摘のように当事者本人の肉声を伝えるという効果が覿面な演出方法であるとも思い至りました。
 さて、内容に関してはアフガニスタンの難民対策を中心とした問題ですが、別のドキュメントで非常にショックを受けたものがありました。それは『ロシア難民』を扱った内容でした。ロシア革命によって少なくとも3000万人の難民を発生させ、少なくとも自然死ではない1400万人の死者を発生させ、その大半は飢餓と寒さによるもので、街では人肉が公然と売られていた。しかも、難民の父フリチョフ・ナンセン(初代国連難民高等弁務官)の国連での弁舌も空しく、彼らを援助する手は一切差し伸べられなかった、という非常に重苦しい内容でした。その時の映像、折り重なった凍死体の山、地平線まで続く死体、目を開けたまま死んでいる人間の表情を思い出すと、中村さんの活動が一縷の救いのように思われた。
 国際舞台で初めて難民問題が表面化したのは、オスマントルコの解体の時と言われ、ロシア革命で本格的に直面することとなったが、それから難民問題は全くなくなっていない。スーダン・アフガニスタン・アンゴラ…あまりにも多くの難民が世界には溢れている。また、国連を中心に難民援助活動も行われている。そんな中で中村さんのように難民を発生させない活動には感銘を受けた。井戸を掘る、診療所を作る、現地の人材を育てる、日本人に活動を紹介する、全てが地道な活動に思われる。そして、彼らの地道な活動に私たちが参加をすることができる、一番簡単な形が募金である。
 今まで、いくつものテーマでドキュメントを見た。「水俣病」「ヤコブ病」「生命倫理」「生活環境」「家族」…意識改革を迫るものであったり、社会告発であったり色々あった。われわれ自身が今すぐ我が身を振り返り、今すぐにでも行動に移そうと思えるもの、躊躇ってしまうもの、身近に感じられるものから遠い存在まで、さまざまであった。
 今回のこれは何を求めているのかわかり難かった、が、私なりに「あぁ、こんな人がいてくれたんだ。」という結論に至った。そう感じたのは前述のような経過があったので、私だけが一番に感じた内容かもしれないが、一種の『救われた』気持ちである、「いてくれて、良かった。」。そして、不思議と明るい気持ちになれた、現実は厳しいのかもしれないが明るくなれた。
 そこから、何か、という気持ちになれていないのでまだまだなのかも知れないが、明るい気持ちにしてくれた良い縁の作品であったと思う。

[kino-doc:0414]  
生活科学部1回生 佐々木幸作
 医師である中村さんが、医療活動以外に現地で必要な活動を見つけ、自分の専門分野とはかけはなれた井戸堀りをしている。いったい他にどの医師がそんなことを考え、実行できるであろう。普通なら問題を目の前にして、自分にはこれ以上できることはない、自分のできることを探そうと、自分の専門分野で他の物事を探すであろう。専門性をもっている自分にしかできないことが他にあるはずだと考えるのが自然で、効率的とも言えると思う。
 しかし中村さんはキャリア、専門性をなげうって、危険な状況下で難民を出さぬよう井戸を掘る。その結果多くの村を、人間を救っている。結果的にどの医師よりも多くの命を救ったであろう。「自分にできること」から「やるべきこと」を探すのか、「やるべきこと」から「できること」を探すのかが違っているのではないかと思った。「今私達にできることは何だろう?」と考えれば、結局は資源を大切にするとか、募金するとか、世界情勢に関心・理解を。大切なことで、やるべきことで、できることだ。でも「自分」の範囲を出ることがないんじゃないか。
 「やるべきこと」からできることを探した瞬間、全然違った答えが出ると思う。先生が経済学部からさらに看護の大学へ行った先輩の話しをしてくださったが、その先輩は「やるべきこと」からできることを見つけたんだと思う。逆だったら、経済を出て就職する中でボランティア活動に参加する程度だったのではないか。「自分」をやぶって行動、挑戦、実行することができる人間は他人とは違った何かを可能にする。実際に行動できなくても、一度考え方を逆にしてみれば何か変わると思う。

[kino-doc:0415]  
文学部1回生 中川翔子
 「報復は報復しか生まない」きっとこの事実は誰もがわかっていることなのに何故歴史は繰り返されてしまうのか、このドキュメンタリーを見て、虚しさというか、無念というか、今のこの世界情勢は悲しいものだと思いました。
 今日本では憲法9条改正の意見がでている。一度永久に放棄したはずのものを再びつかもうとしている。戦争を正当化できる全うな理由などあるのでしょうか。私は戦争映画やドラマが好きでよく見るし、おばあちゃんたちからも何回か戦争の話を聞いたことがあるけれど、その話の内容の大きく意味するところは、毎日死と隣り合わせの命がけの生活を国民は送り、食料にも困っている、こんなかんじだ。あんな生活を誰が好んで送りたいのか。
 各国の大統領や総理大臣そのほか指揮者たちが戦争や武力を正当化しようとする度に思うのは、戦争や武力行使にあたっては、人間は「モノ扱い」なんだな、ということです。あんなひどい爆撃などの中では、誰が死んでもおかしくない。誰が死んだかなどその戦争自体には関係がない。とても悲しいことだと思う。戦争は何があっても正当化されてはいけない、と改めて思いました。
 そして最後に、私はこの授業を受けて視野が広がりました。私はもともとメディアに興味があってその道にすすみたいと思っていました。その想いが更に強くなりました。今回の授業で木野先生がおっしゃった「ドキュメンタリーで伝えられる事実は1つの事実だけど、その裏側にはいくつもの事実がある」という言葉に非常に感銘を受けました。私はそのいくつもの事実を見たいと、強く思いました。
 情報の受け手である私たちが今求められるのは、メディアリテラシーそのものだと思います。1つの事実を鵜呑みにするのではなく、いろんな側面を見、自分でしっかりとその情報を判断していくことがとても大切です。メディアリテラシーは人間関係に似ているかもしれません。「○○ちゃんって〜な子って聞いてたけど、本当はこういう子なんだ」とか、ほかの人から聞いたり実際本人としゃべったりするとその人がどういう人なのか、ずいぶんと印象が違ったり、いろいろです。メディアから流される情報もまさにそうだと思います。情報社会で生きていく上で、情報を正しく判断することは必須だと思います。




# 2005年度は、10月6日(木)開講。始まり、始まり〜♪
# 11月3日(木)は、文化の日&銀杏祭(市大の学祭)のため休講です。
# 11月17日(木)は、2テーマ4グループに分かれてディスカッションをしてみます。事前準備を怠りなく!

# 今期も無事に終了。みんな、よく頑張りました。あとは成績付けと記録集の作成です♪(06.1.20)


今期ドキュメンタリー/授業の予定
1(10/ 6) 「二十歳のあなたへ〜手紙で祝う成人式〜」(NHK総合,05.2.4,45分)
2(10/13) 「嘆きの海、未だ… 水俣病は拡大している」(ABC,05.5.22,60分)
3(10/20) 関西の水俣病患者さんを迎えて―小笹恵さん・坂本美代子さん
4(10/27) 「薬害ヤコブ病・谷たか子の闘病記録」(MBS,98.3.16,60分)
5(11/10) 「“サリドマイド児”として生きて」(NHK教育,00.12.01,43分)
6(11/17) 「誕生の風景」(NHK総合,01.3.24,49分)
7(11/24) 「津軽・故郷の光の中へ」(NHK総合,02.2.14,43分)
8(12/ 1) 「安全の死角・検証・回転ドア事故」(NHK総合,05.3.27,53分)
9(12/ 8) 「アイデアから“奇跡の街”が生まれた」(NHK・BS2,04.9.25,60分)
10(12/15) 「あなたはいま幸せですか 地球家族2001」(NHK総合,01.8.21,60分)
11(12/22) 「カルロ・ウルバニ〜SARSと闘い死んだ医師の全記録」(NHK総合,04.2.15,50分)
12( 1/12) 「長き戦いの地で〜医師・中村哲」(NHK教育,01.11.25,60分)
13( 1/19) レポート発表(1人/本)とディスカッション



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