「ドキュメンタリー・環境と生命」2005年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第1回から第4回までを掲載しています(2005年12月28日)
5〜8回へ進む 9〜13回へ進む「ドキュメンタリー・環境と生命」の部屋へ


【第四期開講ご挨拶】

 工事中。。。





1(10/ 6) 「二十歳のあなたへ〜手紙で祝う成人式〜」(NHK総合,05.2.4,45分)

【要約ベスト】
 岩手県の水沢市では、7年前から市役所が主催して、成人式の際に新成人の家族から新成人へ手紙を送るという催しが行われている。企画は大村千恵さんによるものだが、今年は500通を超える手紙が市役所に寄せられている。そのうち毎年何人かの家族が壇上で新成人へ向けた手紙を読み上げている。どの手紙が読み上げられるかは、新成人には知らされていない。番組では、そのうち高森さん、小野寺さんの新成人の家族と、第一回目に手紙をもらい今では母親の立場にたった佐々木さんを取り上げ、この成人式がどのように体験されているかを描き出している。
 手紙を通し、家族は日頃改めて伝えることのなかった思いを伝え、またそれを受け、新成人は家族について改めて考える機会を得、これまで気づかなかった家族の思いを知ることになる。更にこの経験が、自分が親になった時にどう在りたいかを考える契機ともなっている。家族の思いを受け、新成人は家族に返事を出す。
(文学研究科・社会学専攻・D1 佐々木洋子)


【投票ベスト】 [kino-doc:3] 法学部1回生 佐々木久実
 授業中「一体何人の成人が手紙をもらえているのか」という意見がでましたが、調べてみたところ、およそ70%の成人が手紙をもらっているようです。「70%も!」と考える人もいると思います。しかし、私はこの数字を素直に受け止めることができません。手紙を受け取った人は、今日VTRでみたように、すごく感動し、嬉しかったと思います。しかし、手紙をうけとれなかった人はどの様な気持ちだったのでしょうか?
 もし周りの友達が皆、家族の心のこもった手紙をよんで、色々なことに思いをめぐらしている中、私だけが手紙をもらえなかったら、「私は家族に大事に思われていないのかな・・・」とすごく辛い思いをすると思います。家族との絆を見つめ直し、深めるためにある企画が、逆に家族との間に壁を作るきっかけとなってしまう可能性だってあります。
 成人式という人生節目の行事の際に、このような企画を行うということは本当に素晴らしいことだと思います。実際、全国各地の成人式に大きな影響を及ぼしているようです。しかし、手紙をうけとれなかった人はどうなるのか?彼らの気持ちは考えられているのか?その点がとても気にかかりました。


【投票次点】 [kino-doc:26] 文学部1回生 栗林里沙
 私は1人暮らしを始めるまで家族の大切さや、親がどれ程私のことを大事にしてくれているのか、知っているつもりで全く分かっていませんでした。VTRで流れた、さやかさんと同じ気持ちでした。少しでも遅く帰ってくると、細かく質問をするし、私の考えに一々口出しされるのことに抵抗を感じていました。もちろん当時は、家族より友達や彼氏を優先していました。しかし、私が1人暮らしを始める前日に親と祖母から手紙を受け取りました。手紙には、私が悩んでいたときのこと、輝いていたときのこと、そしていつでもつらくなったら帰ってきて良いのだということが書かれていました。その時、家族がいることの素晴らしさを知ることができました。毎日顔を合わせていても、家族から伝わってこなかったものがはじめて手紙を通して心に響きました。
 成人式で手紙を渡すという企画は今後も続けていくことが望ましいと思いました。やはり面と向かって、相手に対する愛おしさを伝えることは困難です。特にそれが親と子供の関係であれば、必ず伝え合う前に衝突が生じるでしょう。そこで成人式を利用して、お互いの気持ちを伝え合う良い機会だと感じます。こういった手紙のやりとりを日常生活の中の習慣の1つになれば、家族の絆がより一層深まるのではないでしょうか。



【先生による選抜】
[kino-doc:0004]工学部1回生 柴田雅史
 今回のドキュメンタリーで知った成人式のカタチは、僕の中での成人式のイメージを再び良いモノにしてくれました。最近僕の持っていた成人式に対するイメージは、市長などの方々が前で話しているときにでも、酒を飲んで騒ぐやつがいる、ただただ不愉快になる式というものでした。でも、この岩手県水沢市の成人式に僕が感じたものは、「あたたかさ」のようなものでした。こういう成人式ならぜひ出席したいと思ったし、ちょっと感動しました。
 高校を卒業する頃になると誰でも、大学に行こうが就職しようが、親と顔を合わす時間も短くなるだろうし、そう考えても二十歳ぐらいになると、親の方も普段思ってることを伝えにくくなってくるんだろうし、やっぱり、例えば成人式のような、特別な場所がないと、その思いを伝える機会すらないのかもしれない。全く同一の手法を取る必要はないけれど、こういった良いモノは、広めていくべきだ。でも、そこで一方通行にはしてはならないとも思う。おなじ時、同じ場所でなくて、別の機会でも構わないから、子供の方から親にも普段の思いを伝えれる場所が欲しいと思う。人生で一回きりの成人式、みんながよかったと思えるものであって欲しい。


[kino-doc:0010]法学部1回生 中村早希
 成人というのは人生における重要な節目だ。自覚のあるないに関わらず、「飲酒・喫煙」は認められるようになるし、「参政権」は手に入る。そして、「保護者のいない人生」の始まりでもあろう。勿論、成人といえばまだ学生であってもおかしくはないし、そのため、経済的な面は親におんぶにだっこである、というのも少なくはない。しかし、少なくとも「保護者」という存在はいなくなってしまう。残るのは「親」という名の一人の人間である。
 成人式に送られる手紙が常になく感傷的に受け止められるのは(普段では考えられない行為のせいもあるだろうが)近くにあったものが少し遠くなったからではないだろうか。あまりに近くのものはよく見えなくなるものだから。「家族のことを考えるいいきっかけ」との意見もあったが、これから共に過ごす時間の少なくなっていく中で「親と自身」のことを改めて振り返ることなどはそうないだろう。適度な距離関係を持てるようになり、考えるだけの時間がある。手紙で祝う成人式は、成人にそんなチャンスをあたえたのではないだろうか。


[kino-doc:0020] 文学部1回生 梶川芙実子
 家族を大切にしよう。そう強く感じた番組であった。
 成人式―正式に社会の一員になる式―なんて長時間くだらないお偉いさんの話を聞いていったい何を得ることができるのだろう、そう思っていた。けれども、この機会があることで自分が生きてきた二十年間を振り返り、決して一人で大きくなったのではないということに気づかされる。それに改めて気がつく場を設けることは重要だと考える。この場を有意義なものにするため親から成人に手紙を渡すという岩手県水沢市のアイデアで、手紙をもらえた人も、もらえなかった人も、親や兄弟に対して感謝する気持ちが生まれたに違いない。
 私の家族は父の仕事により海外を飛び回り、その理由で家族全員がそろって暮らした期間が限られている。生まれて初めて体験する文化ばかりでカルチャーショックを繰り返し、私はここまでたどり着いた。けれども、この経験をしてきたのは私だけではなかった。それを理解し、支えてくれ、荒れた時期でも見守って、叱ってくれる家族がいた。今までは恥ずかしくて言えなかったコトを言葉にして伝えたい、そう思った。私たちは一番大切にしている人に対して感謝する言葉を直接伝えることが少ない。これからは少しでも多くの「ありがとう」を表現していきたい。





2(10/13) 「嘆きの海、未だ… 水俣病は拡大している」(ABC,05.5.22,60分)

【要約ベスト】
 水俣病の公式確認から約半世紀。問題を早く終わらせようとする国からの和解にも応じず、22年間訴訟を戦い続けた関西原告団は、ついに国や県の責任を認め原告側の水俣病認定基準を採用するとする最高裁判決を勝ちとった。にも関わらず行政は依然として新基準を認めようとせず、被害の実態調査をする姿勢すら見せていない。本作では、両親を無念のうちに亡くした小笹さんや一家で悲惨な体験をした坂本さんを中心に、水俣病をめぐるさまざまな「今」が語られた。
 現在でも、水俣病と診断され病に苦しんでいながら国からの認定が貰えない人がたくさんいる上、当時子供だった世代からも新たに水俣病が発見されつつあり、被害は拡大している。彼らは発症と差別におびえ、不安な日々を過ごしている。どんなに国が水俣病を過去のものとして片付けてしまいたがっていようと、被害者らの苦しみが癒えることはない。水俣病は、終わらない。
(文学部1回生 川西祐子)


【投票ベスト】 [kino-doc:0052]法学部1回生 田渕大介
 今回のドキュメンタリーでの最大の焦点は、原告側の要求と国のとった対策とがかけはなれていた点にあると感じた。国家というものの規模の大きさや、政治というものの難しさをも考慮すれば、原告の要求をすべて受け入れることができないということは致し方ないかもしれない。しかし、参考資料を調べている内に疑問に思うことが出てきたのである。
 国は、水俣病が発覚した後、昭和45年のいわゆる「公害国会」で公害対策基本法と大気汚染防止法の改正、水質汚濁法の制定を行った。さらに昭和49年には公害健康被害補償法を制定した。これだけを見れば過去の人物が犯した過ちに気づき、責任を認めて公害防止に邁進するかのように思えるだろう。しかし、ここでドキュメンタリーの内容とつながるのだが、これらの人道的な立法の反面、水俣病患者の認定基準・認定数が司法や大学病院の示すものよりもはるかに厳しく、少なかったのである。すなわち、表面上では懺悔しているように偽りながら、結局は自分たちの利益や政治運営を優先していたのである。
 人間誰しもが自らを優先する気持ちがあって然るべきで、それを非難するべきではない。しかしまた逆に、国家を運営する立場にあってもつまりは人間なのであるから、人を愛して慈しみ、尊重して然るべきなのである。政治を行う上で様々な制約や縛りがあるのであろうが、それを押しのけて、自らの、一個人としての人間としての考えを述べる勇気を振り絞れる人がいれば、20年以上苦しんだ被害者たちは救われていたのかもしれない。


【投票次点】 [kino-doc:0048]文学部1回生 中川翔子
 私は大学生になるまで、あまり新聞やテレビのニュースを見なかったので、水俣病関西訴訟があったということも、恥ずかしながら今日まで知りませんでした。水俣病は終わった過去のこと、という風にとらえていたので、今日のドキュメンタリーは少しショックでした。
 今日デイスカッションの中で、国の原告への保障や謝罪の話が出ていましたが、自分がもし「水俣病かもしれない」という立場におかれたときに自分ならどうするかを考えると、やはり私は保障云々よりも謝罪を求め、そして対応が遅れた国によって自分がどれだけ苦しんだか、ということを世に訴えていくとおもいます。なぜ謝罪を求めるのか、私はそういう状況に立ったことがないので、あくまでも想像ですが、国が原告に謝罪をする、この場面がメデイアに取り上げられることで、自分と同じような人が救われるかもしれない、国や被告が同じ過ちを繰り返さないためになる(実際は繰り返されていると思うが・・・アスペストもそうだし)、そして何より水俣病によってけいれんなどで苦しみ喘ぎあげくの果てに奇病だと言われ差別されて死んでいった人や自分の名誉を取り戻すことができると思うからです。
 今日はそれ以外にも、ドキュメンタリーをとおして思ったのは、メデイアの力の凄さです。今日だけでもわたしを含む約30人の人がテレビという媒体を通じてドキュメンタリーを見、色々なことを各人が感じたのです。私のように、今日までこの訴訟を知らなかった人も、中にはいたかもしれません。やはり、大きなムーブメントを起こしメデイアに取り上げられるまでにいたる被告の方々のこれまでの努力と苦労の力はとても大きいと感じました。


【投票次点(同数)】 [kino-doc:0062]法学部1回生 中村早希
 興味深い記事を見つけた。名古屋大学の武田氏のもので、タイトルは「水俣病考〜水俣病の責任は(株)チッソにはない〜」。私はまずサブタイトルに驚いた。ドキュメンタリーを見て、完全に患者の立場から「水俣病」をめぐる一連の動きを見ていた私は、チッソに責任を見ていたからだ。
 しかし、チッソは生と死の両面を担っていた。当時、チッソの工場で作られた原料をもとに作られたプラスチックが医療用のカテーテル・パイプとなり、他の多くの患者の命を救っていたというのである。また、時代背景として「いらないものはそこらへんに捨てる」という考え方が蔓延していたことにも注意したい。現代では受け入れられない考えだが、メチル水銀が垂れ流されていたのは現代ではない。「水俣病」は現在まで続いても、原因は現代にないのだ。
 …まるでチッソを擁護するような文になってしまったが、これは私の本意ではない。大体私自身、ドキュメンタリーを見てチッソ(や国)に怒りを覚えたし、患者の立場に立ってすれば、チッソ(や国)に責任はないなど言えるものではないからだ。
 だからこそ、私は今困惑している。水俣病患者ではない私には、想像の域は出なくても、色々な視点が許されている。すると、こっちの立場では不条理に思えたものがあっちに立った途端理解できてしまうのだ。
 第三者である私が本当にチッソ(や国)を批判する気持ちだけを持っていていいものか、自分に問いかけてしまった。



【先生による選抜】
[kino-doc:0045]商学部3回生 藤田孔平
 今回のドキュメンタリーを見て一番驚いたことは、症状の出始めた水俣病患者が、差別や偏見を恐れて、水俣病認定を申請することを躊躇している、という事実です。水俣病の原因が、伝染病などでなく、有機水銀であることが明らかである現代において、患者は、同情されたりはするであろうが、そんな差別があるとは想像もできていなかった自分には、すごくショックでした。
 しかし、よくよく自分を思い返すと、重大なことに思い当たりました。私は小学生の頃、先天的に知能か何かの障害を持っている同級生がいました。しゃべる言葉も聞き取りづらく、動きもどこかしら不自然になってしまう子でした。小学生時分とはいえ、その子をからかったりもしていたし、偏見を持っていました。それに、たとえ今でも、そういう人との接し方にはとまどってしまうでしょう。
 そこで悩まされたのは、人の本質、あるいは心の奥のどす黒い部分の闇の深さです。知識で解ったり、うわべを取り繕うことはできるけれども、その部分を御することの難しさを感じました。


[kino-doc:0056]理学部1回生 西村貴一
 初めの実感として、教科書で当然のように習っていることも詳しくは知らないということが、やはり多いということである。今回に関してならば、村山総理時代の手打ちや、関西訴訟における判決などが挙げられた。私の中での水俣病とは、「チッソ・水俣湾・猫・魚・メチル水銀・痙攣・熊本県・公害・新潟水俣病・アマゾン川メチル水銀中毒」といった、限定的で断片的なものだけであった。ドキュメンタリーを見るということの意義を改めて感じた思いである。(無論、『事実』は制作サイドによって、選択的に決定されることを念頭に入れなければならないが。
 さて、平成17年4月7日に環境省が「今後の水俣病対策について」なるものを発表したが、内容を読むとドキュメンタリー放送時の内容から、わずかに前進はしたけれども、被害者の求める水準には至っていないという内容であった。つまり、国として医療費は全額補助し、上限を廃止しはするが、賠償責任はないという姿勢である。
 確かに、日本国の復興において当時は重工業に傾斜をしていた。100歩譲って、それが当時の国是であったとしよう。しかし、それによって、被害者無視を現在まで続ける理由はあるのだろうか?私には見当たらない。財政が厳しいという意見があったが、特定財源なり(あり得ない話だが米国債を売るなりして)金銭は工面できると思う。
 現在においては、国の『いこじ』であるとしか、映らない。


[kino-doc:0067]文学部1回生 栗林理沙
 私はこのドキュメンタリーを見て、強い怒りを感じました。国民を守る立場にある国が水俣病患者の人々に対して何もしていなかったということを知ったからです。私はその時に日本人であることに恥じらいを感じてしまいました。
 2004年10月に最高裁で国と熊本県の責任を確定された後に国を代表して小笹さんに謝罪に来た人に小笹さんが言った言葉に深く考えさせられました。「これが終わりではない、始まりだ。」国にとっては謝罪をすることで義務が果たされ、役目が終わったと思うことでしょう。謝罪に来た人にとっては、どうして直接関係のない自分が謝らなければならないのか、と思っていたかもしれません。この謝罪を仕事の一つでしかないと考えていたかもしれません。正直、私はあの場面を見て、小笹さんは「ごめんなさい。」を繰り返すロボットに苦しみや痛みを訴えていたようにしか見えませんでした。ごめんさないと謝り、頭を下げればそれですまされるのでしょうか。小笹さんやそのほかの人々の怒りは、それだけでおさまるのでしょうか。
 国は国民を守らなければならないのだから、国民ひとり一人の気持ちを受け止めることのできる人間を政府に求めなければならないと感じました。






3(10/20) 関西の水俣病患者さんを迎えて―小笹恵さん・坂本美代子さん

 お二人のことは前回のドキュメンタリーでも紹介されていましたが、その後の近況を知るのにちょうどよい記事を山中さんが書いています。≪環っ波≫というHP(http://www.wappa.info/)で「Action」を開けば載っていますので、読ん
でください。

【要約ベスト:お二人のお話から】

質問1:お二人へ
 裁判で水俣病という認定が出たにもかかわらず、国は公式認定を拒んでいるようですが、「認定される」というのは患者の方々にとってどのような意味をもつのでしょうか?
お二人の答え:
 死ぬまで自分のすべてが保障されるということであり、患者には必要なこと。
 国がかかわってかかった病気であり、司法でなく行政が認めてくれないと完結しない。また、生活していかなければならないが、働きたくても水俣病のせいで働けない人もいる。そうさせてしまった責任は政府にあるのだから、認定し保障するのは当然のことだ。
 働けない人がほとんどであり、あくまで「認定」が欲しい。認定は患者全員が求めていることであり、生きている間にその言葉を聞きたい。
(法学部1回生 木本有美子)

質問2:お二人へ
 2004年の最高裁判決で、国の責任を認めたとありましたが、その判決に満足はいっていますか?
お二人の答え:
 表面的な意味では坂本さんと小笹さんの答えは違っていた。二人の状況が違うということもあり、坂本さんは満足していらっしゃらず、小笹さんはこういう判決が降りたことには満足という言葉が適切かどうかはわからないが、「すごい判決だとは思う」といってらっしゃった。
 しかし、二人とも本質的な意味では満足ではない。坂本さんは高裁での判決(行政責任)が取り消されてしまい、もちろん不満足であろう。小笹さんは判決自体は満足でも状況が変わらなければ意味がなく、判決が行政を動かしていないという点から不満足であろう。このように質問に対する正確な回答は満足していないである。
(法学部1回生 竹垣正博)

質問3:お二人へ
 今、国に求めることは何ですか。
お二人の答え:
 国からの謝罪は何度も受けてきました。環境省の大臣や他の偉いさんにも頭を下げられました。しかし、謝罪後の言動を見たところ、それは我々水俣病患者の気持ちを全く理解していないうわべだけの言葉であると感じました。国は謝罪の言葉をいくら並べても、その責任をとろうとはしないのです。
 国に求めることは、ただひとつ。『行政認定』です。水俣病という病気は、自分の身体や心だけでなく、周りの人々にも負担を強いるのです。働くことができない水俣病患者は、周りの人々に頭を下げて引け目を感じながらも生活のすべてを頼らないといけないのです。認定を受ければ、1600万円という給付が受けられるんです。それに加え、年金と足代があれば、贅沢をしないかぎり、一人で自立して暮らしていくことができます。医療費保障などの妥協策で手を打った人々もいますが、そんな大きな意味を持った『行政認定』を水俣病患者の誰もが望んでいるんです。
(法学部1回生 中井泰佑)

質問4:小笹さんへ
 環境省の人が来て、ご自分の気持ちはどのようでしたか。その前と後では気持ちに変化はありましたか。
小笹さんの答え:
 もっと(地位が)上の人に来て欲しかったが、とりあえず肩の荷が降りてうれしく思った。
 父は地裁で負けた際に、たくさんの仲間に謝っていた。そのとき私は「誰が父に謝ってくれるのだろう」と思い、国に父の前で頭を下げさせたかった。しかし謝ってもらう前に父は亡くなってしまった。最高裁判決後の環境省の文書には亡くなった人のことが1行も述べられておらず、反発を覚えた。だから自分が戦おうと思った。
 国が謝りに来てくれたというのは、終わりを意味するのではなく、始まりだと思っている。
(法学部1回生 山口紗緒里)

質問5:小笹さんへ
 子供の頃に汚染された魚を食べた40-50歳代の人が、今になって症状が出てきたそうですが、その人たちに国はどのような対応をとると言っていますか?
小笹さんの答え:
 40歳くらいから症状が出てきたわけではありません。小さい頃から症状はありました。その頃は「自分は周りより体が弱いんだ。」程度に思っていました。歳をとるにつれて症状が進むにつれ、「自分も父母と同じ様に水俣病ではないか。」と思いだしましたが、裁判の時、父母が周りから「偽患者」と言われるのを見ていたので、自分も水俣病でないかと言うと、また周りから何か言われるのが怖くて、なかなか診察を受けて申請する事ができませんでした。国の対応は、広く医療費全免する代わりに行政認定は諦めろ、というものでした。
(法学部1回生 前田尚人)

質問6:坂本さんへ
 勝訴原告に交付された医療手帳を返却されたのはなぜですか?
坂本さんの答え:
 行政認定を国に求めていく上で、医療手帳と二又をかけた交渉や、22年の努力を捨てるようなことはしたくなかった。医療手帳では医療費は保証されても生活は保障されないのだし、あくまでも行政認定が欲しかった。行政認定があれば、今のように、福祉のお世話になって肩身の狭い思いをしなくても済む。医療手帳については子供とも相談して、返すことにした。後悔したくなかったし、泣きたくもなかったから、一から交渉にあたる気持ちで熊本まで行って直接医療手帳を返した。
(工学部1回生 柴田雅史)

質問7:お二人へ
 水俣病のせいで差別を受けてきて、人間の嫌な部分をさんざん見せつけられてきたと思います。今でも人を信じることができますか。
お二人の答え:
 水俣病は人間の体だけではなく、心までもぼろぼろにする。今回、小笹さんと坂本さんを迎えて、差別に関しての話を聞くことが出来た。今では2人とも差別や偏見を肌で感じることはないらしいが、昔は差別されるのが怖かったので自分が水俣病患者であることをどんなに近い存在の人にも秘密にしていた。様々な差別を受けてきて、人間の存在が嫌になるときがほとんどであったそうだ。
 小笹さんは、人間嫌いになったこともあるが、人は信頼し合って生きる動物だから、1人では生きていけないと考えているため、人を信じることは必要だと感じておられる。
 坂本さんは水俣病のせいで村八分になってしまったために、人間に対して恐怖を覚えるようになった。熊本県を離れて、大阪に移った後でも、彼女の苦い体験がトラウマとなり、人と接することが難しくなってしまった。彼女が涙を流しながら、私たちに訴えた、「友達を沢山つくりなさい。」という言葉は一生忘れられない。
 今では、2人ともが自ら水俣病のことを告白している。それは、彼女たちの戦いを続けていくために必要であるからだ。
(文学部1回生 栗林理沙)

質問8:お二人へ
 もしも水俣病とはかけはなれた世界にいたならば、どういう人生を歩んだと思いますか。
お二人の答え:
(坂本さん)
 子供や孫に囲まれた楽しい人生を送っただろう。水俣病のせいでそのような人生を送ることも許されなかった。
 美容師の免許を持っているので、美容師になっていたかもしれない。
(小笹さん)
 性格ものんびりしているので、のんびりと普通の生活を送っていただろう。
 自分がどうしてこんな目に遭わなければならないのかと思うときもある。
 ただ、プラス思考で考えたら、水俣病患者ということで、いろんな人と出会えたというのもある。自分の人生がそういうことで大きく変わった。木野先生や坂本さんとも出会えたし。
(文学部1回生 中川翔子)


【投票ベスト】 [kino-doc:0093] 法学部1回生 中井泰佑
 今回、小笹さん坂本さんのお話をお聞きして、『残念だ』と思いました。なぜなら、質問に対するお二人の答えは僕の期待していたものとは違ったからです。前回のドキュメンタリーでは、メディア側の編集もあったせいか、水俣病患者の『お金』を求める姿は映っていませんでした。少なくとも僕はそう感じたのですが、現実はそうではなかったのです。水俣病患者の求める、『行政認定』の裏側にあるものは1600万円でした。補償よりも謝罪、という答えを期待し、また望んでいましたが、現実は謝罪よりも補償だったのです。患者たちにそこまで国を憎ませてしまったのは、水俣病自体ではなく、積み重なる国の不誠実な対応だったのではないだろうか。もし心からの謝罪を受けていればどうだったのだろうか。一人では生きられなくなった身体で誰かに頭を下げ、頼って生きていくしかない人にとって『補償より謝罪』という僕の期待した答えは理想にすぎないのだろうか。もしそうであるならば、少し悲しいと思いました。

【投票次点】 [kino-doc:0114] 法学部1回生 山口紗緒里
 私はドキュメンタリーを見た前回の授業では「政治的和解、お金で解決しようという考えでは、本当の意味での和解なんてあり得ない。」と思った。今もお金がこの問題を解決するなんて思わないが、それでも水俣病患者にはお金が必要なのだと思い知らされた。医療費はもちろんいる。症状がひどい人は働くことさえできない、生活保障がいるのだ。行政認定が生活保障の印になるなんて思ってもみなかった。「和解金の260万で何年生きられる?」という不満の声には生活がかかっているという重みがあった。自分の責任でない病に人生のすべてを変えられた2人の言葉には胸がしめつけられる思いだった。
 医療手帳には政府の汚い部分が垣間見える。満足いく補償ではないのも政府はわかった上で、幕引き(これ以上訴訟を許さない)を条件としたとも考えられる。ここでもし坂本さんと小笹さんがこの幕引きに納得していたら、この水俣病問題には終止符が打たれ、私には知る由もなかっただろう。けれど、坂本さんと小笹さんが政府と闘うことをやめないことで、私やこの授業を受けたみんなはこの長く続く水俣病問題を知ることができた。私はこの問題に対する自分の答えを見つけられていないので、みんなとの意見交換を通じてもう1度考えてみたいと思う。



【先生による選抜】
[kino-doc:0091] 医学部1回生 M.S
 先週鑑賞したドキュメンタリーと昨日のお話しは非常に重複していたので、最後の質問とその答えに対しての感想を書きます。
 今回、お2人のお話を聞いて、1つだけ安心出来たことがあります。それは、小笹さんが、ご自分が水俣病である事とご自身の社会的に置かれている現状を、出来るだけプラス思考で考えていらっしゃった事です。
 私自身何か高い壁に衝突するとき、自分の現状と将来を出来るだけ悲観的には考えないようにしています。自分の現状を自分なりに理解し、納得し、素直に受け止め、必要以上に自分を悲観的に見ず、その現状で更に何が出来るのかを肯定的に考える事は、幸せに生きていく上で大切なことだと思っています。「今日の友は明日の敵」。そう考えたくないけど、人間が作る社会なのだから、自分にとっての得は相手にとっての害に往々になり得るわけで、本当の友がなかなか出来ないのは仕方がないことだと思います。でも、それを踏まえたうえで、いかに上手く友情関係を作って行くことが出来るかが大事で、それはたとえ水俣病患者あっても無くても気持ちの持ち方しだいで、誰でも出来ることだと思います。
 水俣病患者であるからこそ、つらい事がたくさんあったかもしれない、でも、水俣病患者だからこそ感じることも得た物も、きっとたくさんあったと思います。お2人は、水俣病という非常に特殊な状況に置かれる身になってしまった、唯一無二の存在です。争うばかりでは安らかで楽しい気持ちにはなれないと私は思うから、政府と保障問題を争いつつも、水俣病を通して多くの人間と深い所で共感しあって、お二人にしか伝えることの出来ないことを出来るだけ多くの人に伝えて、今もそしてこれからも幸せに生きて欲しいです。


[kino-doc:0095] 法学部1回生 奥平真子
 今回、坂本さんと小笹さんのお話を聞いて「行政認定」の重要性が改めて認識できました。「謝罪は何回もされたけど、謝ったからには最後まで責任を取ってほしい」と小笹さんのお話にもあったように、政府は患者達の人生を償うつもりで補償問題に取り組むべきだと感じました。
 また最後の方で、お二人は結婚や近所付き合いなど人間関係にも苦労なさったことを話して下さいました。特に坂本さんが「友達が少ないのは本当に寂しい。もし自分が水俣病でなかったら、今頃はたくさんの友達に囲まれていたかもしれない」とおっしゃった時には、水俣病の与える影響の甚大さを痛感しました。今後、行政認定が実現しても、友達が急にたくさん増えるわけではないでしょう・・・しかし、だからこそ今のご家族やご友人を大切にしてほしいとも思いました。
 私は授業後の昼食会に参加したのですが、そこで小笹さんが職場での失敗談を話してくれました。天ぷらを揚げている時に、たまたま近くにあったハサミの先(保護カバー?)まで揚げてしまったということでした。見た目がエリンギによく似ていたのですが「手で触ったら気づくやろ!」と同僚に言われたそうです。「触ってもわからないんだから仕方ないよねえ」と冗談っぽく話してくれましたが、これが「感覚障害」の現状だと思うと、素直には笑えませんでした。


[kino-doc:0111] 文学部1回生 栗林里沙
 私は小笹さんと坂本さんの話を聞いて、胸が苦しくなりました。彼女たちの言葉にはひとつひとつ重みが感じられて、心に響きました。私は、彼女たちの心に興味がありました。様々な人から差別を受けてきて、今でも人を信じられるのかを知りたくてなりませんでした。
 坂本さんは私の人を信じられるのか、という質問に涙を流しながら答えてくれました。体は普通の人と変わらないが、水俣病にかかっているということで様々な人から嫌な顔をされてきた坂本さん。水俣病のせいで村からは村八分に遭い、人に拒否されることの恐怖が忘れられないでいる坂本さんの「友達を作りなさい。」という言葉は一生忘れられません。人の嫌な部分を見せつけられてきた坂本さんだからこそ、人間を信じるということの大切さ、そして坂本さんを心から思っている人々を大事にするということを知ってるのだと思いました。
 私自身、幼いころに周りの人から偏見の目で見られてきました。父親が日本人で母親が日系アメリカ人なので、私は国籍を2つ持っています。そのことで、顔は日本人なのに国籍はアメリカということ、家では母親がたまに英語を使うということが周りには不思議なことだったのでしょう。「にせ外国人」と言われながら、苦しい時期を過ごしたこともあります。しかし、そのとき私を守ってくれた友達や家族のおかげでより一層人を好きになること、大切さを感じることができました
 ですから、坂本さんの言葉が私の中でずっしりと響き、自然と涙がこぼれてしまいました。今回、お二人の話を直接聞くことができたことに感謝しています。


[kino-doc:0115] 生活科学部1回生 佐々木幸作
 「何が何でも行政認定」と坂本さんは何度も口にしていました。国のせいで働けない体になり、生きていくためには補償が必要だと、具体的な金額まで出して話されていました。私はドキュメントを見てから、水俣病患者は補償よりも謝罪を求めているのだろうと思っていましたが、現実はもっとシビアで過酷なものに感じました。
 坂本さんは福祉の世話になって生活ができているが、それが嫌で行政認定、つまりはお金がほしいのだと私は理解しました。国に責任をとってもらいたいことはもちろんですが、患者の生活はそれだけでは語れないのだと、自分の考えの甘さを痛感しました。
 小笹さんも、謝罪されたときは肩の荷が下りたが、非を認めたということはここからが始まりだと言っており、謝罪と補償というものは切り離せないものなのでしょう。補償を求めることは、つまりは上っ面だけでない、心からの謝罪を求めるということだと感じました。その二つを切り離し、どちらを求めているか、と考えたこと自体が甘かったのかも知れません。
 また、質問に対する坂本さんと小笹さんの答えも(当然だが)異なっていました。直接話を聞けたことはとても貴重ですが、これが患者の本音のすべてだと思ってはいけないとも思いました。







4(10/27)「薬害ヤコブ病・谷たか子の闘病記録」(MBS,98.3.16,60分)

【要約ベスト】
 ヤコブ病とは、プリオンタンパクにより脳がスポンジ状になる病気で、100万人に1人の割合で発病し、ほとんどが60歳以上だ。谷たか子さん(43)は1996年5月ヤコブ病と診断された。発病して2ヶ月で植物状態になり、食事は点滴、夫と三人の娘さんが24時間体制で看病することに。発症の原因は1989年の手術のときに脳に埋め込まれた乾燥硬膜「ライオデュラ」。ライオデュラ移植によるヤコブ病発症率は4000人に1人の割合にまで上がる。
 製造元のビーブラウン社では死体から硬膜を切り取り、誰から取ったかわからない状態で販売していた。しかも1987年2月にすでに米疫病対策センター(CDC)でライオデュラによるヤコブ病発症が報告されていたのだ。さらに同4月には米食品医薬品局(FDA)がライオデュラの廃棄を勧告、5月にアルカリ処理された新ライオデュラが発売されていた。しかしその2年後、谷さんは汚染の可能性のある旧ライオデュラで手術を受けた。いったい厚生省は、政府は、なぜもっと早く回収命令を出さなかったのか…。もっとメーカーが早く回収していれば妻は、母は、ヤコブ病にかかることはなかったのに。笑うこともできなくなった谷さんの姿に家族の無念が募る。
(生活科学部1回生 森田実紀)


【投票ベスト】 [kino-doc:0131] 法学部1回生 吉田雄一
 クロイツフェルト・ヤコブ病について調べてみると、いかにこの病が八方塞がりの望みのないものかがよく分かった。数ヶ月以内に急速に病状が進行し、1〜2年で死亡する。しかもその治療法もない。さらに、薬害ヤコブ病の場合はB・ブラウン社の乾燥硬膜という原因が特定できるが、ひどいときには原因も不明で、発病すると、もう見ているしかできない病気であるらしい。
 そのような病を、国は10年という時間が過ぎた後、全面的に認め、謝罪した。これは問題もたくさんあるが、喜ぶべきことだろう。しかし、前の講義内容に触れることになるが、水俣病はさらに長い間国に申し立てをしているのに、患者さんたちが水俣病であることすら認めず、むしろ水俣病をなかったことにしようとしている。この二つ病気に対する対応の違いはいったいなんだろうか?僕は、二つの病の違いは、病状などという内容的なことを考えてではなく、その病への対応が国際的にどう見られるか、つまり国際的な体面を考えているだけであるように思う。ヤコブ病は世界中で発生し、アメリカの素早い対応に対する日本の対応の遅さは日本のマイナスイメージにつながりかねない。しかし、水俣病は日本国内の病気であるため、対応を渋っても大して問題にならないのだ。僕はこのような基準で政府が公害病や薬害病を見ているような気がしてならない。


【投票次点】 [kino-doc:0157] 生活科学部1回生 佐々木幸作
 ドキュメンタリーを見ながら、大切な人がヤコブ病のような病気にかかったら自分はどうするだろうか、ということばかり考えていた。昔、彼女とよくお互いのどちらかが重度のボケや植物状態になったらどうする?と言う話をした。自分がそうなったら、尊厳死か施設に入れて、少なくとも相手に介護はしてほしくない。そこにいるのはもう自分ではないから、というのが理由。でも、もし相手がそうなったら死ぬまで介護してやるだろうと思っていた。だけど、現実は辛い。辛すぎる。谷さんと大切な人を重ねると胸が痛くて苦しくてどうしようもない。もう考えていられなくなる。別の谷さんの映像が出る度にまた同じ事を考え、自分は同じことができるかどうかにたどり着く前に耐えられなくなる。きっと自分はこの手で介護などできないのではないか。自分が小さくて汚い人間に思えた。自分と、周りの人々にそのような事態が起きないことを願うばかりである。
 でも薬害なんてどうやって防げばいいのだろう。あまり関係ないが、数年前に雪印の牛肉偽装事件があった。私たちが身を守るには、日々の生活で危険なものを避けて安全なものを選んでいくしかないだろう。その手段であるラベルが偽装されていた。もう私たちが行っている防衛は意味を失った。病院だって、厚生省が認可している製品なら避ける方がおかしいだろう。その厚生省が10年以上も間違っていた。私たちはどこで危険を判断できるのだろう?政府は、一度犯した過ちを二度と繰り返さないようにしてほしい。当たり前のことだが、言えることはそれしかないと思う。



【先生による選抜】
[kino-doc:0138] 法学部1回生 田渕大介
 今回のドキュメンタリーは、企業の過失や国の危険管理の認識の甘さによって幸せな生活を一瞬にして奪われた一つの家庭に焦点を当てて進められてゆくものであった。
 第二回のドキュメンタリーにもつながるのだが、我々は企業や国の作ったシステム、すなわち一部のものによって作られた社会に生かされている、またその社会で生きていかざるを得ない、ということを印象的に感じたのである。
 我々の生活は、企業や国の作ったシステムを利用しなければ生きてはいけない。また、企業は企業である限り利潤を第一に求め、国家は国益を第一に求めてそれぞれ行動する。そこに、そのシステムを利用せざるを得ない我々(企業や国家と比較すれば明らかな弱者である)を思いやる気持はあるのであろうか。これまでのサリドマイド、スモン、薬害エイズ、そして薬害ヤコブといった、繰り返されてきた薬害を見る限りでは、弱者を思いやる気持ちが欠落していると言わざるを得ない。人間はやはり、利己的な面を持つ生き物であるので、いくら裁判で企業や国の責任を認めても、残念ではあるがこのような事件はいずれまた繰り返されるのではないかと感じる。それを防ぐためには、第三者によるチェック機能などの新しい制度を取り入れなくてはならないであろう。
 谷さんは、幸せな生活から一転、辛く長い日々を送らなければならなくなったのであるが、投げ出さずに必死で闘っていた。それは、やはり妻を愛する故のことであり、家庭を大切に思っているからであろう。その気持ちが、国や企業という、とてつもなく大きな存在に立ち向かう原動力となり得たのであろう。その行動に敬意を表し、このような薬害が二度と起こらないような対策を国や企業に切望したい。

[kino-doc:0139] 生活科学部1回生 森田実紀
 谷さんの家族の無念さはどんなだっただろう。しかし、映像からは辛さや悲しみよりも、家族や友人のたか子さんに対するあたたかい愛情の方がひしひしと感じられた。特に、三一さんと娘さんの24時間体制の介護の様子は、病気をはねのけてしまうかと思うくらいの家族の力を見た。
 私たちが今考えるべきなのは,なぜ政府の対応が遅れたのかということだ。厚生省は汚染硬膜の危険性については、たか子さんに移植される2年も前の87年、米国のCDCやFDAの警鐘が全世界に向けて発信され、日本でも、翻訳されて雑誌に載ったという。だが、厚生省は何の措置もとらなかった。本当にとれなかったのか。国民のことを考えて早くライオデュラの回収命令をだしていたら、こんなことにはならなかった。96年11月、三一さんは、国(厚生省)と硬膜の輸入販売元のビー・エス・エス社などを相手に損害賠償を求める訴訟をおこし、2002年3月和解策がとられている。「運が悪いでは済まされない。被害者は見殺しです」という三一さんの思いが、和解成立をかちとったのだ。こうした一人の行動が他の薬害問題の被害者に対しても希望となるだろう。しかしこうした問題はそもそも起こってはならないことだ。谷たか子さんの命は戻ってこない。悲しいけれど、これを一つの「教訓」として政府、また医療関係者は人の命を預かっているという自覚を持つべきだと思う。


[kino-doc:0147] 文学部1回生 川西祐子
 この前まで普通に生活していたのに、ものすごいスピードでそれが崩されていくことの悲惨さがひしひしと伝わってきました。どんどん自分の意識が削られていくのを味わったたか子さん本人の苦しみも自分に置き換えると恐ろしいですが、妻や母親があんなに変わってしまうという悲惨な状況下で気丈にたか子さんの介護を続けた家族の皆さんの強さにも感服します。
 前に「ブラックジャックによろしく」(有名な医療漫画)で、優れた抗がん剤がなかなか日本で承認されない、という話を読みました。それを見ると日本の国は慎重すぎるほど慎重なのか、と思いますが、一方で恐ろしい薬害を出しているライオデュラを平然と放置していたことに閉口してしまいます。
 そもそも大方の人が「死体」というものには抵抗があると思います。まして知らない他人のもの。ドキュメントを見る限り、たか子さんにライオデュラが移植されていたことを三一さんが知ったのは発病後でした。資料にも、不便ではあるが本人の側頭の筋膜でも代用できたとありますが、医者側は死体を使うと言うと拒否されて面倒な手法をとらされることが目に見えていたので、あえてその説明をしなかったのではないでしょうか。患者のことを何とも思っていない医者側の態度が見えてきます。
 現代日本でも司法解剖の現場などでは、保存された臓器が誰のものかごちゃごちゃになっていたり、信じられないほどずさんなことが行われているようです。命がなくなっても人間の身体です。死体に触れる人にも倫理観が必要だと感じます。


[kino-doc:0153] 法学部1回生 中村早希
 もう、国を信用するだけの時代は終わったのかもしれない。水俣病、ヤコブ病のドキュメンタリーを見てそう思った。「対応が遅い」とは誰しもの感じるところだ。厚生省はあまりに鈍感で愚鈍すぎ、もはやパワーゲームの舞台でしかないようにも思える。そして、今更指針を変えるには大きすぎる組織だ。もう、自分のことは自分でどうにかするしかないんじゃないだろうか。確かに個人ではどうしようもない面も多いけれど、自分で対処しなければならない領域が格段に大きくなっているのは事実だ。
 また、悲しいことだが、多くの人はあまり広範囲のものに愛情を分け与えられない。例えば小遣い稼ぎに硬膜を集めていた病理解剖の人たち。目に見える「金」とどこにいるともしれない「異国の患者」、どちらが彼らの意識を支配していたかなんて明確だ。私だってニュースで虐待事件を見ても「可哀想だな」と思いながら何もしない。法律に抵触してるかどうかの違いもあるだろうが、「故意」にしろ「消極的」にしろ被害者を見捨ててることに変わりはないんじゃないかと思う。極論だが。
 被害者になる可能性だけじゃない。加害者になる可能性だってある。被害者にならないためにも、加害者にならないためにも、まずは自分のことを振り返らなければ、と思った。






前に戻る  次に進む 次の次に飛ぶ

木野先生の部屋はこちら→木野研
生命・環境系の番組情報は→生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web