「ドキュメンタリー・環境と生命」2005年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第5回から第8回までを掲載しています(2005年12月28日)
1〜4回へ 9〜13回へ「ドキュメンタリー・環境と生命」の部屋へ



5(11/10) 「“サリドマイド児”として生きて」(NHK教育,00.12.01,43分)

【要約ベスト】
 サリドマイドは「安全な」睡眠薬として開発・販売されたが、妊娠初期の妊婦が用いた場合に催奇形性があり、四肢の全部あるいは一部が短いなどの独特の奇形をもつ新生児が多数生じた。彼らはサリドマイダーと呼ばれ、生まれながらの自分の運命を受け入れて、立派に社会に進出しているひともいる。
 その彼らは、再び自分たちのような悲劇を繰り返さないよう懸命に社会に訴え、サリドマイドの使用をよく考えた上で使って欲しいと考えている。実際サリドマイドは現在ハンセン病の治療やガンなどの治療にも世界では、使われている。
 日本ではサリドマイドの被害が公になった後、1962年9月に厚生省が製薬会社に薬の販売停止を命じた。最初に西ドイツで回収措置が取られてから10か月も経った後の出来事であった。さらに回収が徹底していなかったため、その後も被害者が生まれた。
(工学部1回生 西岡直樹)


【投票ベスト】 [kino-doc:0175] 文学部1回生 中川翔子
 私はインターネットで、ある日本人のサリドマイダーの方の質疑応答のページを見つけた。そこに書かれていた日本と海外のサリドマイダーの違いとして、「自立」の意味の取り方の違いが挙げられていた。
 日本では「自立」は自分で何でもできるようになるということとイコールで、なんでもできるように訓練を受けたりする。しかし海外(ここでの海外はどこを指すのか文面からは読み取れなかった)では「自立」は障害を持っていても自分の生きたいように生きる、例えば就きたい職業に就くなどだそうだ。一方、介護などのシステムが行き届いているので、普段の生活においては自分であまり動くことのない、不自由なサリドマイダーの方も多いらしい。
 昨日見たドキュメンタリーの中のカナダのサリドマイダーの方々は、自分たちで何でもしていて、人の手を借りているシーンやヘルパーが映されていることはなかった。私がインターネットで見た日本人のサリドマイダーの方も同様に何でも自分でしているようだ。
 このドキュメンタリーとインターネットの文面を読んで、福祉のあるべき姿というのを考えさせられた。福祉は個人が自立して生活するために必要不可欠なものだ。人が不自由をしているのを手助けしたりして個人がちゃんと生活できるバックアップというのはかならず必要だ。しかし、自分でできるということの喜びまで奪うほどのバックアップはどうか。
 今後日本や海外の福祉が発展していく上でのポイントになるのではないかと思う。


【投票次点】 [kino-doc:0193] 法学部1回生 山口紗緒里
 私がこのドキュメンタリーを見て「自分のことを認めてくれる存在」について考えてみた。ドキュメンタリーでのサリドマイダーの方々は本当に前向きに生きていて、こっちが励まされるくらいだ。どうしてサリドマイダーの方々はそんなに明るく生きられるのだろうと考えたときに、頭に思い浮かんだのは自分のことをそのままの自分として認めてくれる人がいるからではないかと思った。それは家族・恋人・友達であったりするのだが、要は障害者だからといって特別視せずに健常者と同じように接してくれる人である。
 自分だけで障害を受け入れ、前向きに生きることは不可能ではないかと私は思う。いくら心の強い人でも、自分を認めてくれる存在がいるのといないのとでは心の落ち着きようが違う。自分以外に自分を認めてくれる人がいるだけで、ありのままの自分に自信を持てるようになる。
 健常者がしなければならないことは、もっと障害者の人と仲良くなる、コミュニケーションをとることだと思う。ただ外から考えるだけじゃなくて、同じ側から考えたり行動したりすることでお互いの理解を深めることだ大事なのではないかと思う。


【先生による選抜】
[kino-doc:0170] 理学部1回生 徳山宏明
 かれらはサリドマイドによる障害だろうとも、生まれてきたときから、その体なのです。それが自分のからだ。しかし、そうは思っていても、周りの視線がおかしい、障害を持っているといわれ、普通はネガティブになるところですが、彼らはそれでも力強く生きてきました。彼らは確かに障害者で、被害者ですから、保証もすべきだとは思いますが、彼らを一番苦しめてるのは、周りの差別の視線だと思います。
 わたしの友人で、サリドマイドではないのですが、同じように左手に先天的な障害を持ってる人がいます。初め、私もその手について質問しました。不便ではないか、普段困ることはないか、と。彼はいいました。別に人並みには何でもできるし、大して問題はないと思う。そもそも生まれた時からこの体だし、特におかしいとも思わない。強いて困ることといえば、君のように不思議なものを見る視線で特別扱いされることかな。
 確かにサリドマイダーと私の友人は決定的に違うところがあります。しかし、そういう意識のところでは通じるものがあると思います。彼らもまた私たちと同じように、もしかするとそれ以上に、この社会の一員であり、同じように生活しているのです。

[kino-doc:0176] 
理学部1回生 吉岡彰啓
 一方でサリドマイダーとして活発に生きながら、もう一方ではこの悲劇を繰り返さぬようにと声を上げる。この、ともすれば自己否定に陥ってしまうジレンマがある。
 そうだ。これは悲劇なのだ。それは厳然たる事実だ。しかし、そこで自己否定に陥っては人生どうにもならない。せめて明るく振舞わなければやっていけないではないか。
 これは、私にも言えることである。私は精神病で、幻視や幻聴にさいなまれる日々を送っていて、一日の半分は眠っているが、「精神病っていいな」といやみを言われるくらい傍目には元気である。ドキュメンタリーを見る限りでは、サリドマイダーたちは陽気で活発であった。しかし、その裏では差別などに苦しんでいるはずだ。それがわかるのも精神病であることのひとつのメリットだ。そう考えないとやってらんない。なるべくポジティブに生きてゆきたい。

[kino-doc:0181] 
法学部1回生 奥平真子
 こういうことは最後に書くべきなのかも知れませんが、今回のドキュメンタリーを見て、サリドマイダー達は果たして自分の障害を受け入れているのだろうか、そもそも「受け入れる」ってどういうことなのか、受け入れるのがすなわち正しいことなのだろうか・・・改めてそんなことを思いました。名前は忘れてしまいましたが、ディスカッションの時に「最後まで自分のアトピーを受け入れられなかった」と発言してくれた女の子には、良い意味でとても影響を受けました。ありがとう。自分の視野が広がった気がします。
 番組に登場した、自分で会社を起こした男性、デパートで販売業をしている女性、といったカナダのサリドマイダー達は、確かに自ら積極的に人生を充実させていると思います。しかし彼らの本心は誰にも分かりません。結局のところ、彼らはサリドマイド児としての自分をどう捉えているのでしょうか。インタビューを見ていても、全員が全く同じ考えを持っているというわけではなかったし、サリドマイドの復活の是非についても、意見はそれぞれ違う部分があったと思います。根本的なところでは、障害を「ハンデ」と考えるか「個性」と考えるかについても、意見は一人一人異なると思います。

[kino-doc:0188] 
生活科学部1回生 佐々木幸作
 今回はドキュメントを見た後に気が重くならなかった。障害の苦しみではなく、周囲と違うということを受け止めて、前向きに生きていこう、自分たちに誇りを持とうという人々の強い生き方が中心であったからだ。
 サリドマイドがガンやエイズ患者に使われる事に対して、私はそれによって患者の苦しみが軽減されるならば、しっかりしたルールと使用者本人たちの理解の上でなら使ってよいと思った。しかしそれはあのランディー氏を中心とする力強いドキュメントを見た直後だからかも知れない。作り方によっては、サリドマイドによって奇形を持って生まれた人々と家族の生活や差別の苦しみを並べ、「政府はサリドマイド被害者に約束した補償も十分に行わず、謝罪もない。さらにサリドマイドを復活させようという動きまである」という内容にもできたハズだ。そのような内容のドキュメントを見れば、自分はサリドマイド復活には反対の意見を持っただろう。
 失礼ではあるが、サリドマイダーの映像は感動にしても怒りにしても感情を動かすには十分すぎる。このままサリドマイドに対して自分の意見を持つのは早すぎる。もっと多くの視点から調べてみようと思った。
 少しずれるが、苦しむ姿と強く生きる姿、どちらが私たちは応援したいと思うんだろうか。極端な話、募金を募っていたら、「こんなに苦しんでいます、助けてあげてください」というのと「こんな境遇でも頑張って強く生きています、皆さんの力を貸してください」どちらに募金したくなるのか。ドキュメントを冷静に見る上で頭に入れていきたいと思った。

[kino-doc:0192] 
法学部1回生 中井泰佑
 『サリドマイドの被害を受け、手や腕に重大な障害を抱えて生きている人でも意外に明るい印象を受けた。』という意見を述べた人がいたが、これほど大きな問題を乗り越えるには相当な苦悩があっただろう。アトピーのことで『健康な肌になったことで初めてポジティブになれた。』という発言をしていた人のように、サリドマイド被害者にも障害の先天性や、国民性の違いに関わらず、解決することでしか乗り越えられない問題もあっただろう。そういう意味では、手や腕がなくても、足をその代わりに使っていた人にとっては、足は手や腕であり、『手や腕がない』という問題を解決したことでポジティブになれたんだと思う。
 自分の身に降りかかった不幸であるはずの災難でも、ちゃんと解決すると、『自分をより成長させてくれた』と前向きにとらえられるものだと思う。何の薬害であれ、病気であれ、問題であれ、少しでも多くの人がそう前向きになれるために、周りの社会がその人たちを支えていけるようにならないといけないなーと思いました。







6(11/17) 「誕生の風景」(NHK総合,01.3.24,49分)

【要約ベスト】
 凍結受精卵の養子縁組が行われているアメリカでは、不妊治療にも関わらず子供に恵まれなかった夫婦が、全く別の夫婦から提供された凍結受精卵を体内に入れて人工的に妊娠し、無事に赤ん坊を出産した。受精卵を提供した夫婦は、自分達の受精卵から子供が生まれることを期待する一方で、もし生まれた子供が自分の遺伝情報を引き継いでいると分かった時に冷静でいられなくなるかもしれないという葛藤にさいなまれる姿が描かれていた。
 またフィリピンでは、ある女性が夫との間にできた4人目の子供を出産するまでの経緯をたどった。貧困層には避妊の知識も広まっておらず、また国家によって中絶が禁止されているため、フィリピンの女性にとって妊娠とはすなわち「出産」を意味する。出産の翌日には無料で避妊の手術を受けることができるが、術後は2週間の安静が必要とされるため、3人の子供を抱えながら毎日の家事全般をこなす彼女にとって、その期間は手術を断念するのに十分な長さであった。
(法学部1回生 奥平真子)

【投票ベスト】 [kino-doc:0211] 法学部1回生 木本有美子
 私はグループ討論でアメリカ班だった。受精卵は生命なのか、それともただの細胞、モノとみるか、そんな話し合いがあった。私は生命であると考えるが、そうならば凍結受精卵を廃棄することは命を絶つことになり、養子に出すことになる。でも養子に出しても複雑な思いをすることになる・・・どれをとっても完璧な解決にはなりえないのだと感じた。
 昔は諦めなければならなかったことが実現できる世の中になってきている、しかしその代わりに何か代償を払わなくてはならない、まるで薬の副作用のようだなと思った。できるようになったから全てしてしまってよいのか、仕方なかったとは言えない、自己の責任がより問われる時代になっていると感じた。
 フィリピンでの状況はあまりにもアメリカの話とかけ離れていて、関連付けて考えることができなかった。ただ、中絶が禁止されている状況で一番負担がかかるのは女性であるし、避妊も女性の役目とはどうかと思った。しかも避妊手術は一生出産できなくなってしまうので、とても決心のいることだと思う。ちゃんと夫婦で考えるべきだ。また、政府も現状を重く捉え、より一層の取り組みをすべきだと感じた。


【投票次点】 [kino-doc:0225] 法学部1回生 山口紗緒里
 フィリピンでの、宗教的理由からの中絶禁止という環境の中で不本意な妊娠を防ぐためには...。避妊は女性がするものという考えが広まっているようだが、ドキュメンタリー中の妻は大忙しだった。家事・子育て・夫の相手をする。夫の役目は働いて妻子を養うこと。しかし、働き口がなくて週2回働ける程度。仕事が休みの日は夫は何をしているのだろう。暇を持て余しているのだろうか。刺激のない退屈な日々をまぎらわすために妻を求めているのか。そう考えると、働き口が増えれば問題は解決するのか。もしそれが実現したら、夫は仕事に疲れてすぐ寝てしまうかもしれないし、仕事をしているわけだから生活は豊かになるはずだ。こんなに良い解決法はないかもしれないが、現実的に考えて、政府が公的事業を行って雇用を増やすというようなことは少し無理があるだろう。
 それならば、どうしたらよいのか。それが、もう1つの解決法が避妊教育だと思う。前述のように、妻は忙しく夫は暇がある。フィリピンでは男性の避妊に対する意識が低すぎる。夫が「今度は気をつけるよ」と言うのも口だけで、結局は避妊について真剣に考えているのは妻だった。妻がすべてを請け負っている。避妊もそうだし、もちろん出産も。この状況を解決しなければ、貧しいのにさらに子供が増えるという状況を変えることはできない。出産は女性にしかできないものだから仕方ないが、避妊や妊娠中の家事・子育ては夫婦が一緒にできるものだ。避妊に関しては男性が今以上に考えなくてはならないことだ。市の保健所も女性だけでなく、男性に対する避妊教育を進めていくべきだと思う。
(ディスカッションがフィリピン班だったので、フィリピンだけで話を進めました。)



【先生による選抜】
[kino-doc:0210] 文学部1回生 梶川芙実子
 世界の国の中にはいまだに男と女の役割がはっきり分かれている所がある。フィリピンのマニラ、線路沿いのスラムに住む女性は希望以上にできる子どもについて悩んでいた。子どもをつくる、育てるということは女と男、二人の責任である。しかしその計画性がないのはその女と男が育った環境が原因であろうかと思われる。性教育が不十分であるため男が避妊を試みるという価値観はほとんどないようである。それが不思議でならなかった。教育とはこんなに大きな違いをもたらすのかと。
 人間は生きていくために都合の良いあらゆる方法を考え出した。かつては考えもつかなかった凍結卵の出産―不可能が可能になる時代になったのだ。人間は生き延びるためあらゆる変化をし、慣習を根付き、いくら生活が辛くなっても絶えることを願うことはなかった。生物的な観念かもしれないが、どんな医学的変化が起ころうとも、どれだけ女性が傷ついても、私はそれはそれで良いと思う。なぜなら人間は生存し続ける方法を見出しているのだから。

[kino-doc:0213] 
法学部1回生 田渕大介
 今回のドキュメンタリーで感じたことは、豊かな国と貧しい国における中絶にいたる過程や女性の立場の違いの大きさである。
 ドキュメンタリーに登場したフィリピンもそうであるが、その他のタイなどの貧しい国においては、事前に子供を産む人数を決めておき、そして予定人数に達したら不妊手術を行う、というのがごく当り前としてとられられているのである。また南米の貧しい国においては、女性が性交をもつことは義務とされており、女性を子供を産むための道具と考える傾向が強いようである。しかもこれらの国々に共通して言えることは、避妊の方法や避妊具の使い方を知らないという点である。さらにこれらの国では、産まれた直後のえい児殺しまでもが行われているのである。これらの国における非合法な中絶やえい児殺しは、もちろん倫理的に認めることはできないが、その当事者たちだけを責めることもできないと思う。何しろ、避妊の教育を受けさせてもらえず、その知識を与えてもらう機会にすら恵まれていないのだからである。
 ここで、日本を含めた、アメリカなどの比較的豊かであるはずの国々に目を向けたい。これらの国々においても相変らず、「望まない妊娠」や「中絶」が問題となるが、これらは未然に防げているのではないかと思う。避妊具といえば、コンビニなどで手軽に手に入り、性教育も受けている。一時の快楽を享受するために、一生命を犠牲にするのはあまりに不合理である。どの時期から生命とみなすか、などとは関係なくである。我々は男女お互いが協力すれば、望まない妊娠を未然に防げる環境にあるのだから、そう努めるべきだと思う。中絶にせよ凍結受精卵にせよ、誰も傷つかないでは終わらないからである。

[kino-doc:0221] 
生活科学部1回生 佐々木幸作
 受精卵の廃棄に反対する人達がいる。しかし、受精卵を生命だと考えれば、自分たちが生み出した生命を凍結させ、保存しておき、そして貰い手が見つかったら自分たち以外の誰かに産んで育ててもらう。それは生命に対する冒涜のように思える。言ってしまえばこれ以上子供は生むべきではないのに生殖行為をして妊娠してしまうことがそもそも生命を軽く考えていることなのではないか。性行為は社会的な意味があるから、とそれを仕方ないものとすれば、受精卵を廃棄することの何を責められるのか。妊娠してしまった後では事態が大きくかわるのはもちろんのことだが、その瞬間に考え方が変わることや、生かす殺すだけに意識をおくことは疑問を感じる。
 生命に関する議論は、万人が納得する結論を出すのは不可能だと思う。私は正直、凍結受精卵を使うことによって幸せになれる家族がいるのなら、それが間違ったことだとは思わない。ただ、自分たちの受精卵が他の夫婦によって出産され、その家族の子供になるということを深く考えず、受精卵を廃棄されるのを避けるために養子に出すという家族がいる状況は間違っていると思う。受精卵を提供する側の苦悩は事前に十分な理解があれば取り除けたはずである。提供者、受取者への事前事後のケアを十分に整えていければ、人類の進歩の一つと考えてもよいと思った。

[kino-doc:0223] 
法学部1回生 奥平真子
 私はディスカッションでアメリカ3班でした。凍結した受精卵から新たな命を生み出す現代の医療技術は空恐ろしくもありますが、これが子供に恵まれない夫婦のために使われれば本当に有意義なものだと私は思いました。しかし班の中では「子供が欲しいなら、世界には親のいない子供がたくさんいるのだから、その子達を引き取って育てればいいじゃないか。こんな技術を使ってまで自分で子供を産みたいというのはワガママだ」という意見も出ました。確かにそれは正論で、最も合理的な解決策です。では、なぜメリンダは、自分のお腹を痛めてまで子供を産みたいと思ったのでしょうか。
 昔、私の母が話してくれました。「女性は、自分が痛い思いをして産むからその子を大切に思うことができる。この子は私の子だ!と思えるのは、他人よりその子と10ヶ月も長く一緒にいたことの実感があるからだ」と。つまり、この子を生んだのは他の誰でもない自分である、という自信が母性愛の源になるということです。
 「自分で子供を産みたい」と思うことは、誰にでも自然に起こることであり、それをワガママと呼ぶのは極端ではないか、と私は感じました。







7(11/24) 「津軽・故郷の光の中へ」(NHK総合,02.2.14,43分)

【要約ベスト】
 群馬県草津町にある国立のハンセン病療養所栗生楽泉園。そこの入園者である桜井哲夫さん(77)は60年ぶりに故郷津軽を訪問した。
 13歳でハンセン病に発病、らい予防法という「ハンセン病患者は絶対隔離」の政策の下17歳で親元を離れ、栗生楽泉園に入園。以来60年、療養所の中で暮らす。 『らいは天がおれに与えた職』 特効薬プロミンの使用も間に合わず、声帯摘出、眼球摘出、手足指切断。光を失い、声を失った桜井さんには、しかし大きな支えがある。金正美さん(26)の存在だ。金さんは19歳のときに栗生楽泉園を訪れ、桜井さんの人間性と豊かな詩の才能に魅了され、園を月数回訪れている。障害者と介護者の関係を越え、2人の関係は祖父と孫同然だ。金さんが目となり口となり付き添うことで、桜井さんに不自由さは感じられない。
 01年5月、国はらい予防法が違憲であると認め、元患者らに謝罪、桜井さんも青森県知事からの謝罪と招待を受け今回の里帰りが実現した。『本当にうれしいときって、悲しいものだよ』
 姪のきねさんのはからいで桜井さんの実家長峰家のりんご園を見、死に目に立ち会えなかった父母の仏壇を拝み、そして元学友と親戚による歓迎会が開かれた。今回の訪問まで桜井さんの存在すら知らされていなかった親戚もいた。5日間の里帰りの2ヵ月後、療養所に帰ってきた桜井さんにきねさんの訃報が届く。
 『ふるさとの道の長さは時間の長さじゃなくて生命の長さ だからキラキラ光ってみえるんだ』
(生活科学部1回生 森田実紀)

【投票ベスト】 [kino-doc:0244] 生活科学部1回生 森田実紀
 桜井さんはひとつの詩で、「私は侵略者」といっている。植民地時代平壌にいたとき、日本人が朝鮮人や中国人に対してひどい扱いをしていたことを妻真佐子さんに聞いてつくった詩だ。最初金正美さんに会ったときのいたわりも、この真佐子さんの話につながっているのかもしれない。それにしても、自分が国によって社会から隔絶されてきたのに、どうして国のした侵略を我が罪として認め、謝罪できるのか。私はここに桜井さんの人間としての品位を感じる。ある立場では被害を被っていても、別の立場では加害者足り得ることもある。そのとき素直に謝罪出来る人は、一体どれくらいいるのだろう。
 桜井さんは「らいになってよかった」という。たくさんの素敵な人に出会えたのだから、と。自分の悲しみが多いほど、他人に優しくできる人なのだろう。しかし桜井さんと同じ境遇にあれば誰でもそうかといえば、とんでもない。自分以外の人間を信じられず、周り全員敵だと思ったり、自分はハンディキャップを負っているから人に世話してもらうのが当たり前、被害者だから謝罪されて当然と考える人もいるかもしれない。私自身そうかもしれない。
 表現とは優れている部分を取り出して見せるということではない。桜井さんは見たまま感じたままを、息をふりしぼって表現していたのだから。話すだけで相当な体力が要るだろう。どうしてあんなことばがでてくるのか。


【投票次点】 [kino-doc:0229] 工学部1回生 喜田陽香
 長峰さんの心の温かさが通じました。ハンセン病患者隔離政策のため施設へ連れて行かれ、世間に差別を受けながら何十年も生き延びることはすごく精神力が必要でしょう。キムチョンミさんとの出会いも運命ではないような気がします。長峰さん自身が温かい心の持ち主で、人の気持ちを動かせ人を自分にひきつける力があったからだと思います。キムチョンミさんと長峰さんとの関係は血のつながっている人同士みたいでした。彼女も最初は彼を見てびっくりしたそうですが、彼の言葉に感動したそうです。故郷に帰ったときもどれほど故郷を愛していたかよくわかりました。あれだけ会っていないし、記憶もあやふやのはずが明確でずっとそこに住んでいたかのようです。人間の人生を決めるのはその人の心だと思います。考え方自身でものの見方も変わるし、何に基準を置くかで幸せも変わってくると思いました。


【先生による選抜】
[kino-doc:0233] 法学部1回生 佐々木久実
 私はこのドキュメンタリーを見るのは3回目でした。何度見ても感動します。初めて見た時は、「こんな顔になる病気があるのか!!自分がなったら嫌だなぁ」と正直思いました。そのときから比べて、山中さんがおっしゃっていたように私は桜井さんの顔になれ、今日は何も感じないようになっています。
 逆に、今日桜井さんは恵まれているなぁと思いました。療養所に未だ入所している元患者の方々全てに優しい金さんのような方がついているわけではなく、また、全ての人が故郷の人々に優しく出迎えてもらえるとは限りません。いや、むしろ帰れない人の方が多いのではないでしょうか?また、桜井さんが津軽への帰省の途中「本当に嬉しい時は同時に悲しい」とおっしゃっているのを私はとてもつらく感じました。病気が治って、自分の故郷に帰るなんてこと、言ってみれば当たり前のことなのに、「迎えてくれる人が迷惑かもしれない」と考えてしまう桜井さん、いや多くの(元)患者さんたち・・。自分が生まれ育ち、自分が心より愛する故郷に迎えられないことほど悲しいことはありません。
 しかし、「らい予防法」の廃止が遅れ、同法の違憲裁判でも敗訴した国は、患者にできるだけのことをすべきだと思いますが、受け入れるのをためらっている家族に無理強いし、元患者を受けいれてもらうというような強攻策は絶対にあってはならないと思います。家族の理解がないまま、故郷に戻っても双方が居心地の悪い日々を過ごさなければならないのは目に見えているからです。どんどん年を重ねる患者たち・・。その存在も知らずに暮らす患者の親族たち・・・。そして、療養所を管理する国・・・。3者が複雑に絡み合う難しい問題だと感じました。

[kino-doc:0234] 
文学部1回生 志野奈都子
 桜井哲夫さんの姿を見たとき、ああ、差別はあるだろうなと思った。だから、金さんが崇高に見えたし、故郷の家族の人はどんな反応をするのだろうかと心配だった。60年という歳月の後、やっと会えた故郷の人々はとても温かく、桜井さんのよろこびが、かなしみが流れ込んでくるようだった。冷静に客観的に見ないといけないと思ったが。
 きねさんが亡くなったときの「父が、母が、兄が死んだときよりかなしい」という言葉から彼女への思いが伝わってくる。「この日のために偏見と差別に耐えて生きてきた」という帰郷。誰でも自分の生まれ育った場所には思い出があり、愛があると思う。らい予防法によって奪われたのは、故郷、肉親、友達、全ての絆である。それは人間が生きるために必要だと言っても過言ではないだろう。
 今回の帰郷で桜井さんはその全てを取り戻せたろうか。止まった時間は動き出したろうか。桜井さんは確かに幸運だったかもしれないが、それも人柄によると思う。「おじぎ草」という詩の中の「らいにおじぎした」というフレーズから彼の生き方を知って、尊敬と少しかなしさを感じた。病気のために苦しんだ人々が生きていたことを忘れてはならない。病気がなくなったからといって、彼らの存在を忘れてはならない。

[kino-doc:0235] 
工学部1回生 奥田砂由里
 名前だけは聞いたことがあったが、実際にハンセン病の人を見たのが今回が初めてでした。初めは、桜井さんの姿を直視できませんでした。失礼な話、怖かったです。しかし、桜井さんの話してる感じで、その恐怖心はなくなり、かわいらしいおじいさんだなぁと思うようになりました。
 桜井さんはハンセン病を恨んでいないように感じました。若かったころは恨んでいたのかもしれませんが。青森県へ帰ったとき、仏壇の前で「堪忍な。」と今まで帰ってこられなかったことへの謝罪をしていました。私は、なぜそこで桜井さんが謝るのだろう、とびっくりしました。隔離されたのは国のせいではないのかと思いました。でも今回のドキュメンタリーを見る限り、桜井さんはそんなことを考えていないようでした。昔の友達に会えることができて、町長さんにも感謝しているようでしたし。
 また、孫との条約を交わしていた金さんは、桜井さんのことを本当のおじいさんのように接していました。そして、桜井さんのために涙を流しているシーンは一緒に泣きそうになりました。

[kino-doc:0248] 
文学部1回生 栗林里沙
 今回のドキュメンタリーで私は人生って何なんだろう、と考えました。桜井さんのように目を失い、顔は普通の人間の形をあまりしていなく、声も失い、手も失った人が、これは自分に与えられた職だからと考える強い意思を持ち、苦しみながらも人生を歩んでいる人もいる中で、周りの気持ちを踏みにじりながら、自分の好き勝手に人生を進んでいる人もいる。世界にはさまざまな人がいるのだと考えてしまえば、終わりなのですが、私はどうしてもその差に納得できませんでした。
 私はよく「苦しい経験をするだけ、良いことが返ってくる。」と、親に教えられていましたが、それがどういう意味なのか、今まであまり理解できずに生きてきました。しかし、今回のドキュメンタリーで少し分かったような気がします。桜井さんはこの病気をしたことで、チョンミさんという素晴らしい女性に出会うことができました。そして、家族の優しさや愛しさを痛感することもできました。彼が病気にかかり、苦く呪いたくなるような病気をした後で、彼を受け入れてくれる人々に出会えたこと、それが良いことが返ってきた、ということなのだと思います。







8(12/ 1) 「安全の死角・検証・回転ドア事故」(NHK総合,05.3.27,53分)

【要約ベスト】
 昨年3月26日に、六本木ヒルズで起こった自動回転ドアの死亡事故をきっかけに発足したドアプロジェクトが、回転ドアの問題点を検証していく番組だった。
 ドアプロジェクトは、失敗学の創始者である畑村洋太郎・工学院大学教授が組織し、ドアメーカーの技術者、ビルの管理者、自動車メーカーや測定器メーカーの技術者、医師や法律家たちが集まった。幼児のダミー人形を作って、回転ドア事故の検証してみると、幼児がドアにぶつかることで、通常は4cmしかない隙間が9cmになるという。そして、その隙間から回転ドアに頭部を複雑に巻き込み、頭蓋骨を押しつぶす約8倍の衝撃力が加わることがわかった。
 元々のヨーロッパのオリジナルは900sしかないのに比べ、事故が起こった日本のドアは2.7tもあった。ここまで重たくなったのには、日本人の見栄え重視さ、行政の規制処置基準がないことが挙げられていた。普段、何気なく通っているドアに「安全の死角」があり、いつ事故が起きるかわからない。同じような事故をくりかえさない為にそれを改善するしくみが必要である。
(工学部1回生 奥田砂由里)

【投票ベスト】 [kino-doc:0288] 文学部1回生 栗林里沙
 回転ドアの事故がこれほどひどく惨いものだとは知りませんでした。ダミー人形がドアにはさまり、ダミーの後頭部がぐしゃっとつぶれていたのを見て、ひどくショックを受けました。
 グループディスカッションで私たちは回転ドアの必要性について話し合いました。果たして回転ドアは必要なのか。私は、必要ないと思いました。コスト削減のために経済的なことを考えるよりも、安全性を重視するべきではないでしょうか。経済が安全よりも優先されるのは理解できません。
 ドキュメンタリーを見ると回転ドア事故に遭う大半は子供です。ですから、子供用の普通のドアを風がビル内に入りにくいところに作るのはどうでしょう。企業ビルの場合なら、子供が入ることはまれにあることではないので、経済的な面でも安全性の面でも優れているのではないかと考えました。
 また、驚いたのが大阪市立大学のドアです。ディスカッションの際に学校のドアは果たして安全か?という話題になり、力いっぱいドアを閉めてみました。数回力強く閉めたのですが、ストップが効いてしまうのです。これはドア事故を防ぐために考えられたものだと分かりました。私たちの通っている大学の8号館のドアは安全で安心しました。


【投票次点】 [kino-doc:0285] 文学部1回生 梶川芙実子
 去年六本木で子どもを死へと追いやった回転ドア事故以前、回転ドアで怪我や事故が何十件も起きていたにもかかわらず、会社や政府が何も対処しなかったことに驚いた。国は国民の命を守るための組織ではないのか。取りかえしのつかないことが起きることが予測されていたかもしれないのに、事故が起きてからやっとプロジェクトが動き始めたのでは遅すぎる。
 それでも今後のことを考え、畑村洋太郎さん代表のグループはあらゆる対策をとっていった。失敗があるから次の教訓になる―あらゆる分野でこの言葉は当てはまる。しかし人の命の場合、このように安易な言葉で許されるのだろうか。人間が人間のために便利にしようとして考えついた知恵が逆に人間を壊していっているのに。


【先生による選抜】
[kino-doc:0266] 法学部1回生 岡場恵理子
 初めにこのニュースを見たときは、「親の管理が行き届いていないからだ」と、母とよく言ったものでした。他の人は大丈夫なのに、どうしてこの子だけ事故になってしまったのを追求して、製造者が罰を受けなければならないなんて理不尽だと思いました。一番責めるべきはその子の管理者なのではないか、と。
 しかしこのドキュメントによると、以前から事故が多発していたといいます。それなのに、何の解決策も施行されなかったのは、明らかに過失だと思いました。欧州の技術を改造したことが一番のミスであり、いわば、不良品を市場に提供したことになります。子供のけがや死亡如何にかかわらず、実験やテストを怠ったことに、裁判所は刑を課したのでしょう。
 「失敗は成功のもと」と言いますが、私たちは失敗しなければ行動を起こせないのかもしれません。回転扉の「折れ曲がり機構」の仕組みはその最たる例です。アルミに戻すのが一番よいのでしょうが、日本人の嗜好からそれが叶わないのであれば、私たちは「成功」をずっと模索していかなければなりません。

[kino-doc:0272] 
理学部1回生 西村貴一
 最初に感じたのは実験の不備である。何か新しい機構を装置に導入するときは、それに伴って発生する新しい不備の検証をすべきである。今回の事案では、まず、アルミ製からステンレス製に改良をした。重量の増加は若干である、次に風圧との兼ね合いからくる不具合の是正のために重量を増した。この発想は、非常に単純明快な発想であり、不具合から生じる不慮の事態を避けるものであるが、最初の話に戻るのである。
 重量を増すに当たって、センサーを増やしているが…実験をしたのではないのではなかろうか…という疑問を感ぜぬにはおけない。センサーが作動するのにタイムラグが明らかにあることが実験から明らかになったからだ。
 私は、彼らの重量化という道が必ずしも間違っているとは思わない。そこには、その機構の有する固有の利点が存在するからである。安全1と安全2と安全3と利点1と利点2と…と多くある様々な要因に常に挑戦をすべきであり、妥協をすべきではない。
 その点で、折りたたみ機構という概念は美しい仕組みであると考える。
 さて、この話とは別に危険状態と危険行動の存在であるが、私が、以前にMLで意見したハインリッヒの法則そのままの状態である。ヒヤリ・ハット運動を公的に行うべきである。これを行っているオーストラリアの行政は優秀であると思う。

[kino-doc:0283] 
理学部1回生 吉岡彰啓
 ああいった自動回転ドアを見るのは初めてだったが、見たときに何か違和感を感じた。ディスカッションで指摘されて気づいたが、「人の行動を介さない」ということが、その違和感の正体であった。普通の扉は手で開けるし、自動ドアは人が近寄ると開く。しかし、例の回転ドアはそうではない。その違いが危険を増しているのだ。
 このような事故の再発を防止するにはどうすればよいか。事故を検証し、アイデアを練っていく。確かにそれも必要不可欠なのだが、社会的な雰囲気の改善、危機感をみなが持つということが根本にあるのではないだろうか。びくびくしすぎると、町を歩くこともできないが、逆に危機感が欠落してるのはより悪い。私が違和感を抱いたあの回転ドア・・・誰も危険だと思わなかったのだろうか。
 かく言う私も危機感が十分とはいえないかもしれない。頭ではわかっているから落ち着いているときはどうにかなってると思うが、急いでるときなどはつい危険な行動を取ってしまうことがある。「自分だけは死なないとでも思ってるんじゃないだろうな。」という声が聞こえてきそうである。

[kino-doc:0292] 
法学部1回生 山口紗緒里
 回転ドアは小さな子どもにとっては魅力的なものだと思う。実際自分の小さい頃を考えてみると、回っているドアに入り込む瞬間や、回っているドアに合わせて中で歩いている人を見るとドキドキしておもしろかった。子どもの不慮の事故で気をつけなければならない点が1つここにある。子どもにとって、魅力的なもの。それは公園の遊具だけでなく、回転ドア・エスカレーターなどもそうだ。だから、安全性を確保するときに子どもの視点がもっと必要ではないか。
 [kino-doc:0274]の加古さんの意見に、『ものが「正常」なら、気をつけていれば事故は防げたのだ、事故の原因は自分の不注意だ、と思う』とあったが、その通り私たちは周囲のものを安全であるとどこか思い込んでいて、あまり危険視していないように思う。ましてや子どもは周囲のものが危険かどうかよりおもしろいことに惹かれる。だからこそ、新しいもの、ドアなどが社会に出てくるときに安全性を検証することが重要なのだ。それに加えて、私たちが周囲の危険にもう少し敏感になることが必要だ。







1〜4回に戻る  9〜13回へ進む 「ドキュメンタリー・環境と生命」の部屋へ

木野先生の部屋はこちら→木野研
生命・環境系の番組情報は→生命・環境系の週間テレビ予報 on the Web