「ドキュメンタリー・環境と生命」2004年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第10回から第13回までを掲載しています(2005年2月1日)
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第10回(04.12.16)
「ドキュメント地球時間“サリドマイド児”として生きて」(NHK教育,00.12.1,43分)
 カナダのK.A.プロダクションズが1999年に制作した番組。副題に「米・薬再認可と被害者たちの今」とある通り、FDA(アメリカ食品医薬品局)は1998年6月、かつて催奇形薬として知られた催眠薬サリドマイドをハンセン病治療薬として承認しました。ハンセン病に限るとの条件でしたが、その抗炎症作用に注目が集まり、他の難治性疾患に試用されるようになり、末梢神経障害などの副作用が報告され始めました。この番組によると、ブラジル、アフリカで違法に密輸されたサリドマイドが使われ、サリドマイド児が誕生して問題になっているとのこと。

<当日資料>
薬害サリドマイドについて・サリドマイドに関する年表・日本におけるサリドマイド被害者の出生年と男女別内訳・日本におけるサリドマイド被害者の障害の種類と内訳・「サリドマイド復活について」のアンケート集計結果(いずれも財団法人いしずえ作成,2003.2.16)
 ☆ いしずえのHPはhttp://www02.so-net.ne.jp/~ishizue/frame.html
 ☆ 全国薬害被害者団体連絡協議会(薬被連)のHPはhttp://homepage1.nifty.com/hkr/yakugai/

【要約ベスト】
  「今の人生よりよいものはない。つまずくこともあるけど、人生ってそういうものだろ?」
 妊婦たちが飲んだ薬が、その子どもたちから、手を足を――命を奪った。生き残った彼らは差別を受け、興味本位の視線に晒され続けた。自分自身を否定することもあったが、今、彼らは自分たちを“サリドマイダー”だと認め、前向きに生きている。
 多くの犠牲者を生み出したサリドマイドは、現在再び製造され使われている。サリドマイダー達にとってこの決定は複雑なものであっただろうが、この薬によって救われる患者がいるならば、と製造に賛成し、製薬会社に協力した。その結果、警告ビデオ付きの薬が病気で苦しむ患者を救っている。しかし、ブラジルやアフリカでサリドマイドが密輸され、次世代のサリドマイ児が誕生してきている。もう二度と被害者を出さないとを願った彼らの思いがこれ以上無駄にならないことが望まれている。
(文学部・1回生・鈴木明子)


【投票ベスト】  [kino-doc:452]  経済学部4回生 新井琢也
 今回の映像で一番印象に残った事柄は、サリドマイドによる被害者達が社会に受け入れられることを第一に考えていることです。
 もしかしたら、このドキュメントを作った人は、彼らを社会に受け入れさせるために、理解を深めるために製作したのかもしれませんが、僕にとっては、彼らが社会に順応していこうという姿勢の方が、新鮮に思え、感動しました。
 多くの場合、この手の被害者は社会が受け入れるべき、という印象が強いように思えるが、それだけではなく、彼ら自身が努力しなければならない側面も多くあるように思えます。今回のケースでも、サリドマイド被害者を、どう社会が受け入れても、本人自身が他の健常者と全く同じ条件で生きることは物理的にはありえないわけです。だからこそ、社会だけではなく彼ら自身のあり方というものも大切になるような気がします。
 今までの薬害などのドキュメントの視点は、常に外からのものでした。しかし、今回は内側からのものであり、被害者自身が主体性を持って生きているという点は、より現実に即しているようにも思えます。今までのドキュメントのように、越えなければならないのは初回の壁だけとは限らないと思います。自分自身のことを考えても、自分の内面にいくつもの壁を、作っているような気がします。だからこそ、今回のドキュメントは今まで以上に考えさせられるところがありました。


【投票次点】  [kino-doc:444]  文学部4回生 西川裕美子
 直後のみんなの感想を聞いて、私は驚いた。彼らが明るく前向きに生きている? そんな風に見える人もいたのか、と。
 彼らは決して、明るく前向きなどではない。後向きになれないから、仕方なく前を向いているだけだ。ポールが言っていたではないか、こんな風に生まれなかったら、と。みんな少なくとも一度はそう考えただろう。だが、サリドマイドを否定することは今ある自分を否定すること。もって生まれた身体を否定することは、自分が生まれたことを否定すること。生きていくためには、今の状態を受け容れるしかない。自分はこういう風に生まれたのだから、こういう風に生きていくしかない、と。もしそれさえも否定するのなら、死という道を選ぶしかあるまい。
 ただ、だからこそ彼らにしか見えないものがある。それが役立つと言うのなら、彼らの苦痛も無駄にはならなかったということ。それがアルヴィンのいう「慰め」だ。彼らの姿は見た人の心に、プラスにしろマイナスにしろ(圧倒的にマイナスが多いだろう、プラスは講演会においてなど)大きな印象を与える。だがそのマイナスの方を気にしていては、何もできない。そこで言う。「私はこういう人間ですが、それが何か?」自分を受け容れるとはそういうことだ。サリドマイドを復活するというのなら、彼らが与える印象は大きくプラスに働くだろう。
 日本もいっそ公的に使用を認め、厳しい条件をつけるなど規制してしまうべきだと思う。医者だって無駄にサリドマイダーを増やそうとは思っていないだろうが、公的に規制してしまうほうがその注意点や問題点なども広く知れ渡る。どうせ禁止していても個人輸入して使う人間がいるのなら、その方が安全だろう。



【私(木野)の選んだベスト3】
[kino-doc:459] 文学部2回生 野田はるか
 私は、サリドマイダー達の堂々として前向きな姿勢にまず驚いた。彼らには姿勢を正されるような気分になった。しかし、その分あるいはその何倍も辛いことはあったはずだ。そういった一面も知らないのに、彼らの、障害を持っていても前向きな姿勢、などという風に都合良くおいしいところだけ頂いて凄いとか感動したとか、そう言うことは彼らに対して失礼なことではあると、それから考えるようになった。
 というわけで、彼らの苦労とかそういったことを知りたくなってインターネットで調べていたら、日本人の女性のサリドマイダーのインタビュー記事を発見した。そこにはサリドマイドの基本知識や差別の話、日本と世界の考え方の違いなどについて書かれていた。かなり長い記事だったのでまだ消化不足な所はあるが、興味深い話もあったし、奇形の子が生まれ育っていく際の周囲の厳しい反応は過去のドキュメンタリーなどで知った人の一面を思い出させた。衰弱した状態で生まれた奇形児は治療しなければそのまま衰弱死する。看護士が「どうしますか」と父親に処置を聞くこともあるという。また、大きくなってもいじめられる、いじめられるような人間なんだと思ってしまう、誰も「将来何になりたいか」と尋ねない、などなど。
 ドキュメンタリーで見たようなバイタリティ溢れる姿が、そうした苦しみと闘ってやっと手に入れたものなら、それを端から見て凄いと言うのは、やはり失礼な気がした。私達が見ているのは、彼らのいわば「結果」だけだから。凄い、感動した、と言うことが彼らのエネルギーになることもあるかもしれない。講演会でも拍手のように。しかし、もしそういう機会に恵まれるなら、その時は、彼らに負けないくらい、いい人生を目指して必死に生きていたいと思った。
http://www.yuki-enishi.com/guest-masuyama.html


[kino-doc:466] 法学部2回生 木村太朗
 今回、印象に残ったのは、サリドマイドが非常に危険な薬品でありながら、特定の患者にとっては人間的な生活を助けるのに非常に有効な薬品であることだった。サリドマイドを服用する患者の「サリドマイドを飲むと出来なかった食事ができる」という言葉に、もし自分が同じ立場でも服用してしまうだろうなと思った。ただ、サリドマイドの怖さは子供に影響を及ぼすところだと思う。自分たちの子供たちが五体満足であることに喜ぶ彼らの姿を見てよかったと思う反面自分なら出産を決断できただろうかと考えずにはいられなかった。
 このサリドマイドという薬を知り、ふと思い出されたのが、以前した臨床試験薬のバイトだった。これは発売の認可を受けるため試験薬を飲みデータを提供するというものだった。このとき見せられたビデオは集められた人たちの不安を取り除くことを主なテーマとするもので、あのサリドマイドの危険を訴えるビデオとは全然違うものだった。なんとなくぞっとした。
 薬はすでに必要不可欠なものである、がまたどのように優れた薬も副作用がある。完璧な薬は無く、優れた薬とそうでない薬があるだけである。ならば優れた薬を出来るだけ多くすること、ダメな薬を減らすこと、そのために薬の危険性を訴え知らせることで薬が認可される基準を監視し厳しくすることが必要だと思う。
 以上が考えられたが、そうしたとして優れた薬で死んだ子供の親になんといえばいいのかわからなかった。「最善は尽くしたのですが・・・運が悪かったですね」とはいえまい。自分がその親ならどうだろうか? それは仕方の無いことなのか? 結局は薬とどう付き合っていくかなのだろうと自分に言い聞かせるが、突然に襲う薬害を回避する対策は思い浮かばず恐怖は消えないままだった。


[kino-doc:469] 法学部1回生 高田栄子
 サリドマイド復活の話は「寝耳に水」のことだった。膨大な数の何の罪もない赤ちゃんに障害を負わせ、その親や周りの人々まで苦しめた。その悲しみを抱える人の数は一体何人に及ぶのだろう。その数は想像もできない。そして、そんな薬は早く撲滅してしまった方がいいと思い、もうすでに使われてはいないだろうと思っていた。しかし、今なおサリドマイドが使用され、ハンセン病の特効薬として使われているという事実にすっかり驚いてしまった。
 サリドマイドの最大の特徴は「血管新生阻害作用」であり、それは赤ちゃんに奇形を生じさせ、ハンセン病患者の苦しみを和らげる諸刃の剣である。よく効く薬は副作用も強い。このことは仕方がないのだろうか。サリドマイド患者の誰かが「サリドマイドに代わる新しい薬ができればサリドマイドを永遠に葬り去れる」と言っていたが、それは「サリドマイド」という名前が変わるだけで同じような悲劇を繰り返すことになるような気がする。
 しかし、副作用があるからと言ってハンセン病やその他の病気で苦しむ患者からその苦しみを和らげる薬を問答無用で取り上げることはできない。そうなると、使用法を厳しく定め、細心の注意を払って使用されるべきだと思うが、それも指導を行う側の注意が足りなければそれは直ちに悲劇に直結する。現に、ブラジルではサリドマイドのパッケージの「妊婦服用禁止」の絵文字が人々に「妊娠中絶薬」と誤解され、新たな被害者が文字通り「生まれた」。必要とする人がいるので禁止するわけにいかない以上、規制するしかないが、サリドマイドの悲劇が避けられるか否かはまず、使用法を指導する側の責任感と危機感、次に、それが使う人に正しく伝えられた後は、その人が自分自身と自分の子供の未来をどれだけ真剣に考えられるかにかかっているように思う。
http://www1.accsnet.ne.jp/~kentaro/yuuki/thalidmide/thalidmide.html




お年玉<日本のサリドマイダーのお話>
 今年の授業はこのドキュメンタリーの後、冬休みに入ったので、お年玉代わりに昨年(2003.11.27)の授業に来ていただいた日本のサリドマイダー・増山ゆかりさんのお話をMLに流した。
 原稿は山中さんがまとめたもので、『月刊むすぶ』(ロシナンテ社)の2004年3月号から6月号に掲載されている。
 このときの意見メール等は当時のHPを参照してください。

 ところで、このお年玉を読んで何人かの人がMLに感想を送ってくれた。その中からいくつかを紹介する。


「お年玉 日本のサリドマイダーの話を読んで」

[kino-doc:475] 文学部1回生 福本奈緒子
 「表皮の部分だけではなく、もっともっと深いところを見つめて欲しいと思います。障害を持つ人にとって、障害を抱え人生を全うしていく困難さを理解するならば、私は、障害を持っている人に対して明るさを求めるのは止めようよって呼びかけたいのですよ(笑)。」
 私にはこの言葉が印象に残っています。(せっかくサリドマイダーの話をして下さったのに少し感想がずれてしまうかもしれませんが。)表皮の部分だけでなく深い所を見つめて欲しい。それは私の心に訴えかけてきました。今までドキュメンタリーを見ていてそうなっていなかったのではないだろうか、と。またこれは、障害者に対してだけでなく、人間関係全般に言えることのような気がします。深いところを見ずに表面だけで付き合っていく。深いところを見つめて生きていくのはとても難しい事だが、必ず必要な事であると思う。障害を持っている人に明るさを求めるのはやめようよと言う事は深いところを見つめていないと言えない事だろうと思うし、私には絶対はけない台詞である。それぞれ抱える問題や悩みは違うけれど、より多くの人々の深いところを見つめていくことがほんとうのバリアフリーにつながるだろうと思う。
 また障害を気にしろよっという言葉にも驚きました。しかし読んでいく中でとても納得しました。気にせずに接する、それは障害を無視して接するのではなく、気にした上で受け入れると言うこと。このメールの中では、今まで考えることができなかった視点からの考え方を少ししれてほんとうに良かったと思います。ありがとうございました。


[kino-doc:478] 理学部2回生 石塚隼也
 増山さんのお話はサリドマイドの話より、障害者としての自分の生き方に重点があったように思います。話の内容がリアルで、とても正直な意見だなという印象を受けました。
 お話の中で、<私は、健常者の人が何故「福祉本」を好んでいると思っているか、率直に言うと、癒されるからだと思うのです。失礼な言い方かもしれないけれども、「嗚呼、こんな悲惨な人もいるのね」「こんな辛い人生もあるのね」「嗚呼、私はまだ楽なほうね」というものだと思うのです。>とありましたが、実際そうなのかもなぁと思いました。
 話の中に出てきた乙武君の本というのは「五体不満足」を指していると思うのですが、過去にこの本を読んだときに、なぜか「ほっとする」というか「勇気づけられた」というような気分になりました。今考えると、これが癒されたという感じなのかなと思います。自分より悲惨な人を見て、自分の現状を幸運に感じる。戦争があって初めて、平穏な日常を幸福に感じるのと似ています。
 「障害者が健常者に本当のことを言わない」というのは、この部分(つまり、健常者が常に障害者を自分より不幸な存在と見ているのではないかという点)にあるのではないかと思いました。


[kino-doc:479] 文学部1回生 津川真由子
 私がまず心に残ったのは、増山さんの「福祉本」についての考え方です。健常者は癒されるがために福祉本を好む。私は以前、ある事で悩んでいる友達に「もっと苦しんでいる人はいるよ!だから頑張ろう!」みたいなことを励ましの言葉として使った。私は実際自分が苦しいことに立ち向かう時、そう軽い気持ちで考えていたのだ。しかし、その友達に「じゃあその自分より苦しい人はどうなるの? その人たちはどうしたら救われるの? 私はそういう風に考えたくない。」と言い返された。何も言えなかった。今思うと、苦しさの基準なんて全て自分次第で、誰が一番苦しいかなんてない。それでも健常者は福祉本を読んで、自分より苦しんでいる人がいると思うことによって、自分よりも不幸な人がいるというある種の安心感を得る。それは同時に自分の、自分だけが知っている本当の苦しみから目を背けている気がした。
 現象だけでなく本質を捉える、という事は私の中で「批判」と繋がった。私は今までドキュメンタリーを見ても、全てを素直に受け止める癖があった。「批判的」に見ることがどういうことなのかよくわからなかったし、屈折した様な考えに至るのも嫌だった。けれど、私たちの目に映るものは企画された福祉本であったり、ドキュメンタリーだったりする。だからこそ、目に見えるものだけを信じるのでなく、その物事の本質にせまらなければならない。それが批判ということなのだと思った。







第11回(05.1.13)
にんげんドキュメント「津軽・故郷の光の中へ」(NHK総合,02.2.14,43分)
 当初の題名は「60年ぶりの帰郷〜ハンセン病詩人・桜井哲夫さん」。津軽出身の桜井さんは、県知事の謝罪と招きにより、故郷を訪問した。実家で桜井さんのことを知る者は、今や桜井さんの兄の長男のお嫁さんだけ。彼女の決断で一族は受け入れを決めました。数日の滞在でしたが、昔の友達とも再会を果たし、「また来てね」と抱擁しあって別れたのですが、その後、決断をしたお嫁さんはあっけなく亡くなりました。その葬儀には桜井さんの席があり、桜井さんの友達(帰郷の時にも付き添った)が名代として列席しました。
 「第28回放送文化基金賞テレビドキュメンタリー部門本賞」受賞。


<参考文献>
金正美『しがまっこ 溶けた〜詩人桜井哲夫との歳月』NHK出版、2002年
詩・桜井哲夫/写真・鍔山英次『津軽の声が聞こえる』ウインズ出版、2004年


<当日資料>
番組紹介、桜井哲夫(本名:長峰利造)さんのプロフィール、「みみずの歌」/桜井さんへ(金正美)、ハンセン病訴訟判決理由(2001.5.11.朝日新聞夕刊)、ハンセン病・ハンセン病裁判・ハンセン病国立療養所入所者数と提訴状況・近代以降のハンセン病の歴史(2001.7.24.朝日新聞)


【要約ベスト】
 これは、17才の時にハンセン病を宣告され、故郷・津軽を離れて60年になるてっちゃんこと桜井哲夫(本名:長峰利造)さんと、桜井さんと詩を通じて出会い、「ニ人の条約」により孫娘と祖父の関係を結んだ金正美(キム・チョンミ)さんが、ハンセン病熊本判決で原告側が勝訴したことにより津軽へと帰郷する姿を追ったドキュメンタリーです。
 桜井さんを一家に受け入れる事を決意したのは、桜井さんのお兄さんの長男のお嫁さんのきねさんでした。このきねさんの決断により、桜井さんは故郷で両親の遺影に手を合わせたり、旧友に会ったりと、本当にすばらしい時をすごしました。しかし、「また来て欲しい。」そう言ったきねさんに突然の死が訪れたのはそれから間もなくのことで、その葬儀には桜井さんの席も用意されていました。
 ドキュメンタリーの最後は「里の道の遠さは時間の長さじゃなくて、命の長さなんだね。だから光ってキラキラしている。」という60年間故郷を想い続けた桜井さんの素敵な言葉で締めくくられています。
(文学部・1回生・高井美幸)


【投票ベスト(同数)】  [kino-doc:487]  理学部1回 服部友香
 私が驚いたのは、桜井さんには誰に対する恨みも見えなかったことだ。不適切な隔離法を定めた国、自分の病気のことをよく知らずして差別してきた人々、健康な体・家族との生活・ふるさとを奪ったその病気・・・自分の人生の何をも責めることなく、すべてを受け入れているようだった。60年ぶりの帰郷の際も、「なぜもっと早く帰らせてくれなかったんだ」といったような誰かを恨む思いは少しも感じられず、「人間は本当にうれしいときは涙が出るんだね」と心から喜んでいた。「チョンミにここ(奥入瀬)の水を飲んで欲しいと思ってた」という希望ももっていた。亡くなった家族には「長い間家をあけて葬儀にも行けなかったけど勘弁してね」と言い、ふるさとのみなには何度も「ありがとう」と言っていた。今回のドキュメンタリーでは、この国の持つハンセン病の問題より、桜井さんのきれいな言葉、人間としての輝きが私には大きく響いた。
 しかし、やはりこのハンセン病に関しては問題があるわけで、驚いたのが、つい最近の1996年までらい予防法というのがまかり通っていたことだ。「らいは国の恥だ」として、ハンセン病患者を追い出そうとする運動もあったらしい。記事を見て思い出したが、ハンセン病患者が温泉地の宿泊を断られる、ということがあったのも最近だ。こういった問題はそもそもハンセン病のことをあまりよく知らないから起こるのだ。(私もよく知らなかったのだが…)特に差別についてである。
 少し話はずれるが、最近自閉症のこどもが増えているらしい。パニックをおこし、突然騒ぎ出したりしてしまうのだ。見た目にはふつうの子なので、親は「しつけがなってない」と冷たい目で見られ、まわりの理解がないために悔しい思いをすることも多いそうだ。差別は相手をわかってないから起こる。少しでも多くのことを知っておかなければならないと思った。

※参考※
ハンセン病のリンクhttp://www.eonet.ne.jp/~libell/main.html
宮坂道夫研究室ホームページhttp://www.clg.niigatau.ac.jp/~miyasaka/index.html



【投票ベスト(同数)】 [kino-doc:509]  法学部4回生 時田靖敬
 ハンセン病という名前や隔離政策は以前から知っていましたが、具体的にどのような症状を呈するのかということはまったく知りませんでした。今回のドキュメンタリーを見て、桜井さんの顔や手を見たとき、隔離政策を行った当時の人々の心情を少し理解できた気がしました。ハンセン病発症前の写真と較べて、かくも顔が変わってしまうのか、という感じでした。
 ハンセン病患者を指して化け物呼ばわりするつもりなどありません。差別するつもりもありません。ですが、自分があのような姿になるのは、とても奇麗事など言えず、耐えられないと思いました。そして、原因がわからなかった当時の人々の恐怖を考えるとそのような隔離政策をはじめとする差別、排除は分るような気がします。
 もちろん、僕もこの講義を受けてきて謂れのない差別を受けてきた人たちの戦いを見てきましたし、その中にある痛みも理解してきたつもりです。しかし、もし今日本に、あるいは世界にハンセン病のような病気が現れたとき、果たしてどのような態度をとるのか、ということに考えると、どうしても単純に、差別は“絶対”よくないし、当時の人間はもっとハンセン病の人たちの気持ちを、人生を考え、より良い方法を模索するべきだった、とは書けないな、と思いました。
 病気になる、ということに薬害のような人災を除き、誰にも責任などないことはわかっています。ですが自分や家族を解明されていない脅威にさらしたくはないと思うのです。人間なんて、最後は自分がよけりゃそれでいい、なんて拗ねたことを言いたいわけではありません。本当にそんなことになったら自分は事態を本質的に単純化して自分の大切なものを危険に晒すかどうかという二択に対する答えを出すだけだ、と思ったのと、この講義を受けている他の人たちがどのように思われるのかが気になって書いてみました。
 他にも桜井さんについて色々書きたかったのですが字数が限界なので割愛します。



【私(木野)の選んだベスト3】
[kino-doc:491] 文学部2回生 金城未希
 このドキュメンタリーを見るのは去年に続いて二回目になる。去年は、マイノリティである自分の立場を過剰に意識していたせいもあってだろう、マイノリティを賞賛するようなメディアには反射的に反発を感じていたため、桜井さんが話されることのひとつひとつに、素直に耳を傾けることができなかった。桜井さんが感謝している相手こそが桜井さんの苦しみの原因ではないのか、私達は気楽に感動していて良いのか、というような内容の感想メールを送った気がする。
 今年は二度目と言うこともあってか、比較的素直にドキュメンタリーを見ることができた。根拠もない論理で自分を隔離した政府を許し、自分の存在すら伝えていなかった親族を許し、たった一度の帰郷で何度も「ありがとう」を繰り返した桜井さんの言葉は、決してメディア向けの飾ったものではないと思う。「指を奪ったらいに/指のない手でおじぎ」をするような寛容さが、とても美しいと思った。
 だが同時に、そんな途方もない成長を桜井さんに強いた社会の身勝手さも感じた。授業で何人かの方も言っていたことだが、このドキュメンタリーを見て感動して泣いて、それで終わる人はきっと多い。私達は、いつもマイノリティにばかり成長を求めているのではないか。マイノリティが困難を克服し、人間的に成長し、私達何もしなかった人間を許すのを見て安心する。果たしてこれは問題の解決と言えるのだろうか。
 物事を素直に受け止めて感動することが悪い訳ではないと思う。相手への共感はとても大切だと思うからだ。けれど、感動して泣きながらも、与えられた情報の一歩外に目を向ける注意深さを持ちたい。受け手で終わらないようにしたいと思った。


[kino-doc:502] 文学部2回生 米田はる香
 てっちゃんは特別だったと思う。元ハンセン病患者で、桜井さんのように帰郷できたのはごくわずかであるとドキュメンタリーの中でも言っていたし、何より表現豊かなてっちゃんには詩というものがあった。金正美さんと出会ったとき、もしてっちゃんが心を開いていなかったら、心に響く詩を詠んでいなかったら、「二人の条約」はなかったかもしれない。ドキュメンタリーに取り上げられ、故郷に帰ることはなかったかもしれない。家族から引き離され、60年も隔離され、社会から虐げられてきた人間が心を閉ざしていても、全くおかしくはない。むしろその方が自然かもしれない。そうして見えない存在となっている人々が数多くいるはずである。そんな大半の人々は一体どうしているのだろうか。
 また、「桜井さんの親戚は皆本当に桜井さんのことを受け入れているわけではないと思う」という意見がでたが、私はそれでも良いと思う。むしろ完全に受け入れているほうが不自然であると感じる。まずは形の上からであっても、行動を起こしてみるというのも、状況を変える上で重要なことではないだろうか。
 いずれにしても、1時間に満たないドキュメンタリーでは、ある一面しか語られえない。もちろんそれによって偏った見方にとらわれてしまう恐れもあるわけだが、桜井さんの存在や親戚が桜井さんを受け入れたことも一つの事実として受け止め、そこからほかの立場を考えることも重要であると思う。


[kino-doc:515] 文学部1回生 津川真由子
 「怖い」それが私の桜井さんを見たときの、正直な印象だ。特に、顔に症状が出ていたということが私に衝撃を与えた。未だに視覚がこれほどまで、私の心に影響を及ぼすとは、自分でもショックだった。映像でこれだから、本人に会ったらどうなるのだろう。初対面では必ずぎこちなさがあるものだ。そこに「怖い」とか「自分と違う」という意識が加わってしまうと、理解しあうのに一段と時間がかかる。桜井さんを怖いと感じないことは、私の中では、彼を自分と同じ、あるいは他の人と変わらない、つまりは普通という枠組みに押し込めている気がしたのだ。違いを認め合うって難しい。その人をそのまま受け入れるのは、相手の個性を消すことではない。けれど「怖い」という感情はいくら素直なものといっても、それが相手を認めていることになるのか・・・。
 そう思うと、チョンミさんはすごいと思ってしまう。桜井さんの本質を見抜いたんだろうな。目に見える姿でなく、桜井さんの心を見たのだ。今回のドキュメンタリーは初めから、本質を見抜いてやる!という気持ちで見ていた。でもわからなった。疑う事と批判は別ものである。どうしてきねさんは桜井さんの受け入れを決断したの?チョンミさんは何でそんな優しいの?と思うことも、逆にこの話に感動して涙を流すことも全て理解ではない気がした。何を考えてもなぜか自分は蚊帳の外な気がしてならない。実際に相手に接してみる以外に、本質を見抜くことは不可能なのだろうか。







第12回(05.1.20)
こころの時代〜宗教・人生「長き戦いの地で〜医師・中村哲」(NHK教育,01.11.25,60分)
 18年前、内戦のさなかのアフガニスタンやパキスタンのハンセン病治療に出かける。以来、内戦や旱魃で困窮した人が難民になって行き倒れて凍死か餓死する前に救うべく、村に井戸を掘ったり、診療所を建てたり、巡回診療をしたり、小麦や食用油を運んだりしている。誰もが納得できるアクションならば、宗教や政治の違いを越えて協力できるというのが彼の信条。現地スタッフを雇用する、撤退しないことで、地元に溶け込み、その信頼関係はとてもとても強固。活動資金は日本からの会費やカンパで調達している。
 
<中村哲さんの著書>
ペシャワールからの報告―現地医療現場で考える』河合ブックレット,1990年 ←505円で読めるよ!
『ペシャワールにて―癩(らい)そしてアフガン難民 』[増補版]石風社,1992年
『ダラエ・ヌールへの道―アフガン難民とともに 』石風社,1993年
アフガニスタンの診療所から』筑摩書房,1993年
医は国境を越えて』石風社,1999.12.
ペシャワールにて』地方・小出版流通センター,2000.9.
医者井戸を掘る〜アフガン旱魃との闘い』石風社,2001.10.
ほんとうのアフガニスタン』光文社,2002.3.
辺境で診る辺境から見る』石風社,2003.6
医者よ、信念はいらない まず命を救え!』羊土社,2003.10.
空爆と「復興」〜アフガン最前線報告』石風社,2004.5.


<当日資料>
「氷河の流れのように」(中村哲,「ペシャワール会」のHPより)
「戦争への加担は難民を作り出す」(中村哲,「ザ・インタビュー 毎日の視点」,毎日新聞,2001.10.2.)
「アフガン復興 軍とセットの援助に反発」(中村哲,朝日新聞,2003.11.22)



【要約ベスト】
 中村哲はアフガニスタンやパキスタンで活動している医師だ。井戸を掘ったり、山岳に診療所を建てたり、身体を診る以外のことも多くこなす。ドキュメンタリーでは彼へのインタビューを軸にして、中村医師から見た難民、戦争、ゲリラといった様々な姿が紹介される。子供をかばいながら母子ともに凍死した遺体、家庭のために人殺しをしてしまうゲリラ、辺境の地で暮らす難民達の強い望郷の念・・・長年にわたる活動の中で中村医師が見てきたものはあまりに悲惨であまりに壮絶だった。だからこそ、人々が宗教や習慣、思考の違いを乗り越えて協力しあえるようにと、日々の活動の中で彼は奮闘する。長き戦いの地で、複雑な思いを抱えながらも必死に現実と闘う人々の姿の中に、きっと今日も、中村医師はいる。(文学部・2回生・野田はるか)


【投票ベスト】  (無効票多く、該当者なしとする)


【私(木野)の選んだベスト3】
[kino-doc:529] 理学部1回生 服部友香
 中村氏が現地の人へ小麦粉と油を送ったという話を聞いたとき、私は高校の時に授業で読んだ村上陽一郎の評論を思い出した。それは「多様な知識の組み合わせを」という題で、ある1つ分野の知識にたよるのではなく、さまざまな分野の知識を総合して判断することが重要だ、という内容。その例として、アメリカの食品会社が、飢餓に苦しむアフリカの子供たちに自社製の缶ミルクを配ったキャンペーンの話があった(※)。現地の人たちにとってこれは福音に違いない、と当時多くの人がこのキャンペーンに賛同した。しかしこの結果、かえって栄養失調や、消化器系の感染症で死亡する幼児が急増したのだ。なぜか?理由はいくつかあるが、1つは、こうして贈られた食料は貴重で、母親たちが言いつけ通りにミルクを使わずに、少しずつ食い延ばそうとしたこと。また、やみ値をつけて横流しをした者もいた。しかし、決定的な理由は水にあった。この缶ミルクは哺乳瓶で赤ちゃんに飲ませる。現地には、この哺乳瓶を清潔に保てるほど、きれいで豊富な水がなかったのだ。こうして繁殖した細菌群により、体力のない赤ちゃんは障害を起こしてしまった。
 私はドキュメンタリーを見ながら何度もこの話を思い出していた。中村氏はまさに「多様な知識を組み合わせた」人物であった。彼は長くその地にいることで、現地の人の文化や習慣、心情や環境など、日本や病院・研究室にいてはわからないだろうさまざまなことを学んでいた。そして、国や民族、宗教の違いから生まれる争いを長い時間をかけて1つ1つ超えていく、と言っていた。私たちが直接このような体験をするのは難しいかもしれないが、体験できない分、「知る」ことが重要だと思う。お互いを知らないことが問題や争いを生む。アフリカで、世界で、何が起こっているのか。これを知ることは、「かわいそう」という思いだけで街角で募金することよりよっぽど価値があると思った。
*参考*
高等学校国語1(三省堂)より「多様な知識の組み合わせを 村上陽一郎」
(※)教科書の文は同氏の『科学者とは何か』によるもので、この本は94年出版。
そこに、「二十年近く前の話」とあるので、今から30年近く前の話となる。


[kino-doc:545] 文学部1回生 津川真由子
 今回のドキュメンタリーには全く集中できなかった。頭の中では「中村さんはすごい」とはわかっていた。彼の言う言葉に納得もした。けれど私の心には殆ど何も残っていない。これは今回のドキュメンタリーにストーリー展開がなかったことが原因だと思う。中村さんのお話を聞く、というものだったからだ。結局のところ、私は視覚に訴えかけてくるものや、感動的なストーリーでないと興味を持てないのだろうか。そんな自分が情けなかった。それこそ私は物事の表面しか見れていないのではないだろうか。今回のドキュメンタリーも今までのものと内容的には変わらないくらいの重みがあったはずだ。それなのに・・・。
 しかし逆に、表現の重要性を感じた。同じように重要な内容でも伝え方によって情報を受け取る側の印象や、感想は変わる。真実を伝えることも、それを受け取ることも本当に難しい。真実って一体何なのだろう。もう一度全部初めから考えてみようと思います・・・。


[kino-doc:562] 文学部2回生 野田はるか
 難しいな、というのが今の率直な感想である。違いを超えて協力するということも、殺しあいをやめるということも、全ての人を助けるということも。しかし彼のインタビューの中で、私は強さや考え方や立場は違えど沢山の「人間」の姿を見た気がした。皆人間なんだ、と。皆大事なものがある。その守り方の違いが、いわば問題を引き起こしているのかな、と。そう思ったとき、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが同時に湧いた。大事なものは、誰だって失いたくない。大事なものであればある程。大事なものは家族だったり、プライドだったり、命だったり、神様の救いの手だったり、人によって様々だろうし、それがどれほど大事なものか、他人には多分わからない。だから、ぶつかるのだろう。
 復讐社会の中で、中村医師は復讐するなと言った。私は基本的に復讐やはナンセンスだと思っているが、復讐しないということ、それはそういった社会においては大事なものを2度失うこと(守りたかったものと守りたかったものへの思いを失うこと)なのではないだろうか。復讐は愛だという考え方もある。しかし、中村さんの言葉は結果的に争いを止めた。それは、凄いことだと思った。人を殺して罪悪感に苛まれていた人が、人の命を助けて喜びに出会い希望を見つけたというエピソードも私は好きだ。その人の中の矛盾や葛藤が浄化されたような気がしたし、命の大切さを確認できたから。責めるでも共感でもなく、発想の転換。現場にい続ける外国人だからできたことなのかもしれない。
 しかし、誰かが我慢すれば憎しみの連鎖は終わるのだろうか。誰かが痛みを我慢すれば、無償の愛を送り続ければ、世の中は穏やかになるのだろうか。多分、違う。我慢する人がいることが当たり前になってしまった時の恐さは、これまでのドキュメンタリーでも散々見てきた。世の中は戦いにあふれている。戦いはどうしたら終わるんだろう。やはり、難しい。







第13回(05.1.25)今期の授業を振り返って

 前回の授業では今期の授業に対するアンケートを取ったが、そのうち今期のドキュメンタリーに対する学生の評価を紹介しておこう。

Q5.授業で観たドキュメンタリーについて、「大いに良かった5、良かった4、普通3、あまり良くなかった2、良くなかった1」の5段階評価で書いて下さい。

            5    4   3   2   1

日野原重明    16   17   9   2   0
水俣春寒      16   17   9   1   0
谷たか子      15   17   6   0   0
カルロ・ウルバニ 23   11   9   0   0
地球家族2001   12   9    11    2   2
湯布院        11  15   11   2   0
西成こどもの家   15  22   3   1   0
大平光代       6  13   18   4   0
誕生の風景     12  15   3   3   1
サリドマイド     18  17   4   0   1
桜井哲夫      19  14   7   1   0
中村哲        13  14  10   2   2
            (数字は人数)

「大いに良かった」の割合順:@カルロ・ウルバニ53%、A桜井哲夫46%、Bサリドマイド児45%
「大いに良かった」+「良かった」の割合順:@西成こどもの家90%、Aサリドマイド児88%、B薬害ヤコブ病84%
「普通」+「あまり良くなかった」+「良くなかった」の割合順:@大平光代54%、A地球家族42%
評価がかなり分かれたもの:中村哲、湯布院

 昨年、一昨年に比べて、中村哲さんのドキュメンタリーに対する評価が意外に低く、また評価が分かれていた。このことは前回のMLの意見からも気がついていた。
 そこで、この日はこれまでのドキュメンタリーを振り返ってディスカッションを行う約束だったので、その話題を、前回のMLの中から私が気にかかった2点に絞ることにした。
 以下は、受講生が授業中にまとめてくれたディスカッションのメモに私が加筆したものである。


【その1 ドキュメンタリーについての議論】

* 中村さんのドキュメンタリーは、今までのものよりもストーリーよりお話を聞くことが中心で、頭の中ではお話の大切さがわかっていたけれども集中できなかった。
 今までのものはどこか作られたもので、その話の展開に自分は感動していただけで、本質は見抜けていなかったのではないかと思った。中村さんのものも今までのものも根底は同じものを持つはずなのに、伝え方でそんなに印象が変わるのかと驚いた。
(文学部1回生 T・M)
* T・MさんのMLを読んで、同じ意見の人がいるのだと思った。ずっと中村さんのお話が続き、挿入されるのが写真くらいなので、内容に関係なく、面白くなかったのが率直な意見だ。今までなら、ストーリー性に対する感想がもてたのだが、中村さんのものはのめりこめず、見た後でも心に残りにくかった。
(理学部1回生 O・K)
* 私もT・Mさんと同じだと気づいた。ストーリーにのめりこむことはできるのだが、今回は話の筋というものがなかったため、意見メールを書くことにも苦労したし、感想自体を持つことが難しかった。
(文学部4回生 N・Y)
* 今回はほとんどがインタビューで現地の映像が少なかったにもかかわらず、中村先生のお話から現地の様子が想像できるようになっていった。
(文学部1回生 N・O)
* 今回はインタビューが多かったので、勝手に現地の想像を頭の中で繰り広げながら見ていた。
(理学部1回生 T・Y)
* もともとドキュメンタリーが好きでよく見る。中村さんのものを見たときもさまざまな思いが浮かび、頭の中で存在を占めるので、余計に集中しにくくなる部分はあると思う。さらに、カメラが中村さんから離れている気がして、余計に印象が薄くなりがちな部分はあると思う。木野先生のおっしゃることも分かるけれど、これらの理由で自分の評価は「普通」だった。内容として評価するのか、ドキュメンタリーとして評価するのか、の差は出ると思う。
(経済学部4回生 A・T)

木野 ドキュメンタリーの作り方に関してはこれまでのドキュメンタリーでもいろいろ意見があったが、作品についての議論をするのがこの授業の目的ではない。ドキュメンタリーで取り上げられたテーマについて疑問や分からないところがあれば自分で調べた上で、ドキュメンタリーの内容について考えるのが目的だ。
 ストーリー性の強いドキュメンタリーは確かにわかりやすく、感想も書きやすいが、今回のように語りが中心の場合、観る人(聞く人)の感性が問われるので、何を書くべきか迷った人が多いのはわかる。しかし、去年、一昨年の受講生からは今年のような反応は聞かなかったので少し驚いた。



【その2 ボランティアに関する議論】

* 正直今回は退屈だった。スケールは大きすぎるが、今回はボランティアに関するものだったから。
 自分はボランティアに全く興味がない。助ける人間の顔や名前などが全くわからず、100万人の死者と聞くと数には驚くが、人が死んだという実感は湧かない。やはり自分はこれからも、目の前にいる人間は助けても目の前にいない人間は助けないのではないかと思える。
(工学部2回生 N・S)
* 私は逆の考え方で、知らない人のことこそ身近に考えたいと思っている。私たちは目に見えない人からも間接的な助けを受けていると思うし(外国製の商品とか他人の税金とか)、自分はたくさんの人の力で生きていると思うからだ。また、同じ人間なのに、自分とは環境が違うだけでつらい立場になってしまう人がいる不平等に納得がいかないからでもある。
(文学部2回生 N・H)
* 募金などすることもあるが、それによって誰かが助かるとか、自分が助けたというような意識がない。ちょっとでも自分ができることを意識せずにやっている気がする。
(商学部2回生 I・S)
* 災害などの現場をテレビで見て、是非ボランティアなどにもいきたいと思う。テレビにうつっていないほどひどい現場もあるのでは、移っているのは本の一部ではと思い、募金などもしたいと思う。
(文学部2回生 I・R)
* 募金などで目の前にいない人が助かればいいな、力になれればいいなと思う。災害の被害者などに日本人がいなければそれでいいと思ってしまうこともあるが、知らない人が被害にあっていると思うと助けたいとも思うのが矛盾している。
(理学部1回生 H・Y)
* 新聞などで災害などの報道があるとひどいなとは思うがそれ以上の感情はわかない。募金などの行為は入れただけで満足してしまうような気もするが、役に立つのであればやっていいと思う。
(文学部1回生 K・T)
* テレビなどで見るとかわいそうと思う。ガールスカウトなどの募金であれば信用できるが、他の募金であると、ちゃんと現地まで届いているのか不安になる。
(文学部1回生 K・H)
* 募金をしたりするが、災害が起こったときに一番必要なのは人材だと思うので、募金は免罪符のような感じがして罪悪感がする。災害にあった子供の姿を見ると心が痛み、彼らに笑顔がもどればいいなと思って募金してもいいかなと思う。
(文学部1回生 S・A)
* 人を助けるのは嫌々ではできないし、助けたいという感情が出てきたときにボランティアや募金をすればいいのではないかと思う。
(理学部2回生 K・S)

木野 人が動物と一線を画しているのは、想像するという能力があったためだ。本当に自分の知っている人はほんの少数で、いくら頑張っても一万人もの人を知ることはできなく、地球に住む人のほとんどは知らない人間である。
 他の人を思いやり、同情するかどうかは別としても、直接知らない人のことでも、その気になれば知ることはできる。(最近では情報が発達して湾岸戦争でなにが起こっていたかなど、茶の間のTVでも。自分で探す手段はいっぱいある)
 これから知らなかった問題、正解が容易に出ない問題に出会うことは多いが、そのときに自分で考えることができるようになってほしいというのが私の願いだ。想像する、理性を大事にする、それは「人間」だけができるとっても大切なことであるから。
 今考えていることが将来、全く違う考えになることはよくあるので、答えをあせらず求めずに、一生掛けて結論を出していってほしい。
 これが私からの最後のメッセージだ。


 この日は、これまでに発言しそこなった人を優先し、また一度発言した人がもう一度発言する機会を与えられなかった。案の定、授業の後、もう一度発言したかったと、内容メモを提出した学生もいる。

* 今日の先生の議論の意図はすぐにわかりました。自分でMLに「想像力はある方だと思っていただけに戸惑っている」という文を入れようかと迷ったからです(結局削ったけど)。
 2つの議論が関連していることもすぐわかりました。「発言してない人優先」だったため言えませんでしたが、最後なので書いておきます。
 やっぱり想像するためには相手の顔が見えないと厳しいです。どんな事情なのかがわかれば、つまり共感できれば想像力を働かせることは容易ですが・・・。私には「理性」が足りないのかもしれません。
(文学部4回生 N・Y)

 もう少し時間があればよかったのだが、卒業する彼女には来年機会があればリピーターになって来てねとねぎらった。これまでのMLでの彼女の意見を見る限り、「想像力」も「理性」も人一倍あるのはよくわかっています。


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