「ドキュメンタリー・環境と生命」2006年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第1回から第4回までを掲載しています(2006年11月25日)
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【第5期開講ご挨拶】

 工事中。。。






第1回「二十歳のあなたへ〜手紙で祝う成人式〜」(2005.2.4、NHK総合テレビ、45分)

要約ベスト(文学部4回生・加藤賢至)
 岩手県水沢市では、数年前から、親や祖父母、兄たちが二十歳を迎えた新成人に手紙を書き、会場で渡すという成人式を行っている。ドキュメンタリーで取り上げられた年の成人式には手紙が500余通、成人式のために届けられ、成人式の大きな企画となっている。
 ドキュメンタリー中、ある父子はその関係が疎遠だったのに、成人式の父からの手紙を通して、娘が父の気持ちを知り、父に感謝の思いを抱き、家族の絆を深めることが出来た。また、父親を亡くしたある家族では、母からの改めてのメッセージを、手紙を通して息子に伝えることが出来た。
 この企画は「親からもらったものを伝えることが出来る人となってもらいたい」という思いが発祥となって数年前から続いている。成人式を終えた方の中には「手紙により親の気持ちがわかり、同じようなことを娘にもしたい」という方もいて、その意図が達成できている成人式の企画となった。



投票ベスト[kino-doc:0447] 文学部1回生・谷島亜也加
 このドキュメンタリーを見て思ったこと。父と会話しようと思いました。高森さんが娘のさやかさんが幼い頃にかいた手紙をずっと大切に持っている姿が、自分の父親の姿に重なってみえました。
 私もさやかさんと同じように門限や生活態度にうるさい父をうっとうしく思っていました。しかし、高森さんがさやかさんについて話している姿を見て、私の父も同じように私を心配してくれているんだろうな…と、しばらく口をきいていない父と会話したくなりました。高森さんが「手紙を書いた時の娘の気持ちが財産」と言っているのをきいて「私も小さい頃は素直な気持ちでお父さんに手紙を書いたりしていたな…」と、今までの自分に少し後悔しました。成人式で高森さんが手紙を読んでるあたりでは涙が出そうになりました。
 私の住んでいる泉大津市の成人式では水沢市のようなことはしていません。このドキュメンタリーを見て、成人式のような人生に一度しかないイベントの時に大切な家族から手紙を贈られたら一生の思い出、一生の宝物になるんだろうなと思いました。



投票ベスト(同数)[kino-doc:12] 理学部1回生・田中彩香
 成人式で家族からの手紙を受け取る。普段家族と本音でぶつかり合うことの少ない我々、現代の若者にとって、その手紙とは家族との絆そのものであるのではなかろうか。
 変化のない成長はなく、我々は変わり続けてきた。その変化はこれからも絶えることなく続いてゆく。しかし自分自身で変化を意識したことが今まで何回あっただろうか。多くの人は数えるほどしかないのではなかろうか。VTRのなかに「だんだん大人になると小さい頃の優しい気持ちを忘れがちになってしまう」という記述があったが、おそらく忘れた訳ではないだろう。表現方法が少し変わったにすぎない。それでも他人から見れば大きな変化であり、自分が忘れても家族は幼い頃の私たちを覚えている。特に親はいつまでも無垢な思いを持ち続けてほしいと願うようだ。少なくとも筆者はこのVTRを通じてそう感じた。
 岩手県水沢市成人式−出席者590人中503通の手紙−実に85%もの家族が子どもに手紙を書いている。この事実は裏を返せば、それだけの家族の絆が希薄になってしまったのかもしれないということではないだろうか。普段言葉に出来ない気持ちを手紙に込める。素晴らしい試みではあるが、筆者としては常から相互理解があればより良い成人式を迎えられるのでは…と考えざるを得ない。



先生選抜1 [kino-doc:21] 文学部1回生・吉岡麻衣
 ドキュメンタリーを見ている最中、「ああ、家に帰ったらお父さんと話そう」とずっと考えていました。聞き上手の母親とは何でもよく話すのですが、私とよく似すぎている父親とは、年を重ねるごとに少しずつ話さなくなっているからです。
 私が中1のとき、父親は死亡率9割を超える急性すい炎という病気になり、医師から「助からないかもしれない」と言われたことがありました。奇跡的に一命を取り留めましたが、そのときも私は、思春期真っ只中で冷たい態度ばかりとっていたことを後悔した・・・そんなことも思い出しました。
 岩手県水沢市の「手紙で祝う成人式」は、なんだか面と向かって言うには気恥ずかしいことも素直に伝えられ、親子の絆を再確認できる良い試みだと思います。
 私の住む町では、運営自体を新成人が担当し、司会などのあらゆることを自分達で行っているようです。手紙で祝う成人式を羨ましく思いつつ、自分達で作る手作り成人式も良いものかもなぁなんて考えました。
 さっき母親にこの授業について話していて「あるお父さんが、娘が小さいときにくれた手紙を、大事に鞄の中に入れててね・・・」なんて言うと「そういえば麻衣もよく手紙を書いてくれたなぁ。いつも最後に『ありがとうありがとう』って書くんだよ」と母は目を潤ませていました。その姿を見て何だか私も目が潤みました。
 話すことは本当に大事。手紙は話をするきっかけにもなる素敵なものだな、と感じました。


先生選抜2 [kino-doc:24] 理学部2回生・中田哲也
 私は、毎週父にハガキを送っています。父は、私の家にはいません。父が別居し始めてもう5年くらいになります。食卓には、今も父が座っていた椅子が残っています。父の部屋も、そのまま残っています。しかし、父の声が聞けない日々が続いています。
 今回のドキュメンタリーを見て、子供を思う親心の深さをしみじみと感じました。言うまでもなく、今の私があるのは親のおかげです。私は仏教のお話をよく聞かせて頂いているのですが、仏教の中にも『父母恩重経』に親の恩を大きく十に分けて教えられた「親の大恩十種」が説かれています。その十番目に「究竟憐愍の恩」が教えられています。これは、親は七十、八十の老境に入っても子供をあわれみ、慈しむ。その情は終生絶える間もなく、あたかも影の形に添うがごとく、親の心は子供から離れることはない、ということです。
 二十歳を迎えるわが子、小さい時からずっと見守ってきたわが子が、自分の巣から巣立っていく。それまでにあったどんな小さな思い出も、親には忘れられないのでしょう。公園で子供たちが遊んでいるのを見て、幼かったわが子の姿を重ねる。学校帰りの子供たちを見て、幼かったわが子の姿を重ねる。いつになっても、どこへ行っても、忘れらないのでしょう。そんなわが子に、もう言うことは何もない、お前の好きなようにやれ、これが最後の言葉だ。そんな思いを込めて、送られる手紙は、何物にも代えられない宝物だと思います。この両親からの思いに少しでも報いれるよう、たゆまず正しい道を歩んでいきたいと思います。また、これから送る父へのハガキをより心を込めて送りたいと思います。




第2回「ミナマタに生きて〜水俣病公式確認50年〜」(2006.5.21、NNNドキュメント'06、30分)

要約ベスト(文学部1回生・中嶋可奈子)
 2004年、最高裁は水俣病関西訴訟で国と熊本県に水俣病に関する行政責任があるという判決を下した。しかし水俣病の公式確認から50年経った今でも、水俣病をめぐる戦いは終わっていない。
 1958年に大阪へ移住した坂本美代子さんは行政から24年間、水俣病の患者として認められていない。ひどい頭痛と、手足に刺した串の痛みが分からないほどの感覚傷害を水俣病だと認めない国・県に対し、各地での講演なども通じて坂本さんは戦い続けている。水俣病で失い傷ついた様々なもののために。
 漁師の岩崎さんは汚染された水俣湾を再生するため、様々な努力をしている。汚染の印象を拭うため1990年には汚染魚捕獲を行い、わかめの養殖を始めた。また今年は山に木を植え、海に流れ込む水そのものを見直す試みもしている。それらは単に漁業の利益を上げるためだけではなく、水俣湾の水質回復のための戦いでもあるのだ。
 二人の戦う相手は違うが、戦う姿勢は同じ「水俣病の悲しみを決して繰り返さない」という思いに満ちている。



投票ベスト[kino-doc:42] 理学部1回生・井関岳人
 水俣病公式確認から50年を経てもなお、水俣病に苦しんでいる人がいるのは、テレビなどで知っていましたが、未だに水俣病と認定されず、認定されるための活動をしている人がいたというのは正直知りませんでした。
 このドキュメンタリーに登場した坂本美代子さんは、水俣病に関する法律が制定される前に水俣を離れたために、明らかに水俣病の症状があるにもかかわらず水俣病患者と認定されず、現在もまだ認定申請は保留のままです。このドキュメンタリーを見た直後はこんな無理矢理な理屈で明らかに水俣病患者である人を認定しないということがあってもいいのか、と憤りを感じていました。
 しかし家に帰ってよく考えてみると、裁判所の判断も理解できると思うようになりました。少年法の改正の際も、改正前に犯罪を犯した少年を新しい基準で裁くことはなかったし、警察が運転中に携帯電話を規則ができる前に使っていた人に罰金を求めることもありません。私は法学部ではないのでこれらのこととドキュメンタリーの内容が同じ事なのかはわかりません。どなたか法律に詳しい方に教えてもらいたいと思います。 
 ただ、どこかで認定と非認定の線引きをしなければならないのは確かだと思います。
【注:坂本さんが水俣から大阪へ移住した1958年以前にも被害の拡大を規制する食品衛生法はありました。また、1968年の公害認定後、公健法による認定審査は翌年末から始まりましたが、認定基準では有機水銀を含んだ魚を食べたという疫学条件だけで、移住時期までは問うていません。】



先生選抜1[kino-doc:43] 理学部1回生・田中彩香
 私が今回最もショックを受けたのは、有名な病気であるにもかかわらず、多くの人がその実態を知らないのではないかという事実でした。日本史を学んだことのある人ならば誰しも聞いたことのある「水俣病」。しかし、私は水俣病が4大公害病と呼ばれるものの1つであること、有機水銀が原因であること、などといった教科書に載っている表面的なことしか知りませんでした。症状さえも…。
 坂本さんが初めて学校に赴いて水俣病の現実を知らせたときの気持ちは私には予想もつかない部分だらけですが、子どもたちが実態を知らないという事実に気付き、少なからずショックを受けられたのではないでしょうか。だからこそ、20年強という長い時間ずっと子どもたちに話し続けてこられたのだと思います。「22年前、学校で話をするようになるまで恨んでばかりいた」と話す坂本さんの姿が目に浮かびます。国を、企業を恨み、自分の境遇を恨み…そうした時間を過ごして来られた坂本さんだからこそ持ち得た強さがあるように感じます。One for all,all for one.坂本さんが私たちに残そうとしてくださっている気持ちを、少しでも理解することで被害者方の助けになれば…と思っています。


先生選抜2[kino-doc:54] 文学部1回生・渡辺久実子
 ミナマタに生きる―――
 ドキュメンタリを見終わってじっくり考えてみると、その重みと意味が、だんだん現実味を帯びて感じられてきた。
 公害発生当時、水俣に住んでいて被害を受けた方は、差別から逃れるため別の地域に移り住まれた方も多いという。しかし水俣から離れたって差別は存在した。むしろいつ自分が水俣病患者だと周りに知られ、接し方が変わるのかと考えると恐怖だったろうし、逆に月日が経って、患者として国に認めてほしい、謝罪してほしいと思っても、被害ゆえに故郷を離れたことを考慮されず、認定もしてもらえない悔しさは如何程のものだろうか。
 水俣に当時から住んでおられて、今もくにを離れずにおられる方もいる。昔は漁業が盛んなあかるい町だったのに、いまは“ミナマタ”という言葉のもつイメージのせいで、美しい海に戻っていても、ひっそりとしたままだ。少しでも昔の活気を取り戻そうと、漁師たちが慣れない昆布養殖を始め、山に木を植える。そこに加害者であるチッソや国の協力は見られなかった。自分の故郷を大事に思う気持ちは一緒なのに、いつも尻拭いをさせられるのは罪のない住民である。
 ミナマタを捨てたはずが、いつまでもそこから逃れられない。たった一度の青春の思い出は、家族の苦しむ様子と、差別に怯える日々。そして、いつまでもミナマタを守っていこう、自分の手で美しいミナマタを取り戻そうと決めた日から、いまも人知れず続いている悲しみ。公害は一度発生してしまったら、完全に癒えることはないのではないのかとさえ思う。
 だからせめて、国は被害者の最低限の要求である、謝罪と患者と認定することくらいしてあげてほしい。原告の年齢を考慮して、ハンセン病患者には患者認定をし、控訴を断念したのなら、水俣病患者にも同じことができるはずだ。そうすることが、被害者の苦しみながらも生きることを放棄しないできたこと、命がけで戦ってきた人生を、世間が知り、認めてあげるための第一歩になるはずである。


先生選抜3[kino-doc:55] 理学部1回生・森尾真也子
 今回のドキュメンタリーで私が一番深く考えさせられたのは、人間の持つ自分本位な考え方と猜疑心の強さである。
 まず、町を栄えさせているというだけで何故、一番疑わしい工場を誰も声高に問い質そうとしなかったのか。工場が閉鎖して町が寂れてしまうことを恐れたのだろうか。明日は我が身、という環境の中でも利益に固執する人間の様には正直辟易してしまう。住む人間がいなければ、町がいくら繁栄しようと無意味だというのに。
 次に、原因が解明され、感染しないと証明された後でもなお続く、患者への差別である。確かに、一度刷り込まれた"原因不明の病気"に対する恐怖を拭うのは難しい。たくさんの命を奪っていった病気だ。皆等しく苦しんだ病気だ。でもだからこそ、患者の苦しみをわかっている者同士が協力しあうものではないのか。しかし、現実には先入観にのまれた人間の方が圧倒的に多く、患者を冷たい目で見ることしかしない。(それが人をどう追い詰めるのかよく考えもせずに)
 理想論と言われればそれまでだが、私は一歩でも自分の力で踏み出し、どんなに小さくても自分にできることをしようと思う。






第3回「”サリドマイド児”として生きて」(NHK教育,ドキュメント地球時間,00.12.01,43分)

要約ベスト(商学部1回生・神戸沙文)
 生まれながらにして手足に大きなハンデを負ってカナダで生きている第一次サリドマイド児世代の4人の生き方を追ったドキュメンタリー。
 薬害サリドマイドとは当時簡単に政府によって認可されたサリドマイドという薬を妊娠中に服用した親をもつ胎児の成長が妨げられ、障害をもって生まれてくる病気だ。しかし、彼らはそれぞれ自立し、精一杯生きている。
 彼らを苦しめてきたはずのサリドマイドが、再び別の病気の処方箋として製造されることに対し、「自分たちの犠牲で救えるのなら・・・」「新たなサリドマイド世代を作り出さないために自分たちができることをしていく」と彼らは自らの足又は手や口、楽器など様々な手段を通して活動している。
 すべての現状を受け止め、輝きながら生きている彼らの前向きな考え方・生き方から自分も彼ら以上にポジティブに生きていこう、と見た後には清々しい気持ちになれる作品。



投票ベスト[kino-doc:79] 理学部2回生・中田哲也
 サリドマイド――この言葉、久しぶりだな。確か、たくさんの悲劇を生んだ、あの薬だったっけ。そう思って、私の目に最初に飛び込んできた映像。私は、驚きました。障害者にも関わらず、五体満足している私たちと少しの違いもないその活躍ぶり。いや、私たち以上の活躍ぶりと言っても言い過ぎではないでしょう。
 どうして、彼らはそんなに生き生きとしているのか。私の疑問に、サリドマイダーたちは思う存分答えてくれました。
 こんな私でも、できることがある。こんな私でも、人のためになれる。こんな私でも、必要としてくれる。
 一生背負わなければならないハンディキャップに構わず、たくましくひたすら前進していく姿には感動しました。もちろん、その裏には並々ならぬ涙ぐましい努力があったに違いありません。それでも、何でもいい、一歩前に進もうとする姿には本当に感動しました。そんな彼らが私たちに何を伝えようとしているのか。いろいろあったと思いますが、最後のアルヴィンの言葉は忘れられません。
 「本当に腕が欲しくないのか」―思わない。今生きている人生よりいい人生なんて考えられないだろう。つまずくことはあるさ。でもそれが人生だろう。
 サリドマイドによる悲劇を伝えるために、自分たちは生きている。それも、あるかもしれません。しかし、私はそれ以上に、「あきらめずに、進め。君に不可能はない」と訴えてくる彼らのメッセージに答えていきたいと思います。



先生選抜1 [kino-doc:87] 生活科学部1回生・幾原亜季
 人の一生を、生まれた瞬間からつぶしたサリドマイド。それに苦しんできたサリドマイド患者たちが、新しい薬としてサリドマイドを認める。
 これがどれほどすごいことか。簡単に言うことはできるが、背景にはものすごい心の変化があったのだろう。自分の肉親を殺した犯人に笑顔でにっこりほほえむようなことだ。しかも心から・・・。私にはできそうもない。この薬をサリドマイド患者たちが反対し続ければ、きっとなくなっていただろうに。
 もしなにかの間違いで、先進国から発展途上国に密売などの形式でまた売られ、ブラジルのようにサリドマイド児新世代が誕生してしまったら・・・。自分と同じ思いを二度とされたくない。この気持ちはきっと根底にあるはずだ。しかし、サリドマイドを主観的に突き放すのではなく、彼らは客観的に見た。そして、サリドマイドが新しく痛みを和らげるという病気の末期の患者の気持ちを考えた。
 人の気持ちをわかってあげることは、自分に余裕がなければできない。つまり、彼らは前向きな進歩をしていたのだろう。たとえば裁判に勝ったこと。これらをきっかけに彼らは自信を持っていった。つまり、患者たちが社会復帰を果たす環境ができることで、世の中は、本当にいい形を実現することができたのではないか。
 違う人たちを排除している社会は、全員に役立つ社会になることはできない。すべての人が暮らしやすい社会を常に目指しくべきだ、と私は思う。


先生選抜2[kino-doc:97] 文学部1回生・渡辺久実子
 今回のドキュメンタリーで一番印象に残ったのは、「今生きている人生以上に良い人生なんてありえない。つまづくことはあるだろう。でも人生ってそんなもんだろ?今は完璧な人生に近づいてるよ、確実に」という言葉だった。そこに見えるのは、自信と充実感。こんなふうにからりと人生を肯定してのける人は初めて見たかもしれない。一部のサリドマイダーたちは生まれた時点で障害を持っていたが、健常の子どもたちと同じように、順調に成長してこれたことは、今回はじめて知った。むしろ、彼らにとって苦痛だったのは、まわりからの反応だった。しかし今回のドキュメンタリーに登場したサリドマイダーたちには、家族からの十分な支援があった。普通なら、他人と自分の体が違うことを自覚したり、差別を受けるたびに自分を否定する感情がわいてくる。
 しかし自立する為の能力を育ててもらうことにより、できないことがあっても代わりになることをきたえればいい、そして人に理解してもらえないことは誰にだってあるし、なんだって心持ち次第なんだという気持ちになることによって、彼らは強くなった。もちろん五体満足な人とは比較できないほどの努力が必要だっただろう。でも彼らにとっては特に、自信はなくては生きていけないものなんだろうと思う。自分らしさを押し殺して部屋にこもっていては、自分で自分の人生を殺してしまうことになる。だからこそ自分らしさや、自分なりにベストを尽くすことをいつも考えてきた。体にはハンディを負っているかもしれないが、そのぶん人間なら誰だって欲しいと思っているもの(強さや自信や主体性)にはやく辿りついた彼らを、私はうらやましく思った。
 しかし当然のことながら、サリドマイダーたちが一番望んでいるのは、社会が違いをすべて受け入れるようになることだ。身体的につらい人にはせめてこころの苦痛を取り除いて、いつでもさっと手を差し出せるようになりたいと思う。






第4回番組 「誕生の風景」(NHK総合,01.3.24,NHKスペシャル,49分)

要約ベスト(経済学部4回生・西村栄樹)
 21世紀に入り生殖技術が進歩する一方、相次ぐ民族紛争や環境汚染によって誕生の風景は多様化している。経済事情の異なる二国、アメリカとフィリピンの家族を追った。
 マイナス190度で受精卵を凍結。これまで廃棄されてきた未使用の受精卵(生命)を養子縁組として不妊に悩む夫婦に提供する。近年アメリカではこうした医療の先進技術により治療のすそ野が広がっている。しかし家族の心境は複雑。念願の子どもでありながらも、別夫婦から提供された子どもをどう受け入れてよいかに戸惑う父親。一方で自分達の遺伝子を引き継ぐ子どもが見知らぬ母体から生まれてくるかもしれないことに葛藤する夫婦。それぞれの家族の想いは錯綜する。
 貧困と多産に悩むフィリピンのスラムに暮らす女性たち。宗教的戒律から中絶が禁止され、家族計画にさらに追い討ちをかけられる。不妊手術を受けるか否か。小学校に通う自分の子どもにも仕事をさせ、これ以上家族に負担をかけさせたくないと一人悩む母親・・・。そして第4子誕生の日がやってくる。赤ん坊を囲んで喜ぶ一家に、母親の顔はどこかさびしげにも映る。
 新しい医学、変化する社会、そして人間の心の限界。今、生命のあり方が見直されている。



投票ベスト[kino-doc:123] 理学部3回生・焼山亜紀
 今回のドキュメンタリーでは先進国と発展途上国の出産事情の違いがはっきり現れていました。先進国アメリカで行われている新たな不妊治療である凍結受精卵の養子縁組は、ディスカッションでもいろいろな意見がありました。みんなが同じく思ったことは、技術だけが先走りすぎて人々の心情がついていけていないのではないかということです。ミネソタに住むバーバラ、ダン夫妻の場合はその一例です。夫婦によって考え方も異なると思いますが、この世に生を受けた受精卵を廃棄するか、自分達の遺伝子を受けついだ子が見知らぬ夫婦の間で生まれ育っていくのを黙って見守るかという選択肢のどちらかを選ぶことはなかなか難しいと思います。
 一方、フィリピンでは不妊治療がどうとかいう問題ではありません。まずはどのように今の生活が裕福になれるかどうかで人々は精一杯なのです。こういった状況が先進国との差に驚きました。フィリピンでの避妊方法についても主に女性が行うということを聞いて驚きました。さらに宗教の関係で中絶も認められず、卵管を縛るという避妊方法は後遺症などの問題もあるらしく、かといってピルなどの他の方法は費用がかかります。女性にとってはとてもつらい立場にあると思います。このような先進国と発展途上国の貧富の差が少しでもなくなり、世界の苦しい生活をしている子供たちが少しでも楽な暮らしができるような世の中になって欲しいと思いました。



先生選抜1[kino-doc:122] 経済学部4回生・西村栄樹
 アメリカの家族、フィリピンの家族。いずれの場合も一番複雑な思いを抱いているのは生まれてくる赤ん坊ではないかと考えた。
 凍結受精卵により生まれたのだと知らされた子どもはいつか考えるに違いない。一体本当の親は誰なのか、と。法的には親権がある今の家族であっても、自分に流れている遺伝子は別の家族から提供されたもの。人工的に作られた己の生い立ちを誰にも話せずに生きていくことになれば、これほど酷なことはない。
 あるいは貧困のスラムに暮らす家庭に生まれた自分は、望まれて生まれたのではないのかもしれない。宗教的に中絶が許されないがために仕方なく生まれたのか。家庭を助ける新たな労働力として生まれたのか。本来命に価値や優劣をつけるのはタブーであるが、周囲の環境が人間の心を変えてしまってはいないかと疑問に思う。
 文明の進歩が自然の摂理を超えてしまったために新たな弊害を生んでしまっている。新しい生殖技術で命と考えられて生まれてくる子どもがいたり、明日の食事もままならない母のお腹に宿る子どもがいたり、現代の人間は実に微妙な狭間で生きているのだと考えさせられた。そして今、自分はこの世になぜ生まれてきたのかと改めて考えた。その答えを見つけるのは容易ではないが、今後の人生をどう生きるかにかかっているのは確かだ。


先生選抜2[kino-doc:133]生活科学部1回生・幾原亜季
 私はもう一つの一般教養で妊娠中絶の話題についての授業を受けています。だからこのドキュメンタリーのほうでも、フィリピンの方に非常に関心をもちました。
 子供が増えるのが困るのなら、生むようなことをしなければいい。確かにこれは妥当な意見だと思います。しかし、実際そうはいかないものだと思います。一つの命がおなかの中にあるということを実感してから経済的な事情だったり様々な壁に当たるのではないのでしょうか。日本の避妊・中絶の技術は進んでいると思います。早期なら簡単におろすことができるし、法律上の問題もありません。実際若い女性がたくさん産婦人科に通っておろしているそうです。
 ここで、一つの命に対する考え方に私は疑問を感じました。フィリピンの家族が何人も子供を産むことが悪くて、日本の家族が自分たちの経済状況などを考慮しておろすことが正しいことなのでしょうか。フィリピンの家族の、子供に会ったときのあの表情が忘れられません。一つの命を簡単に捨てる、きっとそんな考え浮かばないと思うし、貧しいからこそ、命の大切さが身にしみてわかるのでしょう。日本をこのフィリピンから何かしら学ぶことがあるのではないでしょうか。
 避妊はどこの国でも進めるべきだと思いますが、中絶に関して今一度考え直す必要があるのではないでしょうか。


先生選抜3[kino-doc:137]文学部1回生・吉岡麻衣
 「私たちに子どもが授からないなら、神がそれに代わる何かを与えてくれると信じていたから。」「え、それは違うやろ。」そう思わずにはいられなかった。これは凍結受精卵の提供を受けたメリンダさんの言葉だ。「凍結受精卵は神が与えてくれたものなんかじゃない。人間が創り出したものじゃないの?」そんな気持ちになった。
 凍結受精卵を望むアメリカと、避妊を望むフィリピン。(あくまでも今回の映像に関してですが)両者を見て感じたのは、経済と宗教、そして倫理の問題だった。
 アメリカは凍結受精卵を使用することで、不妊症の女性が新たな生を受けている。たしかにそれは幸せなことかもしれないけれど、生まれてくる子の気持ちはどうだろう。受精卵を提供したバーバラさんが「ほっとした」と言って泣き崩れる姿は、凍結受精卵が「ただ幸せだけを生み出す素敵なもの」ではないことはたしかだと思わせた。
 子どもを授かることを、切に願う気持ちはもちろん理解できる。でもお金にものを言わせて、新たな生命を授かっているような感覚がぬぐえなかった。「神が与えてくれたもの」で済ませてはならないことではないのか。さらに、メリンダさんの夫バックさんが牧師であることに、驚きを隠せなかった。
 宗教によって中絶が禁止されているフィリピンは、コンドームの使用率が1%だという。子を授けてくれるとも考えられている神が、反対に信者を悩ませてもいるなんて、皮肉なことだ。凍結受精卵も、宗教による中絶禁止も、簡単に答えの出せない問題だ。ただ、私達一人ひとりが真剣にこの問題を受けとめ、考えることこそが大事ではないかと思う。
 いつか妊娠や出産、もしくは不妊の問題に直面するかもしれない一人の女性として、私も真剣に問題を受け止めようと思った。




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