「ドキュメンタリー・環境と生命」2002年度受講生の記録

 ここには、記念すべき第5回から第8回までを掲載しています(2003年012月20日)
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【授業のその後(2002.11.28)】
 開講後の様子はHPで大体わかるかと思いますが、そこには書かれていないことを少し補足しておきます。
 正式な受講登録者は結局78人になりました。全学部そろっていますが、多いのは法・文・工・理の学生で、少ないのは商・経・医・生科でした。もちろん、どの授業でも回を追うごとに脱落者が出るのは普通ですが、今日の第8回現在でも70人もの人が出席しているのには私の方が感心しています。
 MLを始めてから最初に気づいたのは字数オーバーの人が多発したことです。400字を目途にという約束でしたので、3回目のMLで注意を促しました。
 また、毎回のMLを読んでいるうちに気になることも出てきました。そこで4回目の授業の後、みんなに次のメールを送りました。
 「意見メールももう4回目になりました。MLを読むと、みんなが教室でのドキュメンタリーを熱心に観ているのはよくわかります。しかし、4回目ともなると、かなりの人の意見がワンパターンになってきたと思いませんか。
 <なんて悲惨な事件だ><企業はなんて無責任なんだ><国はなぜきちんとできなかったのか><私たちは同じ過ちを繰り返してはならない>のような評論的な意見は何回もリフレインできるものではありません。
 印象や感想の域を出ない人も含めて、そろそろドキュメンタリーで取り上げられた問題を、他人事(ひとごと)として客観的に評論するのではなく、自分に引き寄せて考えるようにして下さい。」

 そして、他人事としてではなく自分ならどうするかを考えてもらうために、急遽、授業予定を変更し、先輩の話を聞く機会をもちました。授業と違う日時でしたので、来れない人向けに教室では録音テープとスライド・OHPで再現しました。第6回のHPを見てもらえばわかると思いますが、この目論見は成功したと思っています。
 しかし、第7回のMLでは再び他人事に戻ってしまった人もおり、ドキュメンタリーをステップにしたこの科目にとっては、今後も尽きない課題かもしれません。


第5回(2002.11.7) 映像90「薬害ヤコブ病・谷たか子の闘病記録」(MBS,1998.3.16,60分)
 硬膜。脳を包む薄い膜。開頭手術の際は、死者から提供された硬膜を絆創膏のように張り付ける。
89年1月に脳外科手術を受けた谷さんは、96年5月に発病、意識を失う。谷さんの家業は牧畜で、当時
は欧州で狂牛病が騒がれていたため、医者は「お宅の牛から感染したのでは?」と言う。夫の三一さん
は3人の娘と看護をしながら、友人らと真相究明を始め、提訴に至る。牛から感染した例はなかった。
谷さんに移植された硬膜は、87年にアメリカのFDAが廃棄警告を出したドイツ製品だった。

<当日資料>
*CJD薬害訴訟を支える会のHP(http://www.page.sannet.ne.jp/yasuo-t/)から「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)とは」
*『月刊むすぶ―自治・ひと・くらし』379(2002.7)の連載「公害と教育実践レポート―今どきの学生たち」第54回(木野茂)からの転載。
  2002年6月5日に「公害と科学」の特別授業で谷三一さんに話していただいた記録。

<受講生による内容要約>
# 植え付けられた病ー薬害ヤコブ病。谷たか子さんは96年春、発病する。夫の三一さんは89年にたか子さんが脳外科手術を受けた
際に用いられたヒト乾燥硬膜が原因であることを突き止める。ドイツの国際的な製薬メーカーB・ブラウン社のヒト乾燥硬膜「ライオデュ
ラ」は、87年4月にアメリカFDAが廃棄警告を出し、5月にはアルカリ処理が義務づけられていた製品だった。にもかかわらず厚生省は
諸外国の動きを見逃し、97年まで使用・販売を許可していたのだ。
 たか子さんの闘病記録は同時に三一さんの闘いの記録でもあった。三一さんは3人の娘と交替でたか子さんの看護にあたりながら、
友人らと真相究明に乗り出す。見えてきたものは、患者の命を軽視する旧厚生省、利益追求ばかりの企業の体質だった。そして裁判
を起こす。サリドマイド、スモン、薬害エイズなど繰り返されてきた薬害を省みずに、薬害ヤコブ病を引き起こした日本という国・企業の
あり方を問うために。      
(文学部・2回生 川崎那恵)


「薬害ヤコブ病・谷たか子の闘病記録」を観て… 受講生が選んだベスト意見

文学部・2回生 小島良子[kino-doc:342]
 くらいところへはいっていく・・私はこの表現はとても恐ろしいと感じました。自分が無くなっていく事を想像して、ぞっとする思いがしま
した。ところで今回の私の私の意見はドキュメンタリーの内容からは離れていますが、思ったことを書いてみました。
 今回の映像でも、厚生省やB・ブラウン社は明らかに悪いように思えた。だが私は今回、今までのドキュメンタリーを見たことも合わ
せて、加害者達をただ責めるだけのことは何か虚しいことのように思えてきた。何故なら、もし自分が現実に加害者と同じ立場に立っ
ていたのなら、彼らと同じことを しているだろうと思ったからだ。誰だって本心は自分が一番可愛い。今の自分の行動の基準を考えて
みるといい。自分の利益になることには飛びつくけれど、自分の損になることは絶対したくない。その気持ちを抑える人間の良心なん
て、そんなにあてになるものだろうか?
 今、私が偶然厚生省の人間ではないだけ、解剖アシスタントではないだけ、そして安穏とした大学生であるから、一見ひどいように
見える加害者を非難できるだけなのだ。
 無くしたいけれど無くせないのが人間の悪い行いであって、これからも第二、第三のB・ブラウン社は生まれ続けるだろう。そして人々
は、それらに対する非難を続けていくことしかできないのだろうということを感じた。


(次点)理学部・2回生 山野陽子[kino-doc:340] (票数の同じ人が他に2人いましたが、これまでにどこかで選ばれた人たちですので、今回はニューフェースを次点としました)
 ヤコブ病という言葉は知っていたけれど、どういう病気で何が原因なのかは全く知らなかった。今回も日本の問題に対する対応力の
無さに腹がたった。
 「患者の訴えを無視する病院」「問題を顧みない政府」「利益優先の企業」 どうして、被害者たちのことをもっと考えれないのだろうか?
感情的になってしまったら、確かに問題は解決しないのかもしれないが、人間だから仕方なくないですか?
 今回のドキュメンタリーも薬害のことが問題とされていたが、そのことよりも、私には、たか子さんを看病する家族の姿の方が印象的
だった。家族全員が一団となっていた。病気で衰えいくたか子さんを見るのは辛いことだったと思うが、それでも、一生懸命声をかけ、
最後まで看病をしていた。その姿に感動した。とてもいい家族に囲まれて、たか子さんは幸せだったのではないかと思った。今日配布
されたプリントの谷さんのコメントの最後に「勝訴的な和解はできたが、完全な勝利とは思えないです。失ったものが大きいからだと思
います」というとうなことが書かれていた。たか子さんがヤコブ病で亡くなったことはやっぱり無念だったかもしれないけど、谷さんのし
たことは立派だったと思う。これからも、講演をして、薬害問題について訴えていって欲しいと思う。


「薬害ヤコブ病・谷たか子の闘病記録」を観て… 私の選んだベスト3

工学部・1回生 長谷川知子[kino-doc:336]
 私は前期の「公害と科学」で生の谷三一さんの講義を受けたので、今回、谷さんが映像の中にいて不思議な感じでした。VTRを見な
がら谷さんのお話を思い出しました。
 エイズにしても今回のヤコブ病にしても薬害が起きるまでの過程では防ぐチャンスは何度もあるように思えます。B・ブラウン社の不
法な取引をなぜ止められなかったか。その原因の一つに内部告発の難しさがあると思います。私たちはB・ブラウン社の労働者に対し
て「(闇取引をしていることを)知っているなら早く言えよ〜。あんた達にも責任があるんやで。」とつい思ってしまいます。しかし、労働者
の立場に立ってみると、企業から黙って働いていれば生活させてやるといった態度で扱われるのです。こんな状況におかれては企業
側に対して自由に物が言えず、自分の働く企業の不法な行為を訴えることもできません。私がそこの労働者であれば、たぶんおとなし
く従っていると思います(T_T)。
 今の企業にはこのような状況が多いのではないでしょうか。労働者が自由に物を言える状況にすることで多くの薬害を防げると思い
ます。内部告発については私がここで語らなくても、11/9に北野さんから熱く熱く語って頂けると思います。学ぶことが多すぎる講義だ
と思いますので、私からもお勧めします。

法学部・1回生 西田美和[kino-doc:383]
 人はいつも「幸せ」になりたいのだと思います。安穏として、喜びを特に意識することもなく生きていくのが一番楽で、好きな生き方だと
思います。偏った考え方かも知れませんが私はそう思っています。
 なぜこんなことを書いているかといえば、私は自分も薬害を引き起こした会社の人間や行政の役人になりかねないと思うからです。
(私はこの問題に行政、厚生省の責任は大変大きいと考えます。)失礼な言い方かもしれませんが、人間である以上誰にでもその可能
性はあると思います。それは人間が平穏で楽な生活を望む以上ぶつかるかもしれない壁だと思います。利益だけを求める人間がわか
らないという思いも確かにあります。でも「幸せ」を望む以上、どこかの気の迷いで他人の不利益にも片目をつぶってしまうような気持ち
が本当にないのかと、いわれれば私にはないと言い切れない思いがします。
 しかしそれでは、現に被害が広がっているように、他人の不利益が増えるだけです。私はこういう時「情けは他人の為ならず」という言
葉を思い出さずにはいられません。チッソしかり、薬害エイズしかり、目先の「幸せ」をむさぼるために何か見落としているように思います
。自分一人では難しいこととは思いますが、自分を見直せる、反省できる機会と意識が必要だと思います。一人がやれば小さなこと。し
かし、大切なことだと思います。二度と驕らないように、腐らないように。

文学部・2回生 川崎那恵[kino-doc:394] (今週だけML上でディスカッションを行いました。これはその中から選びました)
 原谷朋子さん[kino-doc:338]の意見にあるように厚生省の役人、ビーブラウン社の解剖アシスタントなど加害者側にいる人々にもそう
せざるを得なかった理由があるのは確かだと思います。彼らの理由が全く納得のいかない理由ではないと思います。理解できる範囲
の言い訳かもしれません。悩みに悩んで、苦しんで出した答えかもしれません。しかしその結論に至るまでに利害が絡んでいます。あ
る人が自分にとっての優先順位をつけることによって、切り捨てられていく人々が出てくるのは避けられないことです。意見の中に「その
しわ寄せが、すべてヤコブ病患者に来ていることは確かだ。」とありますが私もそう思います。一方をたてることで、もう一方が苦しむこ
とが往々にしてあります。これはしょうがないことなのでしょうか。私が言いたいのは、しょうがないことかもしれないけれど、それでいい
のかということです。それぞれの立場をふまえて、もうちょっと踏み込んで考える必要があるのではないか、ということです。
 また、私たちには頭ではわかっていても行動に移すときには自分の利益優先、というところがあります。実際に事が起こらない限り、
また何か問題が自分に切羽詰まってこない限り、「きれいごと」「たてまえ」しか言えないのかもしれません。「他人事」として捉えている
あいだに主張する意見はあてにならないのかもしれません。だからこそ、小島良子さん[kino-doc:342]の意見にあるように自らの中に
ある加害者性に目を背けないことは大切だと思います。でも加害者性があるからといってあきらめていては、問題は決して解決の方向
へ進まないのではないでしょうか。あきらめるのではなく、同じような過ちを二度と起こしてはならないという気持ちで、加害者性をいかに
乗り越えていくかを考え続けていくしか道はないのだと思います。

 
これに対して、小島良子さんから次の返信[kino-doc:395]がありました。

 [kino-doc:342]の小島です。川崎さんの意見に対する返答です。
 確かに私の意見は無気力・無関心・無感動をそのまま表したようなもので、川崎さんの言っていることは至極もっともだと思います。
しかし 実際川崎さんのような精力的な人は今は少ないです。彼女の言うようなことを実行するためには、人々は本当にいつも気を張っ
ていなければならないため、すべての人々をその様な方向に向けることは並大抵のことではありません。それをどの様に達成できるの
かを考えてみて、私には解決の方向すら見えなかったので、あんな意見を書いてしまいました。



第6回(2002.11.9.&14) 講演「闘いの中で出会えた"人と言葉"は私の宝」(北野静雄氏,02.11.9,60分)
 北野静雄氏は大阪市大の卒業生で大鵬薬品に就職し製薬研究者となったが、会社が
発ガンの恐れのある新薬を販売することを知り、それを止めるために仲間と労働組合を
作って立ち上がった。会社の想像を越える弾圧に耐え、さまざまな人たちに支えられて、
薬害を未然に防いだ闘いを聞く。
 講演後の交流会には水俣病関西訴訟の患者さんらも顔を見せられた。
 なお、11/9の講演会に来れなかった受講生には11/14に講演の録音を聞かせた。

<受講生への案内より>
受講生の皆さん
 開講から今日で4回目になりますが、毎回の授業とメーリングリストからみんなの熱心な受講意欲が伝わってきて、私もうれしく思い
ます。
 ただ、この科目を始めるときから、少し心配していたことがあります。それは、ドキュメンタリーを「観る」ということの限界です。画面を
通して、できる限り真実をつかみ、自分で考えるというのが科目の目標ですが、ドキュメンタリーはあくまでも映像による報道作品であり
、生(なま)ではありません。「観る」という行為だけに閉じると、どうしても「他人事(ひとごと)」になり、評論に終わりがちです。
 この科目でも何とかして1回でもライブの授業を入れたいと思ったのですが、今年は間に合いませんでした。そこで、その代わりとし
て11/9に行う特別企画での北野静雄氏の講演を振替え授業にします。
 記念講演にお呼びする北野静雄氏は企業の中から薬害を未然に防ぐという偉業を成し遂げた方で、市大生が誇るべき先輩です。ち
ょうど第4回と第5回のテーマは薬害ですし、その前の水俣病やイタイイタイ病も含めて、被害の悲惨さと企業や行政・専門家たちの対
応のひどさにいささか辟易していませんか? そんな人たちにこそ北野さんの話をぜひ聞いてほしいと思います。
 (11/9は工学部の院生だった井関進氏が自ら命を絶った日で、今年が30年目に当たります。水俣病患者を支援し、原因究明を妨げ
る学者らを追及した氏は、自分の博士論文の付記に科学者の責任を吐露したが、そのせいで学位を拒否された。135日間の正門前座
り込みを経て学位は授与されたが・・・。)


<11/9当日資料>
*『環境と人間―公害に学ぶ』(木野茂編,東京教学社)。第7章に北野静雄氏が「薬害を防いだ労働者」を執筆している。なお、同書は
現在「新版」になっているが、同じ内容が第6章に収録されている。
*『月刊むすぶ―自治・ひと・くらし』の連載「公害と教育実践レポート―今どきの学生たち」第4回・第5回(木野茂)
*朝日新聞(2002.7.19)の「ひと」欄:「労組初の田尻賞を受賞した北野静雄さん」

<11/14当日資料>
*同上、朝日「ひと」欄の記事
*11/9の講演レジュメ


<受講生による内容要約>
 大鵬薬品の研究所員北野静雄さんは、内地留学先から研究所に戻った際、発ガン性の危険を持つ薬「ダニロン」が一部データを
隠したまま申請されようとしていることに気付く。悩んだ結果、北野さんは労働組合を結成、製薬企業内部からの問題提起によって発売
を断念させる。
 しかし、80人ほどいた労働組合も、降格・減給・左遷など企業から多くの圧力を受け、7人までに減ってしまった。北野さん自身、暴力
をうけたり係長職を奪われたりといった扱いを受ける。しかし、これらの圧力にも屈することなく活動を続けることが出来たのは、家族を
はじめ、共に運動を続ける同僚、そしてそれを応援してくれる知人、友人がいたからであった。
 「ダニロン」の発売中止運動のほかに、北野さんらは女性用避妊薬「マイルーラ」の安全性の疑いも指摘、同製品の販売中止も平行
して運動することとなる。
 組合差別などに対して起こした裁判の結果、北野さんらが勝利。11年後に会社側も謝罪し、協定を結ぶことにより、一応の解決をみ
た。この勝利は組合側の勝利であると同時に、北野さんらを支えた友人達のおかげでもあった。
(文学部・3回生 矢野 悟)


講演「闘いの中で出会えた"人と言葉"は私の宝」を聞いて… 受講生が選んだベスト意見

工学部・1回生 小倉達朗[kino-doc:412]
 私は9日は出席できず、北野さんの生の声を聞くことはできませんでしたが、テープを通してでも気さくでユーモアあふれる人柄と、
薬害問題に対する熱い思いが伝わってくる気がしました。
 さて今回の授業で一番強く感じたことは、仲間と協力し合い、正しいと思うことを貫き通すことが、ときには社会を変えることもできる
のだということでした。労働組合の運動を続ける中、社内での非人道的な差別や上層部からの圧力という強い向かい風をはねのけ、
最終的に新薬製造に対する新しい制度の確立にいたる姿はまさに「ピンチはチャンス」という理念に基づいているのではないかと思い
ました。
 それと同時にもし私が同じ立場に立たされたとき同じように会社を内部から告発するような活動を積極的に行うことができるのかな
とも考えさせられました。今まで散々、政府や企業を批判するようなことを書きましたが、実際問題内部の人間の立場になって考え
てみるとこれは本当に勇気のいることだと思います。下手をすれば最悪自分の生命にかかわらないことであるとも言い切れないから
です。倫理的正義と自らの身の保障という二律背反を克服し、活動を続けた北野さんら労働組合の人々、そしてそれをサポートした
多くの人々の功績はどんな学者の研究成果よりも偉大であると感じずにはいられませんでした。

(次点)文学部・一回・有村昌子[kino-doc:408]
(今回も票数の同じ人が他に3人いましたが、これまでにどこかで選ばれた人たちですので、ニューフェースを次点としました)

 この話はまるでスパイ映画か何かのようで、聞いていて驚くよううなことばかりだった。いつもの講義では視覚に訴えかけてくる要素
が多かったが、今回は聴覚に訴えるという変わった手法だっただけに、一味も二味も違っていた。ナレーションもなく、本人の肉声だけ
で綴られる内容というのは、作り物ではない生々しさが感じられた。
 すごく大変な闘いをしてこられたのに、運動について語る北野さんの声はとても明るいし、告発することに苦悩したことも正直に話し
ていて親しみがわいてきた。
 最近、内部告発から会社の不正が発覚するというケースが増えていると言われている。でも、不正を発見したところで、発言する人
は一部だと思う。日本はそういう環境がまだ整っていないから、会社から不当な扱いを受けるという不安がそれを妨げてしまう。実際
北野さんの講義を聴き、其れが事実であることも分かった。でも北野さんのような人がいなければ、不条理で悲惨な事件が起こって
いたのだ。また、北野さんを取り巻く様々な人達との出会いがあり、その内の一人でも欠けていたならば、私達のもとに薬害という人
災が降りかかっていたかもしれないと思うと、北野さんの勇気にすごく感謝したくなった。他人事なんかでは無いことだ。



講演「闘いの中で出会えた"人と言葉"は私の宝」を聞いて… 私の選んだベスト4

文学部・3回生 矢野 悟[kino-doc:449]
 11月9日、北野さんの講演会に参加することが出来た。
 薬害を未然に止めたという離れ業(?)を成し遂げたと言うことで、非常にいかつく迫力のあるような人かと思っていたところ、あの場に
いればわかることなのだが、普通のおじさんであった。本当に普通なのである。いささか拍子抜けするほどであった。笑いもたびたび起
こりながら進んでいく話。薬害と言う非常に深刻な問題を扱っているはずなのに、北野さんもニコニコしながら話していた。それほど気
さくな感じの人だったのである。つまり、薬害という問題を止めることが出来るのは神様でも聖人君子でもない。私たちと何も変わらない
普通の人なのだ。
 「やっぱりいけないんじゃない?」というある意味主観的な意見というかごく自然な発想から、薬害を止めるための運動が出来るのでは
ないだろうか。今私たちが教室で行っていること、つまり「客観的な視点」でものを見て、「企業はひどい、国は何をしていたのか、こんな
ことは繰り返されるべきではない」などテレビに出る専門家よろしく一般的な意見をのたまう事がいかに無意味であるかを感じた。そんな
ことはニュースキャスターに任せておけばいいことだ。私たちは、もっと主観的にものを見て、「それはだめだろ」と言える・感じることが
出来ることが大切だと思った。それを感じることができただけでも、講演会に出席してよかったと思う。

工学部・1回生 中村菜美香[kino-doc:457]
 前期の「公害と科学」でも北野さんの話を聞く機会がありました。今回の講演会は「力になってくれた人達、言葉」ということで、
様々な人があげられた。それは井関氏を始め、市大の先生方や、矢野さん、そして木野先生、等々。
 一人だけでは運動は成り立たない。たくさんの人の助力が必要であり、誰一人として欠けては、困難であった北野さん達の勝
利はなかったのである。その北野さんの感謝の気持ちが伝わってきた。
 私達は、とても苦労し、辛い思いをしたのではないかと考えてしまう。しかし、「そんなこともないんですよ」と明るく話す北野さん
はとてもハツラツとしている。とても強い人だと思う。
 あとの交流会も、水俣病の姉をもっていた坂本美代子さんの話を聞くことができ、とても考えさせられましたし、良いものでした。
 私はその交流会で、そんな忙しい日々を送っていたり、とても苦しい思いをしてきた方々に、安らいだ気持ちになってもらいたい
と思い、オーケストラの友達と弦楽器四重奏(カルテット)をしました。あまり、みんなで合わせる機会も少ないままだったのですが、
様々な方の「良かったよ」、「井関氏の30回忌にふさわしく、感動した」という言葉に友達と一緒に「やって良かったね」って言い合っ
た。北野さんは闘いでの支えとなってくれた「言葉」についても話して下さった。合奏をした私達にとってはその場でのその「感動し
たよ」という言葉が、これからのオーケストラでの演奏の支えの一つになるのだと思う。
 出会い、言葉はとても大切なもの。私達は、その中で成長していける。この講演会、交流会は、それを実感できるものでした。

文学部・1回生 三原涼子[kino-doc:422]
 何かに立ち向かっていくのには、相当の苦しみが伴うと思う。まして集団の長としてそれをするならなおさらだ。
 この前にやった水俣病関西訴訟の前団長の日記の入力で、私が担当したところでは夏義さんの団長としての苦しみが切々と
綴られていた。「団長なんてやめたい」という言葉が何度も出てきた。そう思うに至ったすべての理由が書かれていたわけではな
いが、粗い文字からその苦しみが伝わって来るようだった。思うようには進まない事態と次々に持ち上がる問題、いろいろなこと
が肩にのしかかってくる中でそう思ってしまうのは至極当然のことのように感じた。
 今回の北野さんにも同じ苦しみがあったのだと思う。大鵬薬品の組合攻撃は聞くだけでもひどい。それなのに11年間の闘争を
「楽しく戦えた」と言い切る北野さんに私は驚いた。本当に宝物のように出会えた人々のことを語る北野さんの優しい語り口から本
当にそう思っていることが伺えた。自分がきついときに支えてくれた大切な人々。私自身にもそういう人がいて、今でも忘れたこと
はない。そういう人と過ごせたことは本当にかけがえのないことだと思う。少しわかる気がした。
 「支えてくれたのは人との出会いとその言葉だった」と北野さんはいう。だけど、その出会いを生んだのはやはり、北野さんの勇気
ある行動と並々ならぬ努力なのだと思う。(11/14、講演を録音で聞いて)

法学部・1回生 西田美和[kino-doc:435]
 今回のドキュメンタリーは少し感じの違うものでした。それはビデオではないという点がそうさせているのかもしれませんが、なんで
しょう。なにかこの方の声で、この方の言葉を形作っているからか、この方の眼差しが見えるように感じました。優しい、しかし強い目
でまっすぐ見つめられているように感じました。
 北野さんの人生を順番に拝聴いたしました。この時間では語りつくせない言葉であったことでしょう。それを淡々と朗らかに話され
た方を私は初めてみました。それだけ自分のやってきたことに自信があり、プライドを持っているのだと思います。ありきたりな言葉
しか吐けない自分を恥ずかしく思うのですが、単純に「すごい」と思います。「かっこいい」と思います。
 人間が欲望の塊である以上、犯罪は犯されると思います。また自分もその道に入ってしまうかもしれない。しかし、それをとめるの
も「人間」であり、「良心」だと思います。「二度と」、その言葉を忘れてはいけないと思いました。
 このドキュメンタリーの内容とはあまり関係のないものですが、最後に書かせていただくと、自分との出会いを「私の宝」と言っても
らえる事、それこそが宝であると思います。私もそんな人に出会い、そんな人になりたいと思います。私はまだまだ考えること、触れ
合うことが少ないと痛感いたしました。私も背筋を立てて前を見たいと感じました。(11/14、講演を録音で聞いて)



<おまけのひとこと集> 今回は他にもいろいろ感想がありましたので、部分的にピックアップしてみました。

* 水俣病でお姉さんを亡くされた方に実際に会って話を聞いて思った。被害者の方が亡くなっても家族や友人のなかでは
まだ終わっていない問題なのだと。この話をするときが一番つらいと言いながらも涙ながらに話してくださった。「あんなに優
しかった姉の首に手をかけようとした」と自分をいまだに責めておられた。私はその話を聞いていて胸が詰まる思いがした。私
だって同じ状況におかていたら同じことをしていたかもしれない。年月が経ち、問題が風化されつつあっても当事者のなかで
は消えることは決してない記憶なのだ。実際に会って話を聞けて本当によかった。実際に会わなければ自分とは遠い世界の
できごととしか思えなかったかもしれないからだ。
(商学部1回生・石本優子)

* 今回は人の暖かさをとてもよく感じました。ここ数回後味が悪かったけど、北野さんの講演はすごくおもしろかったし、色々
と勉強になります。直に聞けて本当によかったです。
(理学部2回生・山本佳代)

* 北野さんは私達へのメッセージの最後に「こんな人間でも科学者のあり方が問われ、結論を出さなければならないときが
来るんだろう。きっとあなたにも。」と結んでいる。“北野さんの闘い”は特別なものではなく、私達一人一人が経験するかもしれ
ない“闘い”なのだ。そのとき自分がどう行動するか、そのときまで北野さんの思いを、そして北野さんの出会った人たちの中に
生きていた井関さんの思いを、忘れないでおこうと思った。
(文学部2回生・川崎那恵)

* 北野氏の勇気と努力と忍耐は、ヒーロー的ですらある。しかし日常生活の安定のためにヒーローを必要とするのは、不安
定で危険な社会に他ならない。わたしたちは心のどこかでヒーローを待ち望んでいないだろうか? ハリウッド映画とはちがい、
現実にはヒーロー的な人も様々な限界を持つひとりの人間にすぎない。そのようなひとりの人間だけに頼る安全性は脆弱なも
のである。
(理学部2回生・櫻田和也)

* 僕が今回目にした北野さんの姿は、決してヒーローなどではなかった。見た目には「普通の人」だし、講演の後、酒にベロベロ
に酔っている姿を見て笑ったり困惑したりした人は少なくないだろう。でも、やっぱり、凄いのである。およそ普通では出来ないと思
われること、である。
(文学部3回生・奥田 暁)

* 私が特に偉大な方だと思ったのは北野さんの奥さん、北野久美子さんです。夫からそのような話をされて全く引き留める事を
しない彼女は本当に見習わなければならない人だと思います。私なら即引き留めているような気がして、本当に怖いです。
(工学部1回生・長谷川知子)

* 余談ですけど、帰りの電車で「肩に力を入れず、自分にできることをやっていきなさい」とおっしゃった言葉の重かったことと、
求められた握手の強かったことよ。
(文学部1回生・田中和也)


第7回(2002.11.21)NHKスペシャル「狂牛病〜なぜ感染は拡大したか」(NHK総合,01.9.16,50分)
 初めてイギリスで確認されたのが、1987年10月。いったいどんな病気で、どのようにして世界各地に
拡散したのか。人間への感染に対して、どのような手が打たれているのか。 牛の脳や内臓・脊髄など
食肉にならない「くず肉」の部分が、にくこっぷん(肉骨粉)という優れた飼料になるらしい。でも、病気
の牛の「くず肉」まで飼料にするのは、法律で禁止するまでもなく自粛してほしいもの。

<参考文献>
『狂牛病 イギリスにおける歴史』リチャード・W・レーシー著,緑風出版,1998年
『死の病原体プリオン』リチャード・ローズ著,草思社,1998年
『狂牛病と人間』山内一也著,岩波ブックレット,2002年
『「狂牛病」どう立ち向かうか』矢吹俊秀(NHK『狂牛病』取材班)著,NHK出版,2002年
『食のリスクを問い直す―BSEパニックの真実』池田正行著,ちくま新書,2002年


<当日資料>
*「国内初 狂牛病の疑い」2001.9.11.朝日新聞
*「狂牛病対策 英専門家レイ・ブラッドレー博士に聞く」2001.10.17.朝日新聞
*「危険認めず 肉骨粉流入―狂牛病侵入防げた?3回の節目」2001.12.28.朝日新聞
*「焦点 BSE残された課題(上)<食>信頼回復できるか」(抜粋)2002.9.5.朝日新聞


<受講生による内容要約>
 2000年7月、英国の小村・ケニボロー村が突如メディアにクローズアップされた。1986年末の英国での発見以来EU諸国を席巻
していた狂牛病。96年に英国政府は人間への感染の可能性を認めたが、この村での調査によって感染原因が食事によるものであ
ることが指摘され、人々を恐怖のどん底に陥れたのだ。原因物質とされる「異常プリオン」は「肉骨粉」にのって世界中に拡散。潜伏
期間も長く、最終的にどれほどの被害者が出るのか予想もつかない。畜産の工業化の産物である「くず肉リサイクル」のための肉
骨粉と経済的利益優先の政府政策・企業活動は、人間に不治の病という強烈なしっぺ返しをもたらした。
 EUは輸入牛肉に対する狂牛病リスク評価とプリオン検査薬の開発で事態の沈静化を急ぐ。一方でEUのリスク評価をはねつけ、
対岸の火事という姿勢を決め込んでいた日本でも、2001年9月、遂に狂牛病第一例が確認された。過去の教訓から学ぶことの無い
日本行政の無様さを露呈する結果となった。
 イギリス発の狂牛病は世界を巻き込んで「食の安全」を問う。我々一人一人の意識・行動のあり方とは如何に?
(文学部・3回生 山本崇正)


「狂牛病〜なぜ感染は拡大したか」を観て… 受講生が選んだベスト意見

文学部・1回生 西川未和[kino-doc:481](一部誤解がありましたので訂正しました/木野)
 今回は、科学の重要性を感じさせるテーマだったように思われる。狂牛病に関していろいろなことが解明されたから、狂牛病の
危険性を世界に訴えることができた。もっとも政府や飼料販売業者の不十分な対応は否めないが、明らかに前進だった。また、
食肉処理される牛がBSEに感染しているかどうかを特定できる検査方法の発明で、狂牛病に感染した牛の肉が市場に出回るの
を防ぐことができるようになった。
 一方で、人間のエゴというものも感じさせられた。狂牛病に感染した牛の姿というのは、強烈なものがある。あんな姿にさせられ
たうえ、もう用済みとばかりに大量焼却処分される。本当に見るも無残な風景だ。もとはといえば、人間が勝手に混ぜた肉骨粉の
せいで感染させられたのに、治療どころか即処分である。もともと食牛なんだからといえばそれまでだが、それにしてもひどすぎ
はしないだろうか。
 結局、人間は自分たちで生み出した危害を動物に加えて苦しめ、そしてその報いが自分たちに返ってきただけのように思える。
それを科学者たちが解明しようと研究を進めているのだ。
 鶏が先か卵が先か、ではないけれど、狂牛病の感染はまさにそんな感じだった。もとはといえばどうして狂牛病は発生したの
か。やはり、その根源というものを断ち切らなければ、いつまでも現状を改善するのは難しいのではないだろうか。

(次点)工学部・1回生 文仁美[kino-doc:483]
 この狂牛病の問題は、私たちの記憶にも新しく、とても人事ではないなと感じました。去年のあの騒動、忘れられません。誰もが
牛肉を食べることを控えていたと思います。
 そして、そういう問題が大きくなってきたのは、またしても、国の農水省や厚生労働省の危機意識の薄さが原因していると思いま
す。日本は何か起こっても、いつも対応が遅いです。それらの機関がちゃんとしていれば、きっと去年のような騒動はそんな起こら
なかったと思います。
 イギリスでの狂牛病はビデオを見て本当に恐ろしいものだと思いました。去年日本で問題になったとき、私はあまり狂牛病につい
て理解していませんでした。その病気が人間にどんな影響を及ぼすのかなどということは分かっておらず、ただ食べたら駄目だと
しか考えていませんでした。今思うとどうして自分がそんなに無関心だったんだろうって反省しています。きっと、狂牛病が広まっ
たのは、そういった無関心な人たちのせいでもあると思います。そして、常識的に考えて、狂牛病にかかった牛の肉骨粉も作って
いたというのは、本当に驚きでした。当たり前のことが出来ていないのは本当に怖いことだと思います。
 これからはもっと周りのことに目を向け、社会問題について考えていきたいです。そして、そういった不衛生なことが絶対に出来
ないような社会になればな、と思います。


「狂牛病〜なぜ感染は拡大したか」を観て… 私の選んだベスト4

法学部・1回生 奈良慶太[kino-doc:506]
 経済に倫理は通用しないのだろうか。お金のためかもしれないし、自分の作ったものを捨てることが出来なかったのかもしれないが、
そのためにきちんとした牛を育てている農家まで損害を被り、消費者にも大きな害を及ぼした。病気の牛を食べれば、その牛が病気に
なることは簡単に想像できることである。また研究が終わるまで病気の牛を全て管理するのは義務だと思う。特に食べ物という人間に
不可欠なものを扱うのならなおさらだ。また、食べ物が安ければいい、形がよければいいという消費者の姿勢も問題だ。安全性に目を
向ける消費者が増えれば増えるほどこういった生産者が減ると思う。逆に今のように表面的な物にこだわる消費者が増えれば生産者
もそこにこだわるだろう。良かれ悪かれ生産者はニーズにある程度応えるもので、良い消費者が良い生産者を生むのだと思う。

文学部・2回生 川崎那恵[kino-doc:516]
 大阪府羽曳野市向野に南食ミートセンターがある。牛や馬などを解体し、食肉にする“と場”である。ミートセンターの中心に食肉産
業に従事してきた人々が建てた「畜魂碑」がある。牛馬の魂が祀られ供養されている。年に2回の畜魂祭では多くの人が牛や馬の命
を感謝し、この碑の前でその命に手を合わせる。
 狂牛病の発生によって一番の打撃を受けたのは向野の人たちと同じ食肉産業や畜産業に携わる人々だろう。牛を大切に育て、命
をいただくことを誰よりも感謝する人々である。
 人間の都合で引き起こされ拡大した狂牛病。なんの罪もない牛が次々に処分され、若者が病に冒され亡くなる様子をみて、私はと
ても悲しくなった。狂牛病の感染拡大の根本的な原因は、牛の命、人の命の軽視なのではないだろうか。そしてその被害は、命の軽
視からは最もかけ離れたところにいる人々に及ぶ。世の中はすべて力のある者の利害優先で動いてしまうのだろうか。今、私はとて
も不安だ。

学外 林久子[kino-doc:522]
 イギリスにはBSEの原因となったスクレイピーを羊を輸出する形で、世界に広めた過去がある。この時、アイスランド、オーストラリ
ア、ニュージーランドは牧場に一頭でもスクレイピーを発症した羊が出ると、牧場全ての羊を殺すことで国内のスクレイピーを撲滅し
た。*1 イギリスではアイスランドの例を踏まえ、レーシー教授が警告したにも関わらず、思い切った対策は取られなかった。*2 この
防疫の基本を怠ったために、結果的には自国の畜産、さらには国民の健康までも危険にさらすことになった。
 日本でも、防疫の基本が守られたとは言えないと思う。
 BSE問題では、農産物のみならず生きている牛までも、工業製品のように生産されていることを知った。現代はより安く生産するこ
とに価値が置かれているが、このような価値観がBSEを生んだのではないか。発生も感染の拡大も人為的なものだと言える。
----------
*1 『脳とプリオン−狂牛病の分子生物学−』小野寺節,佐伯圭一著,朝倉書店,2001
*2 『狂牛病 イギリスにおける歴史』リチャード・W・レーシー著,緑風出版,1998


文学部・3回生 山本崇正[kino-doc:523]
 今回のドキュメンタリで気になったのは、狂牛病の危険性と人間への感染の危険性が混同されているのではないかということです。
 狂牛病に感染した牛は、人間への食事による感染の危険性がある以上、市場に出すことが出来ません。そのため狂牛病の被害
拡大はそのまま畜産農家や企業への打撃となります。そのような牛に関わる仕事をしている人たちへの被害という意味では、狂牛
病は非常に危険であり重大な問題であると思います。
 しかし人間への感染という危険性を考えると、少し疑問があります。特に日本国内に関して言えば、人間への感染危険性などほと
んどゼロに近いと思います。日本の畜産農家や企業に打撃を与えているのは、狂牛病そのものではなく、様々なレベルで狂牛病を
恐怖している消費者の買い控えなどではないでしょうか。
 今、国が食品衛生管理の為に様々な政策を立案・実施しています。トレーサビリティの確立や食品安全委員会(仮称)の創設など
がそれに当たります。今まで日本では軽視されていた「食の安全」を強化するための取り組みは評価すべきだと思いますが、まずは
消費者が自覚的に食品に対する意識を高め、リスクを判断し、自分の食べ物を「選ぶ」ことが問題解決の唯一の方法ではないかと
思います。
-----------
 参考として、僕が今までにまとめたレポートがありますので、よろしかったら読んでみて下さい。
「牛肉を食べよう! 狂牛病<騒動>の構造分析と消費者の倫理的義務について」,『人間と科学・演習 ゼミ論集(2)』,2001年、大阪市立大学教務部
 http://homepage3.nifty.com/takadon/studies/letseatbeef.html


第8回(2002.11.28)世界・わが心の旅「チェルノブイリ・家族の肖像」(NHK衛星第二,1994.5.15,45分)
 写真家の大石芳野さんが、事故(1986.4.26)4年後に訪問したチェルノブイリの人々を、事故8年後に
再訪した。故郷に住み続けることが出来なくなった人々の心の痛み。「優遇されている」と仲間外れに
されるため、故郷を隠していると語る女性。「ここが故郷だから」と汚染を承知で独りジャガイモを育て、
牛を飼う老人…。

<参考文献>
ベラ・ベルベオーク,ロジェ・ベルベオーク(桜井醇児訳)『チェルノブイリの惨事』緑風出版,1994年
瀬尾 健『チェルノブイリ旅日記』風媒社,1995年
広河隆一『チェルノブイリの真実』講談社,1996年
七沢潔『原子力事故を問う』岩波新書,1996年
http://www-j.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html
 これは京都大学原子炉実験所の原子力安全研究グループ(今中哲二,川野真治,小出裕章,小林圭二)のHPで、原子力に関する貴重な論文やデータが紹介されている。


<当日資料>
今中哲二「30km圏内汚染の最近のデータ」(「チェルノブイリ原発事故による周辺住民の急性放射線障害」『技術と人間』,1997.4.より)
今中哲二「チェルノブイリ原発事故15周年を迎えて」(「原子力資料情報室通信」No.323,2001.4.より)
今中哲二「汚染地域の人々への健康影響」(「チェルノブイリ原発事故によるその後の事故影響」『技術と人間』,1997.5.より)


<受講生による内容要約>
 1986年4月26日、チェルノブイリで原発事故が発生した。この番組は、写真家の大野芳野さんが事故の四年後に訪問した
チェルノブイリの人々を、事故八年後に再訪した時を追ったものである。
 チェルノブイリ原発から30キロ圏内の住民は疎開させられた。彼らのほとんどが被曝による放射線障害に苦しんでいる。子供
の甲状腺のハレはあたりまえ、頭痛、消化器系疾患、循環器系疾患、妊婦の流産、免疫力低下による感染病・・・。「優遇されて
いる」と差別を受けるため、出身を隠している女性にも出会う。
 ブラーギン村では、子供たちが学校で元気に遊んでいた。しかしその土壌も放射能で汚染されていた。校長は、汚染とわかっ
ていても自給自足で食べていくしかない、というやりきれなさを語る。
 今、何人かの人々が汚染された故郷へ戻ってきている。その中で立ち入り禁止区域の村で一人で暮らしている老人と出会う。
彼は汚染された土地だと知っていながらも、「どこにも行く必要はないさ」と笑い飛ばした。
 健康被害、故郷の損失、様々な問題を抱えながらも、彼らはカメラに笑顔で応えていたのが印象的な作品である。
(工学部・1回生 阪上 浩基)


「チェルノブイリ・家族の肖像」を観て…  受講生が選んだベスト意見

経済学部・3回生 稲谷恵理子[kino-doc:547](同じ票数でしたが、私も選抜していたほうをトップとしました)
 放射能汚染は怖い。でもそれ以上に「時間とともに薄れていく恐怖心」が怖い。15年が経過しても放射能レベルは下がらな
い。しかし15年という時間は人々の恐怖心を確実に薄めている。現地の人たちは汚染されたところから他のところに行くこと
ができず、今まで通りそこでできたものを食べ、そこで生活している。そうしている間に放射能はどんどん体内に蓄積される。
人間が壊した自然の代償は大きい。今のままだと、どうしようもない。ただ、「大丈夫大丈夫」と目をつぶって生きていくしかな
い。他国からの支援には限界がある。現地の人たちの力が無ければ、本当の救済は成し得ないだろう。
 話は少しずれるが、私は少し前『買ってはいけない』という本を読んだ。私たちの周りに当たり前のようにある物資が、どんな
に人体に有害であるかを商品名を出して紹介する暴露本だ。自分の身近な問題であり、関心があった。しかしそれから後、す
ぐにその本に対する反論本がでた。続々と生まれては消えていく情報に対して、私を含む一般市民には判断能力に限界があ
り、注意しようにも注意しようがない。どうでも良くなり興味がなくなる。そして私は今、その本に紹介されていた「有害である商
品」を何の抵抗もなく使っている。信じるれるものは目に見えるものだけ。その商品を使って実際自分に害が生じたときに、私
は初めて何が本当だったのかを知ることができる。

(次点)法学部・1回生 田中萌世[kino-doc:576]
 「子供に対する犯罪」という台詞が心に残った。本当にそう思った。
 幼稚園に運ばれてきた汚れていない食料が噂を聞きつけた大人によって奪われてしまった。放射線汚染の濃度が非常に高
いところで、何もしらない子供が大勢遊んでいた。国が放射線濃度を測定する機械を個別に持つことを禁止しているということ
にも強く疑問を感じた。混乱が起こるのを避けるためなのか、それともここも危険だとなって住民が一斉に住居を移動するの
にまたお金がかかるのがいやなのか。またもや命とか、健康とか、そういった何にも代えられない価値を持つものが軽視され
た、と私は感じた。
 特に小さな子には放射線による影響が出やすいとわかっているのに、そこに特に重点の置かれていない現実があった。国の
次世代を担っていくのは子供たちであるということを考えれば、もっと注意深く彼らに安全な環境を提供しようとするはずだと私
は思う。子供という年齢ピラミッドの一番下の部分を粗末に扱うことは、つまりは国のすばらしい未来を手放すことに等しい。


「チェルノブイリ・家族の肖像」を観て… 私の選んだベスト4

法学部・1回生 倉本晴日[kino-doc:583]
 高校生の時、英語のディスカッションの授業で、チェルノブイリの原発事故をテーマに100ページ近いレポートを作成して、英
語でディスカッションをしたことがある。その時チェルノブイリその他の原発事故についてけっこう詳しく調べあげたので、この事
故の悲惨さ、残した爪痕の深さはそれなりに知っているつもりだ。
 この事故から学びとるべきことはたくさんあるが、ここであげたいのは、というかこのドキュメンタリーを見て思ったことは、情報
を制するものは世界を制する、ということだ。原発が事故を起こしたことをもし近隣の都市の人々が知っていれば、そして放射能
の実態と恐ろしさを認知していれば、間違っても屋外で一日中過ごして被爆することはなかっただろうし、もっと早く避難できた人
もいるだろう。(パニック状態が起こることは予想されるが。)
 この世界には莫大な量の情報が存在し、その中から必要なものを選び出し活用することが必要だが、自分ではきちんと把握し
ているつもりでも、本当に必要な情報というものは誰かによって(時には国家ぐるみで)闇へ葬り去られている可能性もあり得るわ
けだ。そう思うと非常に怖い。

法学部・1回生 山田寛子[kino-doc:550]
 今なおひどく汚染され、強制避難区域であるにもかかわらず、戻って来られ、元のように住んでおられる人々がいらっしゃること
を知りました。選挙に行ってきたと、とても楽しそうに笑っていらっしゃったのが印象的でした。あの方々が本当に放射線の怖さを
理解しておられるかどうか、はっきりとは分かりません。私は、しかし、映像を見て、あの老人の方々は覚悟の上なのだろうと思い
ました。もしそうなら、誰にも立ち退かせることは出来ません。私もそれでかまわないと思います。牛と共に独り暮らす老人の言う
ように、「人が生まれた土地に住めないことの方がよっぽどおかしい」のだから。
 このように割り切って考えられるのなら、まだいいと思います。結局一番被害を受けているのは子供達でしょう。いくら故郷が好
きでも、一人で危険地域に戻って住むことは出来ない。老人よりも影響を受けやすく、症状に苦しむ。幼い時から。この先もずっ
と。大石さんの持つ測定器が高い数値を示しているその周りで、無邪気に遊ぶ子供達。自覚も覚悟も無く、いや応なしに放射能を
浴び続けるなど残酷すぎます。
 今、私は部屋で暖房やスタンドなどたくさん電気を使っています。パソコンもそうです。これが原発で作られたものだとしたら、と
思うと、とても怖いことをしている気がします。チェルノブイリ原発だけでなく、私もあの無邪気な子供たちに脅威を与えているような・・・。

文学部・2回生 川崎那恵[kino-doc:555]
 今回のドキュメンタリーを観た後、私の心の中に残ったものは、ふるさとを愛する心と、ふるさとを奪われた悲しみである。“ふる
さと”とは、自分の生まれ育った場所、親しんだ風景、自然、食べ物、大切な人たち、大切なもの…それら全てがつまった特別な
場所であったり、日々の生活を営む場所であったりする。
 登場した人たちにとってのふるさとは、二度と戻れない場所であるか、あるいは死を覚悟して生きていかねばならない場所であっ
た。それでも村に暮らす人々に対して、私たち部外者は「そんな危険な場所なら住まなきゃいいじゃないか」と簡単に言うかもしれ
ない。そして彼らが病気になったら「危険な所に留まるお前が悪いんだ」と言うかもしれない。しかしそれは部外者の論理でしかな
い。村人にとってはたった一つの大切な、愛すべき生活の場であり、そこに暮らすか出て行くかを決定する権利は村人以外に誰
にもない。
 原子炉から30km圏内の村に再び戻って来たおばあちゃん、たった一人で暮らす83歳のおじいちゃんは、自分にとって最も幸福
な選択をした。事故以前と同じ生活を営んでいる彼らが、私にはすべてを受け入れているように見えた。その姿は尊くもあり、悲し
くもある。彼らの姿を通して見えてくるものをもう少しゆっくり考えてみたいと思った。

工学部・1回生 阪上浩基[kino-doc:589]
 チェルノブイリ原発事故は約五百もの村や町を消した。四十万もの人々が故郷を失った。いつもの家、いつもの通り道、いつも
の場所・・・もう戻れない。一体どれほどの悲しみと淋しさが彼らを襲ったのだろう。被爆したことによって徐々に蝕まれて行く自分
の体、子供たちにあらわれる甲状腺異状、ガン、白血病、免疫力低下による感染症、子供を産めなくなった女性・・・一体どれほど
の不安が彼らを襲っているのだろう。
 汚染された土地で暮らさざるを得ない人々もいる。経済的理由などで自給自足の生活が多い。汚染された作物と分かっていても
それを食べなければいけない、食べさせなければいけない。その土地では普通に生きることが罪となるのか。新しい土地に移住す
れば救われるのか。何処へ行っても同じことなのか・・・。そんな問いに一つの答えを出す老人。高濃度に汚染された土地で牛を
飼い、畑を耕して暮らす。「ここは故郷、何処へも行く必要はないさ」と笑い飛ばし、独りで生きている。私は故郷を失う悲しみを思
い知らされたような気がした。
 今、世界では原発を廃止しようとする動きがある。原発は正常に稼働すれば環境負荷は小さいのだが、やはりあまりにもリスク
が大きいようだ。しかし、原子力に代わるエネルギー単価の大きい代替エネルギーが現状では無い以上、原発完全撤廃は難しい
ものと思われる。発展途上国に至っては増加傾向でさえある。今我々にできることは、エネルギーを無駄使いせず、原発への負荷
を減らすことだけだろう。そのためにも、人々の環境への実際的な意識改善が強く求められる。もっとも、それが一番難しいのかも
しれないが。



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