「ドキュメンタリー・環境と生命」2002年度受講生の記録

 ここには、記念すべき総括とレポートを掲載しています(2003年02月09日)
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「ドキュメンタリー・環境と生命」の第一期を終えて(木野)

試行錯誤の連続
 こんな授業をやってみようかなと考え出したのが去年の秋ですし、それでなくとも開講直後の授業は思った通り進むはずもありませんし、とりわけこの科目は受講生参加型を目指しましたので、初めからみんなの反応を見ながら試行錯誤の連続でした。

ドキュメンタリーの選定
 まず悩んだのはドキュメンタリーの選定でしたが、これは山中さんに負うところが大でした。彼女の推薦リストと視聴メモをもとに、まずドキュメンタリーに感心を持ってもらいながら、自分の知らないことの多さを自覚し、さらに観る・知るにとどまらず、ドキュメンタリーを通して考えることを目標に、12本並べてみました。すべての授業が終わった後、もぐりで受講された林さんから「全体の流れとして、それぞれが互いに関連してつながり合っていて、とても良かった」と言っていただきました。自分で言うのもなんですが、私も予想以上に良い選択と順番だったと思います。

意見メールを授業の柱に
 ドキュメンタリーを観た後、意見メールの交換を授業の柱にしたいというのは、最初から考えていましたが、実際どうなるかは予想できませんでした。とくに第1回目の授業の後、80人もの受講希望者が残ったときは、いささかパニックでした。テクニカル・アシスタントのY君とティーチング・アシスタントの山中さん(実は二人ともボランティアですが)の尽力、それに受講生の中からトラブル・コンサルタントを名乗り出てくれた奥田君と櫻田君のサポートのおかげで、メーリング・リストが順調に動き出したときは私も感激しました。

メーリングリストで皆の意見を知る
 意見メールを毎回出すようにした目的はドキュメンタリーをしっかり見ることを自覚してもらうためですが、それをメーリングリストにした目的は他人の意見を知ることです。自分の意見を言いっ放しにせず、他人の意見を知った上でもう一度考えることは、最近の若い人たちが最も苦手とすることのように思います。私はこの科目を始める前から、「公害と科学」や「科学と社会」の授業でも、そのための工夫をしてきたつもりですが、講義がメインの授業だとどうしても先生との対話に偏りがちで、学生同士がみんなで意見交換するのは困難です。

自分で考えることを目標に
 それに対し、今回は教室でドキュメンタリーを観ることが中心で、ディスカッションにも時間をとりたかったので、私の講義をできるだけ少なくしました。そのかわりドキュメンタリーに関連した基礎的な資料をプリント(毎回A4版4頁)にまとめることに力を注ぎ、解説講義はほとんどしませんでした。その結果、自ずと受講生は観た後、プリントで復習してから自分で考えざるを得なくなったと思います。
 ドキュメンタリーで取り上げられた問題に対してどう考えるべきかは、最初の頃は誰しも同じように思うことが多かったでしょうが、次第に何が正解かわからないような問題へと移っていきましたから、結構刺激的だったのではないでしょうか。 途中で、ドキュメンタリーを観る姿勢が画面の向こうの他人事(ひとごと)のようになってはいないかということが気にかかり、急遽、北野さんの講演に振り替えましたが、これに刺激を受けた人は多かったようで、やった甲斐があったと喜んでいます。

来年度は・・・
 意見メールの締切りを翌朝7時にしましたが、アンケートでももう少し余裕がほしいという意見がありましたし、いまは私もそう思います。忘れてしまわない内にというつもりだったのですが、私のプリント以外に何もひも解かずにあっさり感想だけ送る人と、夜遅くまで考えてから送る人に分かれていましたから、来年度は提出を1日遅らそうと思います。ちょうど木曜は学情の休館日と重なることもあることですから。
 ディスカッションについては、人数が多いことや教室の座席が円卓型に移動できないことなど、最初から難しいなとは思いましたが、いろいろ試行錯誤を繰り返しました。アンケートでもディスカッションの満足度だけが今一でしたが、来年は今年の最終回程度のディスカッション(10人発言)がいつもできるようになればと思います。司会はやはり私より山中さんにやってもらった方が言い出しやすかったようですね。
 ともかく第1期の受講生の皆さん、最後までよく頑張ってくれました。この経験を今後に生かしてくれれば幸いです。この授業は来年度も続けますし、ドキュメンタリーの半分くらいは入れ換えるつもりですので、もぐりも歓迎ですよ。またキャンパスで出会ったら、「ドキュメンタリーの**です」と声をかけてくれればうれしいです。



 
授業後のアンケートから
 
 最後の授業(2003.1.23)ではディスカッションの後、大学の授業評価アンケートと私の作った独自アンケートの2種類のアンケートをとりました。それぞれのアンケート結果がまとまりましたので、紹介します。

「ドキュメンタリー・環境と生命」の独自アンケートから

Q1.受講の動機ですが、掲示のシラバスを見てという人(49人)が初回の説明を聞いてという人(21人)の倍以上で、ちょっと意外でした。授業内容については、やはりドキュメンタリーが見れるから(39人)が圧倒的で、ついでインターネットを活用するから(11人)、ディスカッションができるから(6人)でした。他に、私の授業だからということで受講した人が7人もいたのはちょっとうれしい驚きでした。

Q2.授業の難易度を5段階評価で聞きましたが、受ける前の印象が3.51(普通とやや大変の間)に対し、受けた後の感想は4.08(やや大変)と0.57ポイントも上がっていました。

Q3.授業への満足度も5段階評価で聞きましたが、平均値は1.75で、ほぼ満足(2.0)を上回っていましたから、大半の人が満足してくれたようですね。前問によれば授業は思ったより大変だったのに、ほとんどの人が最後まで完走できたのは授業の魅力が勝ったからなんでしょうね。

Q4.授業のどこが良かったのかを内容別に5段階評価してもらいましたが、ドキュメンタリー(4.6)をトップに、プリント(4.2)、メーリングリスト(4.0)までは良かった(4.0)以上の評価を受けましたから、まず合格かと思います。ホームページ(3.8)、投票(3.6)、ディスカッション(3.1)は、良かったから普通の間ですが、否定的な評価が上回らなかったので、一応安心しています。もちろん、ディスカッションをはじめ、来期にはまたいろいろ改善の工夫を重ねたいと思います。

Q5.授業で観たドキュメンタリーのそれぞれについても5段階評価してもらいましたが、大きな差はなく、ほとんどが4.0(良かった)前後でした。最高は北野静雄さんの講演と医師・中村哲で4.4、最低はサリドマイドの3.7でした。


【大学の総合教育科目統一アンケートから

Q5.授業の内容がシラバスと一致していたかという問いですが、「一致していた」が81%で、他の人も「大体一致していた」でした。私のやってる授業の中でもシラバスとの一致度は最も高い科目です。

Q6.この授業のために書籍や文献を何点読みましたかという読書量ですが、平均2.15点で後期の総合教育科目平均値0.87点よりはるかに高く、みんなの学習意欲がよく表れていました。ただ、人による差が大きかったのはちょっと気にかかりました。もっとも、どこまで点数に数えるのか(例えばWeb)、質問自体が不明確でしたが。

Q7.授業の内容量についての問いですが、独自アンケートでは「やや大変だった」が最も多かったのに、こちらは70%の人が「ちょうど良かった」と答えていたのは意外でした。

Q8.授業内容の理解度ですが、「大体理解できた」が53%、「よく理解できた」が36%で、私の目標とほぼ一致していましたので、安心しました。

Q9.この授業が有意義だったかという問いですが、「非常に有意義だった」が62%、「かなり有意義だった」が26%で、独自アンケートの満足度と合わせて、私もやり甲斐があったと満足しています。

Q12.授業に関する感想の自由記述ですが、原文のまま紹介しておきます。

「楽しくてとても有意義な授業だったと思います。」(J1)
「他の授業にはないやり方で行われていたので、新鮮で面白かったです。」(L1)
「大満足。こんな授業がもっと増えれば。」(T1)

「コンピューターを使う講義であったため、キーボードを打つ技術や、メールの送信の仕方、その他コンピューター操作に非常に強くなった。」(J1)
「メールを使って意見を出すというのは、実に斬新で画期的であると思った」(T1)

「受講者が多かったため、MLを読むのが大変だった。似た意見が続くとつらい。」(T1)
「少し人数が多すぎて、メーリングリストを読むのが大変でした。」(J1)

「パソコン持ってない人にとって、その日のうちにメールを出すのは調べる余裕もないし、きつかった」(T1)
「良かったと思います。ただ、次の日までに意見を提出だったので少ししんどかったかな。もう少し提出期間を延ばしてもよかったのでは?と思った。」(S1)

「授業前のディスカッションが少しやりにくかったです。」(L1)
「とにかく大変だった様に思う。たしかに色々なことは知れたが、ディスカッションはあまり魅力は感じない。」(J1)
「やはりディスカッションが成功したとは言えないと思います。みんな発言はしたかったんだと思います。」(T1)
「口頭だと意見はなかなか言えないけれど、MLというものの上で色んな意見が言えたし、聞けたし、楽しかったです。」(L2)

「他の人の意見を知ることで、なるほどと思ったり、あらためて自分の考えを深めたりでき、とてもよかった。」(J1)
「様々な問題について、他の受講生の意見もふまえ、深く考えることができた。」(L2)

「投票で表彰されてチョコをもらったのがうれしかった。」(L1)←よかったね。
「他の人が誰に投票しているかわかるのはよくないと思う。(読んでないのに適当に書く人がいるから)」(J1)←MLの番号で投票しましたから、誰かまですぐにはわからないと思いますよ。適当に書いた人がいたとしても投票結果を左右することはまずありません。



 
成績もつけ終わりました

 1月23日の最終授業の後、教室でレポートを受け取りました。
 レポート課題は最初、山中さんが毎週Webで1本ずつ紹介する中から選ぶこととしていましたが、テレビのない人がいるとわかったので、授業で観たドキュメンタリーでも可としました。
 レポートを出した人は75人で、最後までメーリングリストに残った人は全員出したことになり、これも驚きです。テレビからが58人、授業からが17人でした。課題別にみると、「抗がん剤 早期承認の波紋(1/9NHK教育)」が15人で最も多く、ついで「減災〜阪神大震災の教訓は今(1/17NHK)」が12人、「普及するか、新エネルギー(12/20 NHK教育)」が8人、「揺れる京都議定書(12/19授業)」が6人でした。
 レポート評価のポイントは、どれだけ自分で考えたか、人に読ませる内容になっているか、レポートを書くにあたってどれだけ勉強したか、レポートの書き方ができているか、などです。これらを満たしたものをA、ほとんど満たせていないものをCとし、その中間をBとしましたが、Aが17人、Bが48人、Cが10人という結果でした。
 成績評価にあたっては、Aを85点、Bを80点、Cを75点とし、欠席(5点)、ML未提出(2点)、ML遅刻・未投票(1点)を減点し、投票トップ(5点)、次点(3点)、要約選抜(2点)、私の選抜ML(3点)を加点しました。その結果、総合評価点は80点以上が32人、70〜79点が31人、69点以下が12人で、59点以下になった人も5人いましたが、欠席が最大3回でまあまあのレポートも提出されていることを考慮して、めでたく完走者は全員合格と致しました。



私の選んだレポート6選を紹介します

 A評価のレポート17通の中から、私が選んだレポート6選を本人の了解を得て紹介することにしました。メーリングリストのように皆で選ぶレポートというのは無理ですが、私がどんなレポートを優れたレポートと評価しているかを知ってもらうとともに、レポートの書き方の参考にもなればと思います。


「自閉症から見えてくること」 文学部2回生 祐尾文子
課題対象ドキュメンタリー:芸術祭参加ドラマ「抱きしめたい」(2002.10.26、NHK総合、75分)

1、番組の要旨
 「かわいそうに。未来子はお嫁にいけないねぇ。」なぜならば、弟の道朗が自閉症だから。―プロポーズされた未来子の脳裏に真っ先に浮かんだのは、幼い頃に祖母から言われた言葉だった。道朗が大好きな石原裕次郎の記念館がある小樽に対面の場を移すことで、この弟のことを恋人に切り出そうと考えた未来子は、久しぶりの家族旅行を計画する。小樽までの道中、家族は道朗の成長ぶりを感じて楽しい旅を続ける。そんな矢先、教えられた通りに自動販売機でジュースを買おうとした道朗は他の旅行客にからまれ、極度のパニック状態に陥り、止めようとした両親は逆に突き飛ばされて怪我をしてしまう。しかし、当の道朗は事の重大さを理解していないようで、また両親もまるで何事もなかったかのように平然としている。ショックを受けていた未来子はそんな家族に今までの思いをぶちまける。「ずっと不憫だと言われてきたけど、わたしは可哀想なんかじゃない。」 道朗を中心としてまとまっていた家族に初めて亀裂が入る。父親の思い、母親の思い、姉の思い、そして弟の思い。障害者とその家族がお互いをありのままに受け入れたとき、家族は新しい一歩を踏み出す。

2、自閉症とは
 「自閉症とは、ある子どもたちが誕生か幼児のころに障害をうけ、普通の社会的な関係やコミュニケーションの発達ができない状態を指します。その結果、子どもは人との接触から孤立し、反復的、強迫的な行動と関心の世界に没入してしまいます。」(1)
 これが自閉症の特質を端的に表したものである。つまり自閉症とは、遺伝的要因やウイルスによる感染、あるいは妊娠・出産の際の問題などといった生物学的要因によって脳に障害が起こり、発症するとされているが、現在の時点では要因は特定されていない。症状としては、主に社会的行動障害(自分の両親をはじめとして人に関心を示さない、など)、言語障害(耳に入ったことを何度も繰り返して言う、など)が挙げられる。完治することはほとんどなく、1943年に報告された比較的新しい病気のために有効な治療薬や治療法もまだ確立していない。

3、私の考え
 上述したように、自閉症には他の障害とは全く異なる性質がある。まず、自閉症とはコミュニケーション障害であり、患者にこちら側から歩み寄っていくことは難しい。ある患者が「自分で完全にはコントロールできないこと(つまり他人の意思から起こること)は、わたしにとってはいつも不意打ちのようで、驚かされる。ショックを受けたり、混乱してしまうことさえある。」(2)と述べているが、近づいたことで却ってよくない結果を引き起こしてしまうこともあり、慎重な態度が必要である。特に家族にとっては、いくら働きかけても反応が返ってこないので達成感がなく、自分たちの愛情が全て否定されたかのように打ちのめされてしまう。また、何よりも発生のメカニズムや治療方法など、病気自身がまだはっきりと解明されていない、ということが最も大きいであろう。
 これに対して、どうすればよいのだろうか。
 考えられるのは、「自閉症」についてより多くの人に知ってもらうことである。私も、このレポートを書く前は自閉症とは「引きこもり」のことを指すのだと思っていた。ドラマを見て、本を読んでようやく実際の姿を掴んだのである。私のような誤った認識が患者の家族を苦しめる一因ともなりうる。「子どもが奇妙なふるまいをするのは、親のしつけが悪いからだ。」少なくとも「自閉症は脳の障害によって引き起こされる」という事実が認識されていれば、こんな言葉でつらい思いをすることはなくなる。関連して、家族ぐるみのケアの必要性が挙げられる。自閉症の家族を持つことで、心理的負担が増えることは既に書いたが、パニックを起こした時など家族だけでは対応しきれないような肉体的負担もある。(この様子はドラマにも描かれていた。)患者とともに、心理的・肉体的の二つの側面からその家族を支える制度の充実が求められる。特に育児にかかりっきりになってしまいがちな母親や、患者の幼い兄弟にたいするカウンセリングは重要だ。そして、何もかもいまだ手探りの状態である医療面からの対策が望めないのならば、教育面からの対策を立てるべきである。言語療法、音楽療法は患者の見えない能力を引き出すのにも効果的である。
 これまで、自閉症への対策を客観的に考えてきたが、私自身においてはどうか。その手掛かりとなるのが、やはり「生命環境の週間テレビ予報on the Web」の番組紹介で山中さんが書かれていた「心のバリアフリー」ではないだろうか。バリアフリーという言葉が広く使われるようになって数年がたち、我々の生活のなかにもようやく浸透してきたように感じる。学校や図書館などの公共施設ばかりでなく、スーパーマーケットといったごくごく身近な所にまで車椅子用のスロープや専用トイレを見かけ、健常者の私たちはずいぶん障害者の人々が暮らしやすくなったのではないか、と思いがちである。しかし、もっと大きなバリアは取り払われてはいない。それが「心のバリア」である。私は小さいころから比較的直接障害を持った人々と出会ってきた方だと思う。小中学校ではダウン症の子や足が不自由な子と同じクラスになったことがあり、近所には聴覚障害者の方がおり、通学電車では自閉症と同様の症状を持つ方々がいる。しかし、私の心の底には依然として障害者に対する抵抗のようなものがある。偏見とまではいかないが、どのように接するのかがわからず、なにかしら身構えてしまうのである。
 「心のバリアフリー」とは何だろう。自分の気持ちを自分で見つめなおした結果、私が辿り着いたのが「心にゆとりを持つこと」である。ゆとりがないと、ひとは自分自身のことしか見えなくなる。ゆとりを持つと、自分の身の回りの様子がよく見えるようになる。これは障害者の人々を前にした時に限らず、社会一般の人間関係においても言えることだ。相手のことまで視野に入れて考え、そして行動する、私はまずこの基本的な意識を持たなければならない。さらにこの意識を持つ人が増えて、自閉症をはじめとする障害者が「可哀想」という対象としてではなく、ありのままにすんなりと受け入れられる社会となったときこそ、本当の意味で「バリアフリー」がなされたと言えるのだ。

(1)バロン=コーエン ボルトン『自閉症入門』(久保紘章、古野晋一郎、内山登紀夫・訳)、中央法規、1997年、10ページ。
(2)ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子・訳)、新潮文庫、2000年、169ページ。

《参考文献》
 ・バロン=コーエン ボルトン『自閉症入門』(久保紘章、古野晋一郎、内山登紀夫・訳)、中央法規、1997年。
 ・ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子・訳)、新潮文庫、2000年。




「家族・愛・障害者」文学部2回生 川崎那恵
課題対象ドキュメンタリー:芸術祭参加ドラマ「抱きしめたい」(2002.10.26、NHK総合、75分)

番組の要旨
 主人公の沢田未来子には自閉症の弟、道朗がいる。
 子どもの頃、祖母に「かわいそうに。未来子は一生お嫁に行けないね」と言われた言葉が頭から離れない。以来、未来子はわざと結婚を避けて来た。
 ある日、未来子は長年付き合ってきた恋人、祐治からプロポーズされる。祐治と結婚したいが、弟が障害をもっていることを祐治に言うのが恐い。そこで、未来子は家族を旅行に連れ出すことにした。行き先は道朗の好きな石原裕次郎の記念館のある小樽。祐治を小樽まで呼び出し、旅先で家族に祐治を紹介すると同時に弟のことも打ち明けようとしたのだ。
 途中宿泊した青森の旅館で、道朗がパニックを起こす。未来子は父母と道朗のことで言い争いになり、道朗を責める。電話越しの祐治にもきつくあたってしまう。祐治がやってきてくれるのか不安に思いながらも、未来子は道朗に自分の思いを伝える。

0、はじめに
 この作品はドキュメンタリーではなく、ドラマである。レポートの題材として選んでよかったものか悩んだが、原作の『私はもう逃げない―自閉症の弟から教えられたこと』(講談社、2001年)が筆者・島田律子さんの実体験に基づいているということ、私が経験したことがある場面があったこと、障害を持つ子どものいる家庭の多くが同じような経験をしているだろうと予想したことを理由に選んだ。
 しかし、同時にこのドラマを普遍化して捉えることの危険性を感じた。ドラマゆえにメッセージ性が強く、視聴者に「障害のある子を持つ家族」についての"イメージ"や"幻想"を植え付けてしまったのではないだろうか。

1、愛と絆の物語?
 このドラマは平成14年度文化庁芸術祭で以下のような評価とともに優秀賞をもらっている。
 「自閉症である弟をもつ姉が結婚問題を機に、深刻で厳しい現実と向き合いながら家族と絆を取り戻していく過程が実にさわやかである。弟がこだわりをもつ小樽の裕次郎記念館、そこで結婚を考えている恋人と家族を引き合わせようと家族旅行が始まる。さまざまな葛藤を経て姉は「人より劣っているわけじゃないの。ただ少し違っているだけ。」と弟への愛情を示す。原作者の経験に基づいた作品であり、障害者との共生を目指す現代社会において、多くの提言・示唆を与えてくれるドラマとして感銘深い。」

 また、ドラマの脚本家が番組ホームページで以下のように述べている。
 「(前略)プロデューサーの阿部さんに、原作を渡された時正直、戸惑いの方が大きかった。こんな私が、簡単に脚本を引き受けていいのだろうか。判ったようなふりをして書くことはできるかもしれない。けれど、果たしてキチンと自閉症の方や、ご家族の気持ちに踏み込むことができるのか。そんな不安でいっぱいだった。
 しかし、原作の率直な文章に触れ、実際に島田さんご一家にお会いするうち、次第にその不安は、打ち消されていった。これは、自閉症のドラマではなく、自閉症という障害を持つ"家族の物語"なのだと気づいたからである。島田家の絆は固い。律子さんは「逃げていた」というけれど、子供の頃から弟さんを愛しそれゆえ傷つき、周囲の目や自分自身と必死に戦いながらそれでも彼を一度も、心の中から切り離したことはなかったのではないか?そう感じた時、この物語を書きたいと思った。
 あとは、私自身が、未来子に、道朗に、父に母になり出てきた言葉を素直に列ねてみた。
 ギリギリのところでの、切っても切れない家族の愛情。その普遍性を感じて頂ければ幸いである。」

 私はこれらを読んだとき、このドラマによって「障害者とともに生きる家族の愛と絆の物語」というメッセージが投げかけられていることを思い知り愕然とした。障害をもつ人が同情や保護、愛の対象としてメディアに登場する(させられる)ことが最近よくある。私はああいった類いのものが嫌いである。なぜなら、障害者をはじき出し、差別し、彼らを理解しようとしない健常者中心の社会を省みないまま、健常者が"こうあるべき障害者の姿"を取り上げ、視聴者の感動を誘いたいときだけ都合よく彼らを利用しているにすぎないと感じるからだ。
 実際には、障害者はこの社会が自分たちにとっていかに生きにくいのかを感じているはずだし、障害者をもつ子のいる家庭には、家族の愛や絆だけで乗り越えてゆけない部分があるのではないだろうか。そして、愛や思いやりに裏打ちされたかのような福祉やボランティアにおいても同じようなことが言えるのではないか。社会全体がそのような一見すると"美しいもの"に覆い隠されている真実に目を向けねばならないときが来ているのではないか。

2、家族・愛・障害者
 このドラマもそうだが、愛と結びつけられやすいのが家族である。親が子どもを愛し、子どもも親を愛する。家族の構成員が愛と絆で結ばれている。世間では愛のある家庭が"理想"とされる。愛情で結ばれるべきとされている家族の関係が壊されるようなこと、例えば離婚や別居のようなことがいい印象を持たれないのは、そのような"理想"に反する行為だからだろう。
 同じように多くの人にとって、家族の中に障害をもつ子どもが生まれるということは、"理想"の家族から遠のくことを意味するのかもしれない。愛とは正反対の「障害者=不幸」という偏見や差別、介護の負担といったものが家族全体にふりかかる可能性が大きいからだ。「抱きしめたい」では、自閉症の弟を持つことが「お嫁に行けない」ことにつながる。主人公・未来子はそのことで悩む。ドラマの最後、結局2人が結婚したのかどうかわからないかたちで終わっているが、おそらくストーリーの流れから考えると結婚しているだろう、と予想される。
 「抱きしめたい」のような障害者の登場するドラマを見て、私も含めた多くの人々が少なからず感動するのは、現実はどうなのか、自分自身はどうなのかということからは目をそらしたまま、偏見・差別を乗り越えた家族愛や恋愛をよりいっそう"美しいもの"として感じてしまうからであろう。

3、母と障害者の役割
 家族の中でも、母としての役割を担う女性が障害を持つ子どもの介護にあたることが多い。社会は「母性」ということばを巧みに利用し、子どもを愛し、子どものためなら自分が犠牲になってもよいという役割を果たすことを女性に求めてきたからだ。今も子育てや介護の負担を多くの母親が背負っている。彼女たちが耐えればよいだけなのだ。彼女たちががんばり、誰にも手助けを求めない限り、文句を言われない。この"美しき"母の姿こそが、福祉制度や法律がまだ不十分であることにつながっているとも言える。(だからといって、決して女性の責任だと言うつもりは決してない)つまり、これまで社会が果たす責任を家庭の中の母がすべてこなしてくれた、とも言える。
 一方、障害者は、介護される側、愛を注がれる「受け身」の立場とされてきた。自分ではない誰かが自分のために何かをしてくれるのだから、常に周りに感謝する役割を当然のこととされる。また、○○しない(できない)のが当然だという目で見られ、自分の意志で自分のしたいことができない状況なのではないか。そのような役割期待が社会に強くあるからこそ、周りに感謝しない障害者、自分の意志通りに何でもやってしまう障害者は「障害者のくせに…」という目で見られる。世間の障害者観からはずれた障害者は批判されるのだ。

4、対立と希望
 そのように長年に渡って、母と障害者は自らの意志を尊重されずに、役割を引き受け、"助け合って"きたのだと思う。そしてそのことのひずみ、つまり母と障害者のそれぞれの不満が、1960年代のコロニーでの重度障害者の隔離・収容、1970年代以降頻発した障害者殺しと減刑嘆願につながり、それらに対する反対運動から始まった「青い芝の会」という障害者解放運動である。その後、「青い芝の会」の障害者たちは「そよ風のように街に出よう」というスローガンで積極的に街へ出て、自分たちの問題を多くの人に訴えた。そのような運動の中で、常に障害者運動は母を"敵"とした。というより、"敵"にさせられたのだと思う。
 近年でも、出生前診断をめぐって女性と障害者が対立させられる構造にある。私はこの問題を決して女性と障害者だけの問題にしたくない。障害者の生きにくさは決して女性のせいだけでないからだ。ただ、もしも健常者の男性を含めた社会全体がこの問題について考えることが出来たら、1つの希望が見えてくるように思う。出生前診断や、生殖技術、優生思想に関する議論が活発に交わされることで、障害者問題を愛や思いやりなどの"美しい"ことばで語っていられなくなるだろう。これらの議論に及ぶとき、私たちは、表面的なものや偽りを引っぱがして、人間の本質的な部分に直面せざるを得ないからだ。だから、もしかしたら、今こそ、「障害者問題」を「健常者問題」として、真正面からホンネで向きあえるときなのかもしれない、と私は思うのだ。 

5、さいごに
 さいごに私がこのレポートをまとめるきっかけとなった、「青い芝の会」の行動要綱の一部を記しておきたい。

一、われらは愛と正義を否定する。
 われらは愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。

 私はこの言葉を真剣に受け止めつつ、これからも障害を持つ人々と関わっていきたいと思っている。彼ら、彼女らが真に自由に生きることのできる社会、「障害者」らしさではなく、「私」らしさを全面に出していける社会を求めていきたい。同時にそのような社会は、私自身「内なる優生思想」から解き放たれて、自由に生きることのできる社会なのだ、と信じている。

参考URL:
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/dakishimetai/
http://tristone.co.jp/ricchan/

参考文献:
「障害者でええやんか!変革のとき―新しい自立観・人間観の創造を」大阪人権博物館,2002年
金満里『生きることのはじまり』筑摩書房,1996年
生瀬克己『《障害》にころされた人びと―昭和の新聞報道にみる障害の者(障害者)と家族』1993年,千書房
坂井律子『ルポルタージュ出生前診断』1999年,NHK出版




「チェルノブイリ・家族の肖像」を観て 工学部電気工学科1回生 堤 卓也
授業第8回:世界・わが心の旅「チェルノブイリ・家族の肖像」(1994.5.15、NHK衛星第二、45分)

<要約>
 1986年4月26日深夜。原子力発電事故史上最悪の事件が、現在のウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所で発生した。放射能汚染は発電所を中心に広範囲にわたり、この汚染された地域にいた人々は甚大なる被害を被った。甲状腺ガンや免疫不全、その他種々の疾患・・・。放射能が人体に及ぼす影響をまざまざと映し出す。さらに土壌までもが放射性物質によって汚染され、そこで栽培された作物は無論汚染されてしまった。しかしヨーロッパからの救援物資が完全に行き渡ることもなく、汚染された作物をやむを得ず食べなければならないような状況が続く。さらには、多くの村が事故によって荒廃したが、居住禁止とされているような地区でも故郷を捨てきれないいくらかの人々は戻り、住む。このように原発事故で混沌とされてしまった地域の実態を、写真家の大野芳野氏が事故の8年後に再訪したものを追った番組である。人々との交流のあいだに、原子力の罪が見え隠れする。

<本編>
 チェルノブイリ原発事故は工業高校電気科の時代から常に原子力発電の単元を学ぶたびに触れられてきた。そしてこの事故に対しては実にさまざまな小論文を書いたものである。しかし、この小論文の内容は決まって次のようなものだった。「原子力発電所には5重の壁や格納容器はもちろん、インタロック(誤動作防止装置)やフェイルセイフ(常に危険側への運転を防止し、安全側になるよう制御すること。自動制御装置)などの安全装置、異常検出装置や自動原子力停止装置等の事故波及防止システムが搭載されており、原子力発電所には万全の安全性が確保されている。第一、日本の電力の3割が原子力発電で賄われているのだから原子力発電の存在は仕方がない。」この考えの安全性の部分は間もなく疑問へと変わったが、後続の、第一・・・、以下の部分はほとんど変わらず、全体の意見としてはいわば「中立」の立場を保っていた。おそらくそれは以前に投稿したメーリングリストのメールにもよく表れていると思う。しかし、このレポートに携わり、深く原子力発電の存在の是非について考えているうちに、もはや中立の立場ではなくなった。以下に、チェルノブイ旅日記と原子力安全研究グループHPから得た事故の発生状況をまとめた。
 事故が発生したのは、チェルノブイリ原発4号炉において、第8タービン発電機の慣性回転による所内用電源の実験が行われていたときであった。1986年4月26日午前1時23分40秒、低出力での無理な実験を成功裡に終わらせた運転員は、できるだけ早く原子炉を停止するために緊急停止ボタンAZ-5を押した。その直後、原子炉の出力が急上昇し、爆発的な圧力上昇によって炉心部は大破。その後の爆発によって4号炉の屋根が吹き飛び、あたり一面に降り注いだ灼熱の破片は至る所に火災を引き起こした。この火災を鎮火しようと消火活動に徹した消防士はみんな死んだ。すでに致死量を大幅に上回る放射線を全身に浴び続けたのである。
 放射性物質は風に乗って広範囲に行きわたり、周辺の住民に甚大な被害を与えた。この記述は<要約>に詳しい。
 事故後、この原子炉からの放射線を遮蔽するためにコンクリートで覆う作業が行われた。俗に石棺と呼ばれる建造物である。この建設に徴用された人員は60万人だったが、その内の5万人が被曝による重度放射線障害に陥り、多くの人が死んだ。
 原子力発電は上記の様な事や、VTRで見たような事が起こりうる。確かにこの原子炉は、低出力で冷却水中に気泡が発生すると、熱中性子が多く燃料に達して出力が上昇するという設計上の欠陥を持っていたが、これが日本にある原子炉には欠陥が無いから事故は発生しないという理由になり得るだろうか。事実、日本の原発推進派はこの一点張りだったらしいが、そもそも欠陥とは何か。もんじゅの冷却材であるナトリウム漏洩事故にしろ、原子炉格納容器内のひび割れ事故にせよ、予想できた事なのか。欠陥は必ずしも知り得るものではない。
 また、核安全システムにも疑問が残る。5重の壁が強固だからといって、2節で述べた凄まじい爆発に耐えられるという確証もないし、安全装置にしろ所詮は論理回路を並べた制御装置である。異常電圧保護やその他の誤作動防止が取られているだろうが、いつ異常事態が起こるかわからない。システムが不具合の時もあろうし、内外雷による一部故障もありうる。確かに安全装置が無いよりは、事故に対する安全性は格段に高くなるだろう。しかし当然ながら、「安全性が高い」が直接「危険性が無い」に繋がるはずがない。爆発する可能性は誰も否めないのである。これを裏付ける例として、日本の原発推進派はソ連の原子力発電所を「絶対に事故は起こらない出来だ!」と絶賛していたという話がある。もちろん、チェルノブイリでの事故が発生する前までの話だが。
 もし日本の原発が、システムの不具合や他の因子によって暴走した場合、非常に恐ろしいことになるというデータもある。日本の原発は炉心の出力密度が高く、いったん暴走が始まれば、あっという間に爆発に至るという。人間の制御の時間的余裕は無論、安全装置の作動に要する時間があるかすらも疑わしい。
 以上の様なことから、チェルノブイリ原発事故から教訓を得ろ、と言われても、メーリングリストの意見にもあったように、ある程度限界があるだろう。予想し得ないことなんて、人間が完璧な存在でもない限り山ほどある。
 次に放射性廃棄物の問題がある。メーリングリストには字数がただでさえオーバーしてしまっていたので述べるのは避けたが、これも決して無視できない問題だ。特に高レベル放射性廃棄物は、代表的なものとしてストロンチウム96やセシウム137があるが半減期が30年と決して短くない。回収もれしたプルトニウム239などは24000年。桁が3桁違う。
 現在の技術ではガラス形成成分を混合して溶融し、固化した上で地層処分する方法しか処分法が無い。地層処分とはガラス固化体を更に金属容器に封入し、1000年以上の期間、放射性物質の運び手となる地下水と接触させずに、深さ500〜1000メートルの地層に処分することを言うが、この技術も未だに研究途上なのである。なんとも心細い話だ。しかも2020年には、高レベル放射性廃棄物の本数は4万本に達するといわれているのだから穏やかでない。
 ウラン235の転換比が1以上、つまり、ウラン235が1個消費されて、1個以上のプルトニウム239が生じるように高速中性子によりウラン238をプルトニウム239に変え、燃料可能とした高速増殖炉が実際に運転されている。確かにこれは資源の節減になり、放射性廃棄物を減らすための有効な手段になるかもしれない。しかし、数年前のもんじゅのナトリウム漏洩事故を考えれば、どうだろうか。この事故は大事には至らなかったが、何しろ半減期24000年のプルトニウム239が初めにあったウラン235の量よりも増殖しているのである。もしもの時の危険性は軽水炉型原子炉の比ではないと考えられる。
 以上の見解から原子力発電には反対だ、というのは簡単である。しかし、ここで忘れてはいけないのは「原子力発電のメリット」であって、これを踏まえたうえで反対か賛成かを言わねばならない。若干メーリングリストの内容と重なるが、簡単に述べる。
 例えば、原子力発電は火力発電に対して二酸化炭素や硫黄酸化物、窒素酸化物、煤塵の発生が遥かに少ない。また、プラントの建設費は高額となるが、単位質量あたりの発熱量が大きく、燃料費が石油に比べて安価であり、自然界に残存するウラン235の量が約70年分(反対意見も出ていたが、取りあえず文献の値とする。)と石油よりも多い。
 メーリングリストの意見では、危険性を重視して絶対反対という人と、利点も大きいので使用はやむを得ないという人が両方いた。私もメーリングリスト上では後者の立場をとっていたが、やはりどちらとも決められない。これが今までの私の考えの最終的な到達点であった。しかし、今回はより原発の危険性を垣間見たことで更に考えを先へ進めることができた。答えは反対。明らかにリスクのほうが大きいと確信した。しかし、原子力発電による電力供給を全面ストップすれば、日本の電力の三分の一が無くなるわけだから、日本社会は大混乱に陥ることも事実である。この電力の埋め合わせはどうすればいいか。
 ここである数値に注目してみた。2010年の太陽光発電の導入目標は2000年の40万kwの約11倍にあたる460万kw。その他、各種新エネルギー利用も2010年の導入目標の殆どが2000年の2倍を超えており、本当にこれが実現すれば、現在の燃料消費型中心の発電からの脱却も現実味を帯びてくる。また、水素をエネルギー源として利用する動きが世界各国で見られ、WE-NET(World Energy Network:水素利用国際クリーンエネルギー技術)構想は着々と現実化が迫ろうとしており、燃料電池車もすでに実用化の段階だ。これらの動きは、主に化石燃料消費の削減に煽りを受けたものであるが、これに核燃料消費の削減という動機を加えればどうか。しかも同時に、二酸化炭素排出量の節減を期待することが出来る。
 また、節電ももっと促すべきである。おそらく大衆心理としては、「一人だけやっても意味が無い」ということであろう。(私も昔そう思っていたが、現在では節電には非常にうるさい。)これには、もっと政府や各種機関の働きかけがもう少し必要なのではないかと思う。例えばごみの分別が今では当たり前になっているように。家電リサイクルはまだ当たり前とはなりきれていないようだが、「一人だけやっても意味が無い」という考えを払拭するには義務化してしまうのが(少々情けない話ではあるが)一番合理的で効率も良いように思える。例えば、一年の使用電力量を考慮した各需要家の規定電力量数を定め、これを超過した場合、普段の電力料金よりも高い分を払わせて規制するとか、そういった動きが必要なのではないか。また、以前にエネルギー使用量は工場等の大口需要家の方が多いと言った意見がディスカッション時に出ていたと思うが、これも皆が節約に励むことによって生産量が減り、生産システム稼動数を減らせば目的は達成されることだと思う。
 また、チェルノブイリ原発事故の凄惨さや原子力の恐ろしさがここまで調べないと本当にわからないということにも問題がある。メーリングリストの意見にも「事故に対する恐怖心が薄れるほうが怖い」といった意見があったように、決してチェルノブイリ原発事故を忘れてはならない。これは、一般大衆にも言えることだし、当然電力関係者にも大いに言えることである。というのは、1995年に起こったもんじゅでのナトリウム漏洩事故を例にとって見ると、事故以前に書かれた長期計画では高速増殖炉を「将来の原子力発電の主流にしていくべきもの」としていた。実際に事故が起こり、高速増殖炉の危険性が検討されたはずなのであるが、事故後の長期計画によると、「将来の非化石燃料の主流にしていくべきもの」としか計画が変わっていない。微妙に日本語の言い回しが変わっただけで、「事故はいつでも起こりうる」と言う教訓を本当に生かした計画の見直しとはどうしても考えられない。これにはチェルノブイリ原発事故にも言える事で、旧ソ連のデータ収集の曖昧さや安全管理の問題、原発事故情報の伝達はもちろんのこと、原子力発電の是非についても電力供給の第一線で更に検討されるべきことであるように思う。もしそれがしっかりと行われていれば、原発の建設地問題などはここまで深刻化しないと思うのだが…。もちろん私達需用者に責任がないわけでなく、その責任を更に明白とするためにも、まだこの事故をよく知らない人たちに向けて、原子力発電の恐ろしさをよく理解してもらった上で節電を促す必要があるのではなかろうか。
 現代社会において原子力発電の存在はもはや欠かすことのできない存在になっている。これを今すぐに運転中止とするのはやはり難しい。この点に関しては、正直原発の稼動はやむを得ないものだと思っている。しかし、原発の危険性と、将来の脱原発の可能性を眺めた時、私の中立意見は反対意見に変わった。「脱原発を推し進めていくべきだ。」メーリングリストの意見にもあったように言うのは簡単である。問題は実行すること、そこにある。(原発事故と、脱原発の)可能性がある限り、脱原発を実行する以外に道は無いと思う。電気を志すものとして、常にこの問題を教訓とし、熟慮を重ねた結果、打開策を講じていけるような技術者となりたい。

<参考文献>
 チェルノブイリ旅日記   風媒社   瀬尾健
 ニュースの裏には科学がいっぱい 文藝春秋 中野不二男
 電力技術   実教出版
 図解雑学エネルギー   ナツメ社   佐藤正和・蛭沢重信
 電験2種・電力   オーム社   藤木正治

<参考HP>
 もんじゅHP http://www.jnc.go.jp/zmonju/mj_home.html
 原子力発電環境整備機構HP http://www.numo.or.jp/
 原子力安全研究グループHP http://www-j.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html

<後記>
 字数をかなりオーバーしてしまいました。これでも半分くらい削ったのですが・・・。もっと文章をまとめる技術が必要なようです。かなり反省しています。実は旧ソ連のデータの矛盾や安全管理、果ては原子力発電の機構や構造についてまで述べていたのですが、やはり原子力発電の本質的な部分についてのみ言及したほうが内容も散漫にならずにいいかと思って、思い切って3000字をカットしてしまいました。
 半年間と本当に短い期間でしたが、毎回が新鮮で最高の講義でした。気づけば、「えっ!?もう終わり!?」といった気分です。僕は本当に恥ずかしがり屋なので、ディスカッションには一度しか出られませんでしたが、毎回言いたいことが堆積していました。特にこの題には…。でも、今回のレポートで僕の意見をほとんど全部言うことができて満足しています。木野先生には色々な問題を深く考えさせてくれるきっかけをいただき、本当に感謝しています。半年間、ありがとうございました!!また機会があればどうぞ宜しくお願いします!




「想像力」という鍵 文学部哲学歴史学科倫理学宗教コース3回生 山本崇正
授業第9回:NHKスペシャル「誕生の風景」(2001.3.24、NHK総合、49分)

1.はじめに …僕の問題意識
 後期の授業もこのレポートの提出で終わりということになった。新しくドキュメンタリを見る余裕がなかったため、授業中に見たドキュメンタリの中で、僕自身がまだ議論の余地がありそうなもの、自分の中できちんと整理がついていないものを取り上げようと思った。今までにMLに投稿したものや毎回の資料などを見ながらテーマを考えていて、考えたことがある。「僕はこの授業で何を感じたのか。学んだのか。」
 今回の授業で木野講座を4つ全て受講したことになる。消化し切れていない部分があるにせよ、僕はそれぞれの授業でそれぞれ違ったことを感じ、学んできた。世の中にはすぐに答えの出ない問題がたくさんあるということ。それらの問題の中には社会的にきちんと議論されていないものがあるということ。しかしその問題の中で苦しんでいる人がいるということ。それらの問題について知らなければならないということ。机上の知識だけではなく実際に「感じる」ことが大切だということ。そして自分から「何か」を始めるということ。
 僕が今回の授業で感じたことは何か、学んだことは何か。それはいわゆるメディアリテラシーというようなものだと思う。そしてそれは単にメディアに接するときだけではなく、現実に生じている問題を捉えるときにも非常に大切な役割を果たす。その鍵になっているのが「想像力」ではないだろうか。この言葉によって、メディアリテラシーと現代の先端医療技術と倫理つながってくる。

2.先端医療と倫理の関わり …感覚は技術についていけるか?
 第9回目の授業で見た「誕生の風景」では出産をめぐる三つのケースが取り上げられていたが、特にアメリカで行われている「凍結受精卵の養子縁組」について考えてみる。MLでもこの問題について考察し投稿したが、自分が満足できるほど考えを深めることができなかったからだ。
 凍結受精卵の養子縁組というのは、MLでも書いたとおり僕の感覚を超えたものであった。これを容認するためには先に解決しておかねばならない問題がいくつかある。まず不妊治療がそもそも「医療」であるか否か。次に人工授精という技術自体を認めるか否か。カップルの精子・卵子を用いた人工授精・出産を認めるか否か。他者に精子卵子を提供することを認めるか否か。カップルのうち片方の精子もしくは卵子と他者の精子もしくは卵子を用いた人工授精・出産を認めるか否か。精子卵子ともに他者から提供されたものでの人工授精・出産を認めるか否か。そして最後に人工授精・出産に際して余った受精卵を他人に譲渡することを認めるか否か。「凍結受精卵の養子縁組」を認めるということは、これら全ての問題を「認める」ということである。僕などは最初の問題=不妊治療はそもそも「医療」であるか、を認めることをためらってしまうため、とても「凍結受精卵の養子縁組」まで考えることができない。これが正直なところである。
 明らかなことは、人間の感覚が技術についていけていないということである。僕はMLで「答えの出ない問題かもしれない」と書いたが、もちろん「答えのない問題だ」と主張したかったわけではない。もちろん「人が生命を操作すべきでない」というような考え方もあるが、それが全てだとは思わないし、思えない。人間による生命操作は今に始まったことではない。例えばより美味しいりんごを作るために人はさまざまな交配を繰り返し、今の品種を作り上げてきた。それ自体が良くないことだと主張する人は少ないと思う。植物と動物は違うという意見があるかもしれない。しかし人はより美味しい豚肉を手に入れるために様々に交配を重ねてきた。これ自体を良くないことだと主張する人もまた、少ないと思う。動植物と人間は違うという意見があるかもしれない。そしてそれはかなりのコンセンサスを持って主張される。しかしそれは今の僕らの感覚でそう主張しているだけで、動物に当てはまることが人間にも当てはまるというコンセンサスを持った時代が来るかもしれない。人間の中であっても時代のコンセンサスは移り変わってきた。肌の色で人間を区別することが当然と思われていた時代が確かにあった。女性に権利を与えていない時代も確かにあった。そしてこの二つは今でも根強く残っている考え方でもあり、それによって被害を受けている人が確かに存在する。今では人間の権利だけではなく動物の権利、環境の権利を主張する人もいる。問題にならなかったことが問題にされ、各時代のコンセンサスは移り変わって行く。時代を超えた普遍的な価値観があるという主張があるかもしれない。確かにあるかもしれない。しかしそれを証明することはできない。今までそうだったというだけで「これから先もずっとそうだ」と主張することはできない。それは今まで「たまたま」問題にされてこなかっただけかもしれないのだ。
 しかしこのことは何も判断することができないということを示していない。仮にかなりの部分で「できない」としても、それは「しなくてよい」ということを示していない。各時代において新たな主張がなされ、議論を呼び、少しずつコンセンサスが形成されてきた。わからない、答えられないとしても、現実に問題は目の前にあり、僕たちは判断を重ねていかなければならない。ただ今までと違う点は、技術の発展速度が早すぎて十分に議論する時間がないということだ。感覚は技術ほど早く転換することができない。
 しかしただ「感覚が追いついていないだけだ」という理由で技術の発展を認めることもできない。議論を深めることができないため、一つの言葉としてうまく表現することができないことがある。先端技術のもたらすものに対して、ある種の嫌悪感を抱く瞬間がある。この嫌悪感をただの感情論として切り捨ててよいとは思えない。感覚は十分に論理的であると思う。うまく言葉にならないだけではないだろうか。議論を深めることで、今言葉にならないものに言葉を与えることができると思う。感覚の裏側にあるのはシンプルな価値判断の積み重ねだと思うからだ。僕らは一瞬一瞬の判断において、あまり複雑なことを考えることができない。複雑な理論があると考えると、どんどん感覚から乖離してしまう。もっともシンプルな判断基準である感覚と一致しない理論に妥当性があるとは思えない。
 僕はMLで「自分が(凍結遺伝子の養子縁組を)認めたくない、としか言えない」とも書いた。倫理的判断とは、突き詰めていえばどこで善悪の判断基準の線引きをするか、ということだ。ひとつの価値判断である。価値判断はいくつかのシンプルな価値判断を積み重ねることでなされていく。だから倫理が主観的であり、感覚的なものだと僕は考える。だから感覚的に認めることのできないものに倫理的正当性があるとは思えない。
 しかし感覚的に認められないからといって、今の技術全てを否定することに、僕はためらいを感じる。今の僕には認めることができなくても、いつか認められるときが来るかもしれない。議論が深まることで、許容していくことができるかもしれない。それをしっかり考えなければ、ただ「先端医療という問題がある」「これは難しい問題だ」と主張しているだけになってしまう。認めるにしても認められないにしても、なぜそのように考えるのかをきちんと議論し、言葉を与え、人が共有できる形で根拠付けなければならない。しかし実際に技術を使用して問題をなし崩し的に認めさせるようなやり方はやめなければならない。その点で、今の技術の行き過ぎ―少なくとも感覚が追いついていないという意味での―を一度とめなければならない。その上で議論する必要があるが、実際にないものを問題にするときに一番の鍵となるのが「想像力」である。技術を認めたあとで思いもしなかったところで被害を受ける人がいる、というのはできる限り避けねばならない。最大限に想像力を働かせ、起こりうる事態に備えねばならない。また仮に被害を受ける人と利益を受ける人がいたとして、そのどちらを尊重すべきなのか。多少なりとも被害を受ける人がいるからという理由でその技術を認めないという決定を下してよいのかという問題がある。裏を返せば多数の人が利益を受けることができるという理由で少数の被害者を切り捨ててよいのかという問題でもある。人の利益・不利益は数字に換算することができない場合も多い。大切なのは、月並みではあるが「人の気持ちになって考える」ということだ。そしてそれを可能にするのが「想像力」である。
 現代の倫理的な問題、特に先端技術にまつわる倫理的問題においては、感覚が技術についていけていない。ゆっくりと議論を深める時間がないのが現実なのだ。僕たちは今まで以上に想像力を研ぎ澄ます必要がある。

3.終わりに …今思うこと、授業の感想、そして結論
 以上、長々と述べてきた。そこから引き出した結論も月並みなことだったかもしれない。先端医療をテーマとする以上、それにまつわる様々な問題を検討することもできたし、そのほうがまとまりが良かったかもしれない。しかしあえてこのように書いたのには理由がある。
 今回はドキュメンタリを用いての授業だった。ドキュメンタリはいわゆるマスメディアである。かなり広範囲の人々に情報を伝えることができる。しかしTVというメディアの特性上、情報伝達が一方的になってしまうという欠点もある。最近ではTV番組=ドキュメンタリとインターネットをリンクさせて相互に情報のやり取りができるようになってきている。ハイビジョンデジタル放送が一般化すれば、その相互作用性もより高まってくるだろう。しかしそれによって情報を相互にやり取りしようという人はどれほどいるだろうか。意識の高い人はインターネット普及前もTV局へ何らかの方法で(電話・手紙・FAX…)アクセスしていただろうし、そうでない人はどれほどインフラが整ってきてもアクセスしないだろう。
 大部分の人はドキュメンタリで流される映像を受け取ることで満足してしまうのではないだろうか。ドキュメンタリもTV番組である以上、「伝える内容」「伝えない内容」を編集してから放送される。しかし現実の問題はせいぜい一時間ほどの時間で伝えきれるほど単純ではない。よくできたドキュメンタリであれば伝え切れなかった内容があるということを視聴者に訴えかけながら終わるかもしれない。それによって視聴者も「もっと知りたい・知らなければならない」と感じるかもしれない。なぜ視聴者はそのように感じるのか。それは視聴者の「想像力」に訴えるからではないか、と僕は思う。
 第12回「長き戦いの地で〜医師・中村哲」のドキュメンタリ感想をMLに投稿したとき、僕は始めて想像力ということについて考えた。あのドキュメンタリのMLにそのように書いたのは、2002.12.31にNHKでジョン・レノンの「IMAGINE」を取り上げた番組を見ていたからだと思う。それまで人を思いやる気持ち、想像力の大切さ、というとなんだか月並みすぎて説得力を持たないような気がしていた。しかし今ほど一人一人の想像力が必要な時代はないと思う。マスメディアから与えられる情報量はすでに一人の人間が処理できる限界を超えている。次々に生じる問題もまた、ゆっくり考える時間を与えてはくれない。圧倒的な量の前に、人は想像力を停止させなければまともに生活できないのではないかと思えるほどだ。
 もちろん全ての問題を一人で考えることは不可能だ。しかしそれは何も考えなくてもよいことを意味しない。限界はあるにせよ、考えていかねばならない問題がある。それは人それぞれでよいと思うが、その際に必要な想像力がだんだんと磨耗しているように感じる。少なくとも、僕自身は。「難民を出す前に手を打たねばならない」という中村医師の言葉は衝撃だった。考えてみれば当たり前のことであるが、僕の想像力はそこまでたどり着けなかったのだ。
 想像力を研ぎ澄まさねばならない。これは自戒を込めた僕自身への結論でもある。これをもって、後期の授業、そして四期にわたる木野講座の締めくくりにしようと思う。




「出生前診断をめぐる問題」 文学部言語情報コース3回生 矢野 悟
授業第10回:ETV特集「生命誕生の現場が問うもの」(1998.12.24、NHK教育、45分)

1.出生前診断の目的
 出生前診断は、妊娠中に胎児に対して何らかの診断をする場合を総称するものである。
狭い意味では先天異常を見つけるためのものとして用いられる。
 出生前診断には、主に3つの目的がある。
@胎児期に治療を行う
A分娩方法を決め、出生後のケアの準備をする
B妊娠を継続するか否かに関する情報をカップルに提供する

 @の胎児治療に関しては、限られた場合を除いてほとんど行われていない。Aの場合、出生前に特定の疾患の有無を診断することで、出産時に適切な医者が待機し、出産直後にすぐ手術に移れるなどといったメリットがある。Bの場合は@やAとは異なり、診断から治療へつなげるという目的にそったものではない。胎児が何らかの疾患にかかっている、あるいは障害を持つ可能性が高いということをカップルに伝えた場合、出産を諦め、人工妊娠中絶が行われることが多いのである。

2.検査方法の種類
 出生前診断の方法としては、超音波検査(エコー検査)・トリプルマーカー検査・羊水検査・絨毛検査などがあげられる。超音波検査は出生前診断に関わらず、妊娠初期から出産直前まで用いられる検査であり、特別な検査方法ではないといえる。トリプルマーカー検査は、母体から採血した成分を用いて分析を行い、それによって胎児の様子を診断する検査である。検査結果は確率で表され、296分の1以上だと陽性となる。羊水検査や絨毛検査は、実際に羊水や絨毛を取り出して、DNAを分析して胎児の状態を診断するものである。
 このほかにもさまざまな検査方法がある。ここであげたトリプルマーカー検査や羊水検査・絨毛検査などは、その検査の影響によって流産する可能性もあり、必ずしも安全な検査方法であるとはいえない。

3.出生前診断の問題点
 出生前診断を考える際にもっとも問題となるのは、倫理的問題である。出生前診断を行い、その結果次第で人口妊娠中絶を行うとすれば、それは生まれてくる子を選ぶということになる。障害を持つ可能性のある胎児の排除、ひいてはそれが現在生きている障害者に対しての差別・排除につながる可能性もある。出生前診断によって生まれてくる障害者の数を減らすという考え方が、「障害を持っているものは社会にとって必要ないもの」というように、障害者の生活をおびやかす危険性もあるのである。
 さらに、診断を行うかどうかの選択は、妊婦・あるいはカップルの自己決定によって決められるべきである。しかし、その決定を行うために必要な情報が十分医師側から伝えられていないことが多い。そのため、何の疑問も持たずに受けたりする場合がある。医師に言われ、やるのが当然と思って深く考えずに診断を受けるのである。このような状態で診断を受け、生まれてくる子は障害を持つ可能性があると医師から告げられた場合、カップルは本当の意味での自己決定もままならないまま産むか中絶するかの選択を迫られることになる。さらにいえば、集められたデータを処理し、分析・診断を行うのは企業であるといえる。医師は、企業から送られてきたデータを元に、本人に結果を伝えるのである。言い換えれば、医師は患者と企業の間の橋渡しでしかないということである。これでは医療とは言い難い。まして企業が自社の利益のために出生前診断というものを利用し、「しなければならない」「すれば安心である」という意識をカップルに植え付けているということも考えられる。
 また、現在の日本では妊娠21週までしか中絶は認められていない。そのため出生前診断を行う時期にもよるが、その結果を踏まえた上で中絶するかどうかを考える時、カップルに与えられた時間はせいぜい1,2週間ということになる。診断を受けたカップルは、結果を知るまでは産むつもりでいたはずである。それが結果を知る事で、中絶するという道も考えなければならなくなる。わずかな時間で、重要な選択をしなければならないのである。先にも述べたように、カップルが自分達の意思で決めるための情報は非常に少ない。このような状態では、納得のいく選択が出来るとはいえない。

4.出生前診断の抱える問題を踏まえての意見
 まず医師側の意識が重要であると考えられる。カップルに出生前診断についての正しい意味を教えること、検査の種類・方法〜先天異常の可能性に至るまで、カップルの自己決定に必要なできるだけ多くの情報を伝えなければならない。カップルにとってのインフォームドコンセントを重視するためである。しかし、「あなたの子供は障害を持って生まれてくるかもしれません。産みますか、中絶しますか」といったことを伝えるだけでは、カップルにとっては何の情報も与えられていないのと同じことである。あくまで障害があるかもしれないという可能性を述べているだけであるからだ。医学的側面からだけの情報を与えるだけでは不十分である。カップルが本当に自分達で考えることが出来るよう、注意を払わなければならない。もちろんそれは企業も同じことである。間違っても出生前診断が金儲けの道具に用いられるようなことになってはならない。カップルの自己決定を操作するような情報を流してはならないと考えられる。
 受ける側も、出生前診断に関する正しい認識を身に付ける必要がある。出生前診断を受けるということは、ある意味では人工妊娠中絶を行うかどうかを迫る可能性があるということである。決して気楽に受けるような診断ではないということ、診断を受けるかどうかも良く考える必要がある。診断の結果がどのようなものであっても、自分達で納得できる方法を決定しなければならない。障害児が生まれる可能性があると言われた時、どのように対応するかをあらかじめ決めておく必要があるともいえる。
 また、診断の種類や方法、病気・先天異常などについて十分納得できるまで医師に相談しなければならない。生まれてはいないものの、命に関わる問題である。十分説明を受けた上で、考える必要がある。医師から十分な情報が得られない場合は、病院を変えるなどしてセカンド・オピニオンを求めるのも一つの方法である。
 社会全体としては、障害ということにもう一度目を向けなければならない。出生前診断によって生まれてくる障害者の数を減らそうというのであれば、それは障害者への差別そのものである。経済的観点からみて障害者が負担になるという考え方には賛成できない。「バリアフリー」ということがしきりに叫ばれている今、出生前診断という問題が現に生活している障害者の人達をおびやかし、圧迫することがないようにしなければならない。

 半期に渡って講義を受けてきた中で、自分がもっとも興味を持ち、なおかつ人の意見を聞き、もっと詳しく調べたいと思ったため、このテーマをレポート課題に選んだ。
 講義中もメールを送った時も感じたが、この問題に解決方法を見出すことは難しい。メーリングリストにも目を通したが、人それぞれで感じ方が違っていたと思う。深く考えず簡単に「出生前診断はいけません」と言ってしまったのでは、一面的な考えしかできていない薄っぺらい意見であるとしか言いようがない。
 出生前診断は生まれてくる子を選ぶことになる、ということを否定はできない。命はみな平等、障害があっても生まれてくる権利はあるはずだ。それは間違いないと思う。「障害を持っていたのでは生まれてくる子もかわいそう」などというのは、親側の勝手な意見だ。障害を持って生まれてくる子を愛し、育てられる自信があれば問題はないだろう。しかし、そうではなかったらどうなるか。「こんなはずではなかった、この子なんか産まなければよかった」、親にそう思われてしまう子供は、生まれてきても不幸になってしまう。育てられる自信がない、そういって中絶を選ぶ人に対して、その行動を非難することは自分にはできない。
 最終的にはそれぞれの判断である。ただ、安易な気持ちで診断を受けるというのは賛成できない。医師から十分な説明を受け、納得した上で結論を出すべきだと思う。そして診断を受けるという結論に至ったのなら、それは他者が横から口出しするべきではない。他者があまりに口出しすると、当事者が影響を受け、他者の意見で決めてしまったと後に後悔することになるかもしれないからである。自分達で出した結論ならば、どういった結果になったとしても後悔は少なくてすむのではないか。
 診断を受け、もし障害を持った子供が生まれる可能性があると聞けば、当事者は悩みに悩むと思う。悩みぬいて出した結論、産むか産まないかに対して、私たちはどうこう言うのではなく、受け入れることが大切なのではないかと考えた。出生前診断がよいか悪いかではなく、それを利用する人が納得し、自分達なりの結論を出したのなら、それは最大限尊重されなければならない。それが現在のところ、最終的な私の意見である。

5.この講義を通して
 「ドキュメンタリー・環境と生命」という講義は、今までにないタイプの講義であった。もちろんこれまでにも環境問題を扱った講義は多々あったと思う。しかし、どうしても一方的な講義形式がほとんどであり、「講義を受けて、はいおしまい」という感じがぬぐえなかった。本人の関わろうとする意欲自体に問題があるのかもしれないが。今回のような形式の講義では、なかば強制的に自分の意見をあらわすことが要求される。また、メーリングリストというシステムを使うことで、同じ学生の意見を聞くことができるという点で、大変有意義であったと思う。人の意見を聞くことは何より大切だ。それを見て、自分の中でもう一度問題について考えることができる。考えっぱなしで終わるよりも、ずっと頭に残る。他人の意見を読んで、「この人はすごいなぁ、ここまで考えてるんや」とか、極端な話「ふざけんなよ、納得できるか」などと感じることもあった。人の意見を聞き、発言することで、講義の内容が自分のものになっていくようで、非常に楽しかった。学生は、多分先生方が考えておられるよりずっと色々なことを考えているのだと思う。「最近の学生は」といった声もよく聞く。黙っていたら、恥ずかしがっていてはいけない、そういう意見ももっともである。しかし、それだけにこだわっていたのでは学生の意見を拾い上げることはできない。メールという媒体を通し、学生の意見を拾い上げ、公表してくれた木野先生の講義形式には感謝している。

参考文献
『出生前診断 いのちの品質管理への警鐘』 佐藤 孝道 著  1999年 有斐閣
『ア・ブ・ナ・イ生殖革命』  グループ・女の人権と性 著  1989年 有斐閣

参考HP
・「出生前診断のページ」http://www.asahi-net.or.jp/~wc4n-szk/syuseizen.htm
・「出生前診断」http://rg4.rg.med.kyoto-u.ac.jp/triangle/database/shusshouzensindan.html
・「出生前診断をめぐって」http://plaza10.mbn.or.jp/~fujisawa_church/shiryo/shusseimae.htm




「アフガニスタンを知るということ」 経済学部3回生 影本 菜穂子
授業第12回:「長き戦いの地で〜医師・中村哲」(2003.1.9、NHK教育、60分)

 今までのドキュメンタリーや中村医師の話を聞いて思ったこと。それは共感することの重要性だった。もちろん現地に入らないと共感することもできない。それは結構難しいことでみんながみんな共感することができるわけではない。そこで私が考えたこと、そして私の未来に目指すことをこのレポートで書きたいと思う。
 「一人の死は悲劇であるが100万人の死は統計に過ぎない」。これはアフガニスタンについての本に載せてあったレーニンの言葉である。悲劇を捉えるのは感情でとらえる。それに比べて統計でみるのは客観的にとらえることができる。どっちが重要なんだろうか?いくつかの統計上の数字を挙げてみようと思う。
 統計上はアフガニスタンでは一時間に少なくとも12人の人々が死ぬ。アフガニスタンの人口はここ20年間学術的な統計がまったく取られていない。しかし概算的なものではあるが1992年のアフガニスタンの人口は2000万人だった。それが2001年までに約250万人が殺され、あるいは死んでいった。死亡率が10%の社会だ。
 アフガン社会では2000年からの過去20年間に約650万人の難民を出した。これは国民の30%が母国を捨て去ったことを意味する。一時間に60人がアフガニスタンから他の国へ難民となっていく。
 国連2000年の報告では90年代後半、世界中で約一億八千万人(15歳以上の人口の4.2%)が麻薬を消費しているそうだ。そして世界のヘロインの80%がアフガニスタンで生産され、不法アヘンなどを含めて世界のあらゆる種類の麻薬の50%以上がアフガニスタン製だという。しかし麻薬の半分以上を生産しているのに、その800分の1の利益しか受けていない。そしてそれが国際社会から受け取る唯一の利益である。
 「悲しい」とか「ひどい」とかそんな言葉を使わなくても、アフガニスタンの現状に驚いてしまう数字だ。数字は時には言葉以上に実情を表す。
 アフガニスタンにおける悲劇はこのような数字が世界に発信できてないところにあるのではないだろうか?バーミヤンの仏像が破壊されたときには世界中でニュースとして取り上げられた。「世界最大の仏像の破壊」として文化人、芸術家をはじめ大きな反響があった。「仏像を守れ」と。しかしその裏で餓死しかけている100万人の人に世界の目が向けられることはなかった。なぜなのだろうか?それは今日ではアフガニスタンではアヘンの製造のほかに国際社会で肯定的な役割を何一つ担っていないからともいわれる。投資する甲斐があるわけでもなく、むしろ投資するのにはあまりにも危険な国なのだ。
 世界の利害関係の枠の外にあるアフガニスタン。その国の死が迫りつつある100万人の命はどのように救うことができるのだろうか?
 私はそこでリアリティーを持って世界中の人に訴えかけることが非常に重要だと思う。統計上の死者の数、難民の数は確かに驚くものだ。しかし、実感がわかない。そこがこのレポートを書くにいたったポイントである。
 村上春樹は地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを載せた『アンダーグラウンド』で次のように書いている。(職業作家だからかもしれないが)「私は『総合的な概念的な』情報というものにはそれほど興味がもてない。一人ひとりの人間の具体的な―交換不可能(困難)な―あり方にしか興味がもてないのだ」。加害者のオウムの一人一人がマスコミによって細部まで取り上げられているのに対し、被害者は「善良な市民」という枠にはめられ「そこには人が耳を傾けたくなるような物語が提供されることは極めてまれだ」。だから被害者の人格を浮き彫りにしていく。
 私はこの本を読んで常に寒気を感じた。そこにいる被害者はたとえば私と同じように朝が苦手だったり、恋人や家族がいたり、好きな食べ物があったりしたのだ。そしてその被害者は自分だったとしてもおかしくなかったのだ。
 または高木徹のボスニア戦争に情報操作がいかに大きな力を持っていたのかを描いた、「戦争広告代理店」。アフガニスタンを同じように、なんのとりえもない小国ボスニアをセルビアの攻撃から救うために、あらゆる心理戦が展開され、世論を動かしていく。「民族浄化」というキャッチフレーズを使用しだしたとたん、今まで無反応だった世界が急にバルカン半島に注目するようになる。あのナチスの思い出がまざまざとよみがえったのだ。他人事だったボスニアという小さな国に大きな同情が寄せられるようになる。
 授業のメーリングリストで「当事者の身になって考える」、この言葉がよく飛び交っていた。なかなか難しいことだと思う。とくにアフガニスタンの100万人の餓死寸前の人々に思いをはせることは。そこに私と同じようにいろんなことを考えて生きている人がいるのだ。そう考えさせられるような報道がされたら世界の目も変わるのではないかと思う。現地で活動をしている人の話はその点で非常に重要だと思うし、次期の活動者を育てることにもなると思う。
 しかし先ほどの戦争広告代理店の例で出したように、間違った情報や意図された情報に感傷的におどらされてはいけない。湾岸戦争開戦のきっかけとなったクウェート大使の娘のうその芝居のように。そのためには客観的な数字は本当に大切なことだと思う。(この数字を手に入れるのはとても難しいことかもしれないけど)。そして私はその数字を掘り下げていけるような人になりたい。つまり実際に現地に足を運んで一人ひとりの人間に触れ合える人になりたい。人間一人ひとりの尊さを、唯一性を求めていきたいのだ。

参考図書
村上春樹、『アンダーグラウンド』、講談社文庫、1999
高木徹、『戦争広告代理店』、講談社、2002
モフセン・マフアルバフ、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』、現代企画室、2001



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