関 礼子のお部屋 

~2011年6月10日(金)更新~

専攻:環境社会学,地域環境論
所属:立教大学社会学部現代文化学科

→ 2004年3月末までは帯広畜産大学社会学研究室でした♪

                              




新着情報


【著書】

ナキウサギが変えた自然保護運動(小島望と共著、1999年『技術と人間』発表論文に加筆して転載)
 2004年、『報告 日本における[自然の権利]運動 第2集』山洋社。

半栽培の「物語」-野生と栽培の「あいだ」にある防風林
 2009年、宮内泰介編『半栽培の環境社会学―これからの人と自然』昭和堂。

環境の社会学
 2009年、関礼子・中澤秀雄・丸山康司・田中求、有斐閣。


【論文・報告書】

自然環境保全からみた漁村の多面的機能
 2009年、地域漁業学会『地域漁業研究』49巻3号。

海を名づけること―微小地名にみる沿岸資源の利用と野生生物との「共生」
 2011年、松本博之編『海洋環境保全の人類学』(国立民族学博物館調査報告№97別冊)。


【翻訳・その他】

「薬害ヤコブ病」「サリドマイド」「織田が浜」「『自然の権利』訴訟」の4項目(年表)
 2007年、法政大学社会学部舩橋晴俊研究室『環境総合年表(1976-2005)準備年表1,2』。

つながり、かかわる環境運動(小論)
 
2009年、高校生のための社会学編集委員会『高校生のための社会学-未知なる日常への冒険』。

環境、その身体性と地域性のリアリティ―「環境の社会学」に寄せて
 2010年、『書斎の窓』№594。

「被害構造論」の項目(事典)
 2010年、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善。

「織田が浜」「『自然の権利』訴訟」「サリドマイド」「薬害ヤコブ病」の4項目(年表)
 2010年、『環境総合年表―日本と世界』すいれん舎。

感性を磨くツアー
 2010年、『感性哲学』10。

感性を羅針盤にして-いま、ここから見いだしていく希望
 2010年、『感性工学』10-1。


【書評】

環境社会学(舩橋晴俊編)
 2011年、『図書新聞』No.3015(5月18日号)。



お知らせ:絵本『阿賀のお地蔵様』(2006年,考古堂書店)ができました♪


お知らせ:ビデオ「阿賀野川 昔も今も宝もん」(カラー28分・2002年製作)

→ 新潟水俣病・小学校の公害学習用のビデオができました!
3、000(送料別途)で頒布中!!

問い合わせ:阿賀の会事務局(090-3649-8945 旗野)

患者の会、それを支援してきた『阿賀に生きる基金』 いずれも財政的ピンチにあります。
上記お買いあげも含め、お力添えのほど宜しくお願い申しあげます、とのことです。(関)

***関 礼子 こんなことをやってます***

【学位論文】

環境についての社会学的考察-環境問題とは何か-、
 
1993年3月 東京都立大学 修士論文

新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域-被害の社会性と日常性-、
 
2001年2月 東京都立大学 博士論文


【著 書】

江戸時代の副業としての製糸業、
 
1992年、河村望編『日本資本主義と民間神道』多賀出版。

水俣病とニセ患者差別-未認定患者への差別と認定制度の介在-、
 
1999年、飯島伸子・舩橋晴俊編『新潟水俣病問題-加害と被害の社会学-』東信堂。

どんな自然を守るのか-山と海との自然保護-、
 1999年、鬼頭秀一編『環境の豊かさを求めて-理念と運動-』昭和堂。

この海をなぜ守るか-織田が浜運動を支えた人々-、
 1999年、鬼頭秀一編『環境の豊かさを求めて-理念と運動-』昭和堂。

自然保護の行為と価値-織田が浜運動を支えた「故郷」という関係性-、
 1999年、社会運動論研究会編『社会運動研究の新動向』成文堂。

共生を模索する環境ボランティア-襟裳岬の自然に生きる地域住民-、
 2000年、鳥越皓之編『環境ボランティア・NPOの社会学(シリーズ環境社会学1)』新曜社。


環境権の思想と運動-〈抵抗する環境権〉から〈参加と自治の環境権〉へ-、

 2001年、長谷川公一編『環境運動と政策のダイナミズム (講座環境社会学4)』有斐閣。

汚染・環境問題、
 2002年、岩上真珠・川崎賢一・藤村正之・要田洋江編『ソーシャルワーカーのための社会学(社会福祉基礎シリーズ13)』有斐閣。


地域開発にともなう「物語」の生成と「不安」のコミュニケーション-海中道路と石油基地の島・平安座から-、
 2002年、松井健編『開発と環境の文化学』榕樹書林。

『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』
 
2003年、関礼子、東信堂

開発の海に集散する人びと-平安座における漁業の位相とマイナー・サブシステンスの展開-
 
2004年、松井健編『沖縄列島(島の生活世界と開発3)』東京大学出版会

開発による伝統の再編と民俗行事の力学-共同性とアイデンティティをめぐるポリティクス-
 
2004年、松井健編『沖縄列島(島の生活世界と開発3)』東京大学出版会

ナキウサギが変えた自然保護運動(小島望と共著、1999年『技術と人間』発表論文に加筆して転載)
 2004年、『報告 日本における[自然の権利]運動 第2集』山洋社。

共同性を喚起する力――自然保護の正当性と公共性の創出
 
2006年、宮内泰介編『コモンズをささえるしくみ――レジティマシーの環境社会学』新曜社。

新潟水俣病の教訓化をめぐる動きと残された課題(補論1)
 
2006年、飯島伸子・舩橋晴俊編『新版 新潟水俣病問題』東信堂。

自然をめぐる合意の設計、
 
2007年、松永澄夫編『環境-設計の思想』東信堂。

半栽培の「物語」-野生と栽培の「あいだ」にある防風林
 2009年、宮内泰介編『半栽培の環境社会学―これからの人と自然』昭和堂。

環境の社会学
 2009年、関礼子・中澤秀雄・丸山康司・田中求、有斐閣。



【論文・報告書】

コミュニケーションと環境、

 1993年、『社会学論考』14号。

漁獲、食用規制とその問題-行政指導の機能不全の発生理由、およびその影響について-、
 1993年、東京都立大学飯島伸子研究室・法政大学舩橋晴俊研究室『新潟水俣病未未認定患者の生活と被害ー社会学的調査報告ー』。

新潟水俣病における地域の社会的被害-重層的差別の生成およびその要因としての制度・基準の媒介-、
 1994年、『年報社会学論集』7巻。

現代社会批判としてのエコロジー-1970年代フランスの反自然主義、反環境主義的エコロジー-、
 1994年、『社会学論考』15号。

フランスにおけるエコロジーの軌跡-政治、経済によるエコロジー包摂の過程-、
 1994年12月、『 Sociology Today』5号。

韓国経済と蔚山・温山工業団地の公害環境問題-日本との関係を中心に-、
 1995年、『アジア地域の環境社会学的研究』(科研費A0531019中間報告書、代表・飯島伸子)。

「関川水俣病」問題?-もうひとつの「幻の水俣病」問題-、
 1995年9月、『環境社会学研究』1号。

「第三水俣病」問題の現在的位相(Ⅰ)ーもう一つの「幻の水俣病」を追ってー、
 1995年、『大分芸術文化短期大学紀要』33巻(渡辺伸一と分担執筆)。

「第三水俣病」問題の現在的位相(Ⅱ)ー「関川水俣病」から「第三水俣病」への視座ー、
 1995年、『大分芸術文化短期大学紀要』33巻、(渡辺伸一と分担執筆)。

韓国の重化学工業化と公害問題ー蔚山・温山工業団地と「温山病」ー、
 1996年、『アジア地域の環境社会学的研究 課題番号05301019 平成7年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書』(代表・飯島伸子)。

自然保護運動における「自然」ー織田が浜埋立反対運動を通してー、
 1997年、『社会学評論』47巻4号。

「人間中心主義」の自然観再考ー二元論批判と時間・空間ー、
 1997年、『年報社会学論集』10巻。

環境危機への技術的対応ー水銀をめぐる技術転換:北海道イトムカの試みー、
 1998年、『技術と人間』(技術と人間社)。

自然保護の「ゆらぎ」~自然保護の新しい視点に関する試論~、
 1998年、『全労済助成・環境問題に関する調査報告』(代表・関礼子)。

自然保護と自治体施策ー北海道の「時のアセスメント」の意義と課題ー、
 1998年、『全労済助成・環境問題に関する調査報告』(代表・関礼子)。

ナキウサギが変えた自然保護運動、
 1998年(3月)、『技術と人間』(小島望と共著)。

環境社会学の方法と射程、
 2000年、『アジア・太平洋の環境・開発・文化 1』(日本学術振興会未来開拓推進事業「地域社会に対する開発の影響とその緩和方策に関する研究」大塚プロジェクト)。

韓国・都市の環境問題1節~2節、1節=李時載と共著、2節=単著、
 2001年、『アジア社会における地域開発と環境問題に関する環境社会学的研究 課題番号10044035 平成10年度~平成12年度科学研究費補助金〈基盤研究(A)〉研究成果報告書』(代表・飯島伸子)。

与那城町の開発の経緯と地域変容に関する中間報告、
 2000年、『アジア・太平洋の環境・開発・文化 1』(日本学術振興会未来開拓推進事業「地域社会に対する開発の影響とその緩和方策に関する研究」大塚プロジェクト)。

『「文化としての河川空間とその意味世界についての研究」報告書』
 2001年。

生業活動と「かかわりの自然空間」ー曖昧で不安定な河川空間をめぐってー、
 2003年、『国立歴史民俗博物館研究報告』105集。 

川の生活と病ー記憶の解放と共同性の再構築ー、
 2004
9月、『感性哲学』4号。

暮らしの中の川ー阿賀野川流域千唐仁の生活文化とその変容ー
 2005
3月、『国立歴史民俗博物館研究報告』123号。

環境社会学の研究動向-2001年から2003年を中心にー
 2005
3月、『社会学評論』220号。

Participatory Research by Niigata Minamata Disease Victims, and Empowerment of These Victms.
 
2006, The International Journal of Japanese Sociology ,No.15.

ヒロシマ、あるいはミナマタを語り語られる心と身体
 
2006年、『感性哲学』№6。

感性で物語る環境
 2008年、『感性哲学』8。

自然環境保全からみた漁村の多面的機能
 2009年、地域漁業学会『地域漁業研究』49巻3号。

海を名づけること―微小地名にみる沿岸資源の利用と野生生物との「共生」
 2011年、松本博之編『海洋環境保全の人類学』(国立民族学博物館調査報告№97別冊)。



【翻訳・その他】

補論ー一九世紀におけるフランス哲学/1-3(翻訳)

 1994年、G.H.ミード著、河村望監訳『社会思想史講義ー19世紀の思想動向(下)ー』いなほ書房。

織田が浜に想うこと
 1997年、『想像』76号(想像発行所)。

「何もないのが値打ち」の生活世界を守る意味
 1999年、『新・環境学がわかる。』(アエラムック)、朝日新聞社。

何もないハマを何故守るのか
 2000年、『グラフィケーション』108号(FUJI XEROX)。

与勝半島と島々の開発をめぐる歴史的状況(年表)
 2000年、『アジア・太平洋の環境・開発・文化 1』(日本学術振興会未来開拓推進事業「地域社会に対する開発の影響とその緩和方策に関する研究」大塚プロジェクト、佐治靖と共著)。

地域に誇りを取り戻す試み(インタビュー)
 2001年、『グラフィケーション』114号(FUJI XEROX)。


”困った水俣病患者”の参治さんー帯広畜産大学特別講義を受けた学生たちー、
 
2002年、『ひとりから』16号。

地球環境はどこにあるのか?ー地球を守る環境戦士になりそこなっている人びとへの物語、
 
2003年、『まぐま』10号

秋元美世ら編『現代社会福祉辞典』(辞典の数項目)、
 
2003年、有斐閣。

千唐仁の新潟水俣病
 
2005年6月、『阿賀よ伝えて~一〇三人が語る新潟水俣病』。

自然保護運動
 
2006年、環境経済・政策学会『環境経済・政策学の基礎知識』有斐閣。

自然保護運動いま、新潟水俣病被害者を支援するために
 
2007年『救現』№10、随想舎。

「薬害ヤコブ病」「サリドマイド」「織田が浜」「『自然の権利』訴訟」の4項目(年表)
 2007年、法政大学社会学部舩橋晴俊研究室『環境総合年表(1976-2005)準備年表1,2』。

自然を豊かに、地域を元気にするツーリズム(エッセイ)
  2008年、『生物科学』。

環境を守る/創るたたかい(小論)」
 2009年、鳥越皓之・帯谷博明編『よくわかる環境社会学』ミネルヴァ書房。

新潟水俣病と阿賀野川(コラム)
 2009年、鳥越皓之・帯谷博明編『よくわかる環境社会学』ミネルヴァ書房。

「生きられる民俗」としての微小地名
 2009年、『えりも研究(えりも町郷土資料館調査研究報告)』6号。

つながり、かかわる環境運動(小論)
 2009年、高校生のための社会学編集委員会『高校生のための社会学-未知なる日常への冒険』。

環境、その身体性と地域性のリアリティ―「環境の社会学」に寄せて
 2010年、『書斎の窓』№594。

「被害構造論」の項目(事典)
 2010年、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善。

「織田が浜」「『自然の権利』訴訟」「サリドマイド」「薬害ヤコブ病」の4項目(年表)
 2010年、『環境総合年表―日本と世界』すいれん舎。

感性を磨くツアー
 2010年、『感性哲学』10。

感性を羅針盤にして-いま、ここから見いだしていく希望
 2010年、『感性工学』10-1。



【書評】


千田智子著『森と建築の空間史ー南方熊楠と近代日本』
 
2003年、『感性哲学』3号、東信堂。

人間の福祉に寄与する動物看護師(書評、森本修と共著)
 
2004年、『Animal Nursing』8-2(動物看護学会)

水俣からの想像力―問い続ける水俣病―(丸山定巳編)
 2007年『ごんずい』№102。

南方熊楠(飯倉照平著)
 2008年、『日本歴史』(日本歴史学会)№718。

環境社会学(舩橋晴俊編)
 2011年、『図書新聞』No.3015(5月18日号)。



公開シンポジウム

(おかげさまで無事に終了しました。報告書ができています。ご希望の方は送料310円ぶんの切手を同封して
お申し込み下さい。ただし残部30ですので、申し込み前に電話(0155-49-5606)で問い合わせて下さい。)


食品・医薬品の安全性と都市の感性~水俣病・薬害HIV・薬害CJDそしてBSE~

平成15(2003)年2月20日(木)18:00~21:00
とかちブラザ306研修室
(帯広市西4条南13丁目)

登壇者
谷 三一 CJD薬害大津訴訟原告団長
花井十伍 大阪HIV訴訟原告団代表
山中由紀 大阪人間科学大学非常勤講師


コーディネーター
関 礼子 帯広畜産大学社会学研究室

対象者:一般市民(高校生以上)
参加料:無料
主催:帯広畜産大学
後援:大阪市立大学自主講座,大阪市立大学木野研究室,帯広市教育委員会
帯広畜産大学BSE対策プロジェクトチーム人文/社会科学系(他を予定)


参加申込とお問い合わせ:帯広畜産大学社会学研究室(電話0155-49-5606 faxは49-5601)


BSE(いわゆる「狂牛病」)は水俣病薬害HIV繰り返しであるー
と、『Nature』誌は指摘した。繰り返されたのは、いったい、何なのか。
時の流れのなかで、あふれる情報のなかで、遠くの出来事にすぎなかった
いくつかの問題が身近になったとき、わたしたちは何を思うのだろう。



人の人生には様々な人生のエピソードがある。しかし、誕生と死はエピソードではなく人生の一部である。
薬害エイズ事件において感染被害者は人生そのものを失い、もしくは失いつつある意味において、
人生のエピソードとはいい得ない無明の当事者となった。
(花井十伍)

高校生の時 最後の夏休み
親に言わず北海道に無銭旅行をして
酪農に憧れて。
高校を出て
十勝で学んだ牛飼い。
北海道から連れて帰った牛2頭からの出発
今400頭になりました。
牧場では成功し幸せな家庭でしたが
薬害によって幸せを奪われ
妻を亡くし
とても悔しい
(谷 三一)

大学に入学したあと、水俣病患者に出会った。
仕事を求めて水俣から関西に移り住み、水俣病の症状と闘いながら、裁判を起こしていた。
チッソの工場排水や水俣産の魚貝類が放置されたのは
本当に正しい行政判断だったのか
を、問うていた。
公害や薬害の当事者と接する中で、私が学んだのは、
「世間の冷たさと温かさ」
「共に歩む仲間の大切さ」
「正義の実現には時間が掛かること」
そして、一番大切なことは
「諦めないこと!」
(山中由紀)


はたして、BSEはBSEだけの問題なのだろうか。一見すると、BSEの周辺的な問題に思われる諸問題を知ることで、
わたしたちは社会問題としてのBSEがどのようなものかに気づくだろう。同時に、水俣病や薬害HIV、薬害CJDに
無関心ではいられないということを知るだろう。


☆★☆便利な「生命・環境系の週間テレビ予報」のホームページは → こちら